お父さんからの伝言

夕食の食卓を囲んで、おとうさんが家族にするような話を書き残してゆくブログ。 家族の歴史。

Saturday, May 31, 2008

自分にもやれるんじゃないかな

お母さんの友達に、アメリカの大学にいって看護士をしている人がいる。
お母さんがアフリカに行くのを見て、お母さんが出来るなら自分にもやれると考えたようだ。そして留学。
看護学校の時にはそんなに真面目ではなかったらしいけど、アメリカの大学を4年で卒業して、アメリカの病院の第一線で働き続けた人。すごい。

憧れや目標が出来たとたん、人は変われるもんだ。
身近な人のやってることがきっかけになる。なんかいいなーって見ているだけでなく、やってみたら出来たということ。

通信教育って理想的

お父さん的にはヨセフの今は理想的。今しか出来ないことをやっている。

自然環境の中とか海外の環境の中にひとり身を置いて、まわりの環境に対応しての小さな判断の積み重ねを体験する。都会の人は田舎に、田舎に住んでいた人は海外に出る。
これは環境を変えて、違う視点でものを見るため。
今までの暮らしと比較して、「こうしたらいいのに」という、よりよい解決方法や提案を考える。特に海外では「なぜお前はそう考えるんだ?」と聞かれることが自然な流れ。いやおうなしに物事を、観察した事実に基づき、理論的に考えるようになる。
そしてその問題解決の道筋のつけ方を、ネットを通した双方向の通信教育で身につける。 もちろん出席などの制約のない通信教育を続けるためには、パソコンからiPodなどの携帯プレーヤーなどにダウンロードして、作業しながら聞くなどの工夫が必要。
知識として答えを身につけるのではない。考える道筋のつけ方を学ぶのだ。

こうすると自分を取り巻く環境も違ってくるので、いい緊張感で日々を送ることが出来る。今まで出来なかった、発展的な人付き合いもできるようになる。
自分で思っている以上に大きく変わることが出来る。

Friday, May 30, 2008

誰もいないお盆

ルカはイギリス。ひとりでコミュニケーションの努力をしてるかな。地震があったときに公衆電話で電話かけてきた。お父さんでも公衆電話はうまく使えなかったのに。
「おお、ルカ。元気でやってる?」
「俺は大丈夫。地震は大丈夫だった?」
おおっ、心配をされる側だったのが心配をする側に回っている。

ヨセフも地震の後に心配して電話かけてきた。そして
「お盆だよ」
そういえばお盆のお墓参りとか、お飾りとか、お坊さんに来てもらってお経を上げてもらうなんて、田舎でしか経験しないな。ルカは一度徳島で経験したけど。ヨセフもクララもいままで経験したことなかったはず。
それがヨセフはお寺にいるものだから、もうだれよりもお盆を知っているわけだ。日本の風習を実体験している。
大概海外に住んでみてはじめて、「もっと日本を知っておけばよかった」と思うからね。

クララはもちろんロサンゼルス。ひとりで練習。がんばるね。
友達が日本に帰ってしまったから、楽しかった分、見送った後は寂しいね。

お父さんははじめて、お盆にひとりで家にいる。仕事してる。毎年今頃はみんなとキャンプ場にいたよね。
みんな頑張ってるね。 自分だけの、達成感のある自信を身につけて、明るい笑顔を見せてくれよ。
盛夏

Thursday, May 29, 2008

なんか入れ込んでるね

ブログが学校通信の校長先生の文章みたいになってきちゃった。
ほんとうは物事をどう判断するか、身近な経験を話したいんだけど。
しかたない。お願い。ちょっとがまんして読んでくれたらお父さんはハッピー。

消費だけでは生きていけない

1.消費するだけでは生きていけない。払う大切なお金がなくなってしまう。 楽しいことを突き詰めてゆき、教えてお金を払ってもらえるプロになるなら大いに結構。「暇だからやっている」「時間を消費するだけ」では、自由に使う大切な時間がなくなってしまう。

1.ファッションを楽しむだけでは生きてゆけない。作り出すプロになるなら大いに結構。 でもね、こまったことにどんどん形を変えて、買わせようと仕掛けるんだよね。余分なことも仕掛ける。

1.それぞれの分け前を議論しているだけではいけない。生み出すことに努力するなら大いに結構。 「分けるもとをどうやってもっと生み出すのか」しか、満足する解決法はない。

1.管理するだけでは生きてゆけない。新しい価値を生み出す努力は大いに結構。同じ志を持ち、規律ある人たちと仕事をするなら、管理はいらない。

1、いい成績をとるだけでは生きてゆけない。未来は正解のない社会。今の成績は、過去の問題のきめられた正解を知っているかだけで判断される。正しく考える道筋の訓練が、正解のない社会で正しい判断をするという価値につながるのに。

1.覚せい剤や麻薬を使うだけでは生きていけない。それを勧めることで大もうけをする悪い奴らが裏にいる。友達が勧めたとしたら、彼も気がついていないかもしれないけど、その友達の裏に悪魔の集団がいる。友達の手前、断りづらいことをいいことに、魔の手を伸ばしている集団。(彼らは自分では使わない。儲けるために人にだけ勧める。)

かえるが鳴くのも時間帯がある

蛍が光るのも時間帯がある。
これは自然の豊かな所に身を置いていないとわからない。

なぜそう思うのか

町でインタビューされたとしよう。
君は君の考えを言えるか?なぜそう思うのかと聞かれたとき、答えられるか?

マスコミや周り人の受け売りだけを言っていないか?そうだとしたら、君だけに当てはまる条件に矛盾して、自分の答えと違う行動をとるだろう。言動不一致。

そしてまわりからの信用が低くなると、影響は自分にふりかかってくる。自分でその種をまくことになる。こもっているとますます苦境に立たされる。自由に大手を振って表を歩けるためには、どうしたらいいか。

必要とされていなくても自ら場を見つける人

今のヨセフの毎日はこの訓練。
ヨセフに一番必要だったこと。
「何かお手伝いしましょうか」といつも自分から声をかけること。
お父さんが教えた、たった一つのこと。

英語の国で暮らすクララは知っているね。
ルカにはまだ伝えていない。

何も無いところから「やれ」は大変

自転車をヨセフは組み立てて直しているという。もらってきたり買ったりすればすぐ使えるのは皆知っているけど、直すのは大変。構造を観察しなければいけないから。組み立てるにも手順があるから。正しく考える道筋の訓練。

さらには、自転車を発明した人はもっと大変だったろう。真っ白なキャンパスに構想するのは楽しいけど、材料、形、組み立て手順も考えなくちゃいけないから。

最終結果をお金で手に入れるだけの人生より、途中の手順や過程を経験して欲しい。受験勉強でテストの答えを暗記するより、答えのない世界を旅する君たちの力になるはずだ。

Wednesday, May 28, 2008

リーダーシップ

この順番に物事を進められる人。
1.方向性を示すことが出来る。どの範囲を選ぶか。何を仕事とするか。なぜそれを選んだのか。それでメンバーが幸せになれるのかを言える。
2.「どのようにやるのか」「どのていどやるのか」「いつまでにやるのか」を決める。

そして
1.リスクを取れる。
2.現実、事実から目をそらさず、深く考えて判断できる。
3.好きなことを仕事にして、情熱を持って続けていける。

その心の中では
「たった一度の自分の人生だ。どうせならできるだけ価値を磨こう」
と考えている。

なぜ「海外で一人で生きてゆけるように」と言うのか

クララやヨセフ、ルカに聞いて欲しいこと。
いま勉強することも、自分に厳しく毎日を送ることも、お父さんが考える目的は「海外で一人で生きてゆけるようになるため」なのだ。

「バイトでもやって生活して、日本から離れるつもりはないよ」と君は考えるかもしれない。だけど、小さな同質の社会では解決できないことがこれからたくさん出てくる。
日本は経済的に縮小してゆく国。今は子供だということでいろいろな人に守られているけど、18歳を超えると、自分で解決してゆかなければいけないことばかりになる。そのときどう判断するか。何が出来るのか。君の未来の伴侶や子どもたちを守れるのか。

君自身が何か他の人に出来ないものを持っていないと、他の人との協力をお願いするときも、差し出すものがない。カードゲームのカードの交換のように。

同質でない広い世界にチャレンジすることで、他人にない差し出すものを生み出すきっかけになる。今それを持っていないことにも気がつく。だけど努力すれば、きっと持つことが出来るんだ。 気がつかないと、ただ他人と同じものを追い求めてしまう。意味も分からずに。

君たちがいつ、まったく知らない国に突然おいていかれても、そこで受け入れられて生き延びることができるなら、お父さんは誇りに思う。それは君の人間力を認められた証だからだ。

さて、君は今をどう過ごすのか。
このことを苦痛としてとらえないためには、楽しいことを掘り下げていって、人に教えてお金をもらえるプロになるのがいい。その活躍の場を海外に置く。そう考えられるならすごい。

家族の風景

離れてみてゼロベースで家族を考えてみるといい
お母さんと結婚して新しい家族を作ったとき、理想の家族として何気ない風景が浮かんでいた。
それは多摩川の河原で、弟と石を投げて遊ぶ自分の姿。振り返ると土手の上には両親が見守っている。おにぎりを作って、車で日曜の午後に出かけていった小学校低学年のころの風景。
だから君たちと一緒に家族で、公園やキャンプに出かけるのが好きだったんだ。

デジカメのアルバム(Picasa)を整理していると、そんな家族の風景がたくさん出てきた。

このところ巣立ちのことばかり書いてきた。アルバムは懐かしいと同時に、明日への力になる。

必要な収入の範囲で

夢をかなえ、持続させるのに収入が必要。そうでないと卑屈になるか、自由を得られない。ただ強欲な、いくらでも多いだけ取れるだけ儲けたいという考えなら、やはり続かない。
大切な尊敬できる仲間とぎくしゃくせずにチームを組んでいける。
今後世の中で受け入れてもらえる素晴らしい製品や利便性(サービス)の開発費用がまかなえる。
そんな範囲の収入だ。

例えば村おこしをするにしても、収入をまた投資していかなければ続かない。
声を張り上げるだけでは、形にならない現実。
自然に流れるような範囲で。
つけ込もうとする人たちも排除できる、規律に基づいた正当な範囲と方法で。
努力に見合った範囲で。
大切な家族や子ども達の将来にも投資できる範囲で。

なつの午後

みんみんぜみとあぶらぜみが鳴いている。
なつの午後。
アンドレギャニオンのピアノをききながら、床にごろん。本を読んでいる。

会津のお寺で雨の日に、軒から落ちるしずくを見ているときも、落ち着いたなあ。
田んぼや山のふかい緑と、低く流れる雲。

晴れた日に徳島の岸壁に立って、波の静かな湾内を見る。
ときどき波紋が遠くからやってくる。
青い海。対岸にはみどりの竹やぶ。

まずは情熱、好きなことから

自分の歩む道を考えるとき、見つけるまで平均4年かかるという。以下の質問を4年間くりかえし自問してごらん。質問1から3のすべてに当てはまる分野が君の進む道。
きっとクララはそんな日々が続いて、決めたんだと思う。

1.毎朝、目が覚めて仕事に出かけるのが楽しく、自分の仕事に誇りを持てる道(好きで情熱を持って取り組めるもの)
2.これをやってこんなにお金が入ってくるなんて、夢のようではないかと思えるもの(経済的原動力になるもの)
3.自分はこの仕事をするために生まれてきたのだと思えるもの(自分が世界一になれる部分)

はじめは必ず「世界一になれるものなんて、持っていない」と誰もが思っている。これが普通。
現実を直視してゆくと、無理な部分、可能性のある部分が見えてくるという。事実を受け入れながら、矛盾するけど「必ず見つかるという確信」を持つことが大事。

好きなことをベースにしてゆくと、ここもクリアできる。
4.道なき道でもチャレンジ精神を発揮できる(冒険できる)
5.規律を重んじる(誘惑に負けて、せっかく積み上げてきたものをぐちゃぐちゃにしたくない)
6.同じボートを漕げる尊敬できる仲間を慎重に見つけて、1、2、3のどれもに当てはまる分野を地道に磨いてゆく。
7.たとえばちょっとぐらい数学のテストの点がいいということで道を決めるな。自分の感覚を一番の頼りに決めること。

これらは「ビジョナリーカンパニー2」という本を読んでいて、お父さんの人生や君たちの人生にも当てはまることだと思ったこと。

子どもでも理想のボートに乗せない

頑張る人の足を引っ張るのなら、自分の子どもでも理想のボートに乗せない。
そして他にもボートがある。
家族でも同じボートに乗れないことがある。

それでは理想のボートが会社ではなく、理想の家族というボートならどうか。一緒に力をあわせて漕がないならどうするか。
それは漕がないのか、漕げないのか。

お父さんのやっていることは、子どもたちを人のボートに移すこと。
そこの容赦のない船長は、子どもをボートから降ろすかもしれない。その判断はお父さんがするのではない。世間がするのだ。
その危機感の中で、子どもたちは目覚めるかどうかだ。

もしそこでもボートから下ろされ、ひとりで漂流してしまったらどうするか。
お父さんは考えて、子どもを移すボートを選んでいる。もしそうなったら回収しに行って、違うボートを探すだろう。すぐには家族のボートに戻さない。でも、いつもどうしているかは見守っている。

またみんなが家族のボートに乗ることもあるだろう。立派な漕ぎ手になって。でもそれはずっと続くわけではない。その時にはもう、君たちは自分のボートを作ることが先なのだ。

Tuesday, May 27, 2008

偽善っぽい

何もないところから形あるものを作り、見も知らないお客さんという人たちに製品やサービスを喜ばれ、その証拠にお金をもらえる。
過程を楽しむ。年取ってふりかえってみたとき、「あの会社にいたんだよ」って誇りに思える瞬間が待っている。そう考えただけでわくわくする。
いろいろあった困難。
でも何とかやってこれた。
困難に一緒に立ち向かうときの尊敬できる仲間たちとの物語。
幸せも犠牲にしていないし、派手なこともしていないし、いつも周りにいた人のおかげだと控えめに言える。そして心は自由を保っている。誰にも負い目はない。

自分が楽しみ、自分の可能性が引き出され、次の投資のための安くはない金額ももらえて、その上で買った人に喜ばれる。何も犠牲にしていない。
これって、理想だよね。
努力も苦しい努力と感じない。
人のために役に立つと言っても、充分な収入も得ることが出来る。

よく「人のために」というと、「お金を稼ぐことも悪、その金も貧しい人に差し出さないと偽善だ」という「きれいごと」論をいう人もいるけど、何もだましたり銃を突きつけてお金を払わせているわけではないなら、やっかみとしか思えない。
そういう人を同じ理想のバス(またはボート)に乗せたら、頑張る人の足を引っ張るだけ。
残念ながら、まわりにもいるよね。
距離を保つしかない。

幸せな環境

厳しく自分を律した人たちが、同じ思いで集まって、よりよくしようと議論を重ね、お客様に貢献して受け入れられることを誇りに、会社や組織をよくしてゆこうと努力する。
メンバー互いを尊敬でき、相乗効果でより以上の力を引き出される。
これが一番幸せ。

お坊さんと商人とやくざ

商売をやっている家の子が「僕はお坊さんになりたい」と言ったら、たいがいお父さんはびっくりするだろう。「それでは食えないよ」って言うのが普通。
お寺に生まれた子が「僕は商売をしたい」と言ったら、たいがいお父さんはびっくりするだろう。「金儲けして生きてゆくのか」って思うだろう。

どのお父さんも普通は一般的な成功のイメージがある。大学出て就職して、自分の後をついで・・・子どもたち自身も、まわりの人たちの思い込みを反映してそう思わされている。
かえるの子はカエル。

だけど時代が変われば条件も変わる。親と同じ商売をやっていて食える確立はずーっと低い。親と同じ修行をして説法をしても、今学校で起きている問題の解決に貢献できるのか。
目的もなく、偏差値が高くて有名だと言うだけで大学に行って幸せになれるのか。
子どもの夢に向かってゆく姿を引き出すのが、一番幸せになれる確率が高いのだと思う。

商人の親も、お寺の親も、やくざの子が「ぼくも後を継いで、お父さんみたいな立派なやくざになりたい」と言ったら何と思うだろうか。

Monday, May 26, 2008

厳しさのメリハリ

テレビを見ていたら、ボクシング世界チャンピオンになった長谷川さんのお父さんのインタビューが出ていた。
長谷川選手が中学に入った時のこと、「ボクシングをやめて卓球をやりたい」とお父さんに言ったとき、受け入れてくれたそうだ。お父さんが小さいときから、ボクシングを厳しく指導してきたのだろう。普段は厳しいが、「重要な決断のときに受け入れてくれた」ことに対して感謝していた。
長谷川選手のお父さんいわく、「厳しさにメリハリをつけただけ」

子どもたちの才能を引き出して開花させたいと願うのは、お父さんも同じ。せっかく生まれてきたのだから。
お父さんの場合、厳しさがなかったかもと反省している。
だけど、その理由はこんなところからきている。
お父さんは10代のころ、柔道部というちょっと理不尽で厳しいところにいたけど、伸びた気がしなかった。厳しい練習も好きでやってたわけではなかったから。
それより自分から旅を始めてから、留年はしたけど、本を読み自分で勉強する習慣もついて、おとなになってからだれも教えてくれることがなかったソフトの世界や、外国との取引、新規事業も独学で始められた。この方が貴重だと思った。

要するに君たちには二つの矛盾することを身につけてほしいのだ。
あたらしい発想、冒険にチャレンジする起業家精神と、自分に厳しく律してゆく規律の精神。
厳しい指導は規律の精神を養う。だけど動機や新しい発想、チャレンジする起業家精神はどうか。
逆に本人から才能や発想ややる気を引き出そうとするとき、規律の精神は養えるのか。

ますます答えのない時代。自分で考え、自分で調べ、道を切り開いていかなくてはいけない。それはまさに旅。
厳しくあれをやれ、これをやれとは言わない。それをやったら安心という考え方になってもらいたくない。時代で条件が違う。
子どもたちが自分で旅立ち、自分の居場所を切り開き、充実感の中で才能を開花させてゆく手助けをしたいのだ。
だから、みんなの旅立ちのときが一番感動するし、気持ちがよくわかる。
放り出しもするのは、宝物を見つけてほしい、その喜びを体験してほしいから。

お父さんは新しい発想や起業家精神を育てるほうにちょっと寄っている。甘いかな。
ただ願いは一緒。みんなの才能を引き出し、伸ばして自立できるようにしたい。自由を謳歌できるようにしたい。
それには「やる気」と「自分に厳しく」、これをどうやったらみんなに身につけてもらえるか。いつも反省させられる。

Sunday, May 25, 2008

イギリスへ行くルカへ「いってらっさい」

ひとりで知らない世界へどこでも飛び込んで行ける。子供脱皮の第一歩。
ヨセフも17歳でフィリピン、会津へひとりで行った。クララは19歳でアメリカに。君は15歳でイギリスへひとりで行った。一番早い記録だ。
お父さんはうれしい。

我が家に生まれたら、必ず海外でボランティアをするか留学することになっている。家訓だ。
それは世界中、どこへ行っても仕事して生きてゆける、できればリーダーシップでまわりを変えることができる人になるのが理想の家族だ。お父さんもそうなりたい。
記念すべき一歩だ。

一度もしゃべらずにいてもよし、お父さんも初めてのときはそうだった。レストランに入るのに3日かかった。それまではスーパーでバナナ買ってた。
なれるだけでいい。
学校で習った英語は出てこない。聞くことに集中しろ。短い言葉で要求してプリーズをつければいい。
お父さんもクララもそうだった。お母さんもだ。

いいたいこと言わせてから初めて、ポイントついて聞いてくれる

自分から切り出すのはむずかしい。
相手が聞いてくれるのは、相手が意見を言って、それを聞いてそれに対しての発言をする段階になって初めて、こちらのことも聞いてくれる。

よし、かっこよく驚かせてやろうと楽しんでピアノ練習

クララのこの経験、集中できたね。上達したね。

リーダーシップは教えることで学ぶ

「教える立場になって、素人の生徒さんがお父さんのボールを打ち返せなくて、始めて自分の未熟さを教わった」
お父さんのテニスのコーチ体験。
これってリーダーシップを取った時に初めて味わうこと。

うまくなりたいと思ったら、リーダーシップを取る機会を積極的に見つけなさい。
教えられている時から、教えることを盗みなさい。
相手とのやり取りを通して、相手がうまくなったら立派なリーダーだ。

セカンドサーブが大事

2009年、スイスのフェデラーがウィンブルドンで6回優勝した。今までの記録を塗り替えるすばらしいもの。
彼の言葉「セカンドサーブが大事」は深い。
ガツンと、ホームランのように一発逆転の、ファーストサーブを大事にするのが世間一般。だけど、彼はセカンドサーブが大切だという。 ゆるい球の壁打ちのようなもの。

ダンスのように勝敗でなく、いかに人の共感を呼ぶかという芸術では、何がセカンドサーブにあたるんだろう。

「かたづける」と「しきい値」と「問題」

「かたづける」とは、しきい値をこえたところ(レベル)までやるということ。
問題とはあるレベルに達していないことをいうということ。
このふたつをよく理解したほうがいい。
あるレベルを超えたら「かたがついた」と感じる状態。超えてなかったら「問題あり」と感じる状態。

たとえば部屋の片付けが出来ない人。このくらいに片付けようという判断基準がないか、高すぎる。判断基準がしきい値。「今日は時間がないから、床に落ちているものだけ拾おう」「今日はDVDだけ整理しよう」などと考えることが出来る人は、ちゃんとしたしきい値を設定できる人。
現状は、床に物が散らかっているレベルだから「問題だ」と考え、片付けたい(問題を解決したい)と思うわけ。そのときのしきい値は「床に物が散らかっていない状態」。そこを超えて、何もなければ問題解決。たとえ机の上はごちゃごちゃでも、一つ問題解決で満足感発生。こんな感じ。

自分の基準がしきい値をつくる。だから「この程度にはなりたい」という「具体的な理想」「やりたいこと」「意思」のない人は、いつも不満。
自分の頭で考えてない人。自分の足で動き出してない人。
幸せになれない人。階段を飛び越そうとする人。ここまで出来たら今は満足というものがないから、永遠に不満。
うつになりやすい人。

Saturday, May 24, 2008

テニスもダンスも

「良い習慣は第2の天性」と同じことがスポーツでも言える。無理のないスムーズな動きを身につけたら、反応が早くなりうまくなる。
速さを求めようとしたら逆に、ゆったりとした、力を抜いた動きを意識して練習、身につけなければいけないと思う。

お父さんは今「テニスのフォームがきれいだ」とよく言われるんだけど、大学時代は力任せの融通の効かないフォームだった。決してきれいなものではなかった。そしてがつがつ速い球を打ち込んでいた。まわりが皆そうだったから。
それもそのはず、まわりの人は中学や高校からやってるからうまい。だから球が速い。お父さんは大学で始めて球技をやった。球カンがない。だけどどんどん速い球が帰ってくる。それに負けないようにと、あわててラケットをぴゅっと振り回す。だからミスも多かった。本当は相手の力を利用して、タイミングを合わせてやるだけでよかったのに。

コーチのアルバイトを始めたとき、生徒さんがお父さんのボールを打ち返せない。お父さんも相手の打ちやすい、ゆっくりとしたボールが打てなかった。これにはまいった。だけど、これがパラダイムの変換だった。
コーチの仕方の講習を受け、大きくフォームを変えた。何度もいろんなフォームに変わった。
最終的には壁打ちでフォームを直した。まわりの人がびしばし壁に打ち込んでいるのを横目に、ふわーんふわーんとした球を壁に打つ。一見ど素人。最初は恥ずかしかった。でもこれができるようになった時、今の無理のない流れるようなフォームになった。

フォームを変えるのはくるしいこと。いつもこれでいいのかと思ってしまう。人が相手での練習だと固定しない。壁打ちで自然が相手だったから、自分のフォームに納得していった。
お父さんは結局、がつがつ自分のやり方で振り回していた時は、望んでいたもの(うまくなりたい)を得られなかったんだなあ。同じ努力はしていたんだけど。
教える立場になって、素人の生徒さんがお父さんのボールを打ち返せなくて、始めて自分の未熟さを教わった。
そして壁という、自分が打ったとおりに結果が返ってくる自然を相手にした時、初めて思い込みから脱却できた。力が抜けたんだ。

自然を相手に研究すること。クララもヨセフも今はその意味がわかるんじゃないかな。
君は子ども相手にうまく教えられるか?

したり顔でねたむ友達

自分の中にぽっかりと穴の開いた人。本当にやりたいことがない人。やりたいことに向かって行動を起こさない人。常識という言葉を振りかざす人。「そんなのユートピア、夢物語だよ。現実は甘くないよ」としたり顔でいう人。あきらめたといいながら、出来なかった過去をいつまでもうじうじと考える人。やり方がわからないと言って、調べようともしない人。群れる人。仲間はずれにする人。でも、都合がいいから利用しようと連絡してくる人。キープしておこうと、こちらの都合も考えずに誘い込もうとする人。
海外で歩いていると突然近づいてきて「この切符はどこで買えばいいんですか」と聞いて、知らないと言うと、ぷいっとお礼も言わずにどこかへ行ってしまう人。(同じ日本人だろ、力になってくれて当然だ。けち!みたいな)

みーんなうつになりやすい日本人の典型じゃないかな。
なにも力にならないくせに、したり顔で「そんなに甘くない」などという。

この人たちは永遠に幸せになれない悪循環。でも気がついていない。無意識に利用しようとする。そして利用されてしまい、ほかも引き込もうとする。できないと陰で悪く言う。

対処の仕方は距離を置くこと。付き合わない。
逆にやりたいことに向かって動いている人とは、なるべく共感できるようにしているといい。まわりにそんなひとをたくさん持つこと。

自分の都合や努力だけで解決できることか

これを考えると、疲れないことがある。
悩んで疲れるときは、自分の努力だけで出来ることと、他人が関わることを切り分けること。
どこかの点で切り分けてずばっと切る。デジタル化。

留学生を受け入れよう

ヨセフが会津で自分を見つめなおしているとき、我が家には留学生を受け入れようと思う。

よい習慣は第2の天性だなあ

昔音楽を聴こうとしたら、大きなステレオが必要だった。今は手のひらに隠れるiPod。どうしてそうなったかって言うと、必要な機能を一つの回路の単位にまとめて、それをICという集積回路の小さなチップにしたから。その都度配線をする必要がなくなった。写真技術の発達で、どんどん小さな電子回路になったから。

電子回路というのは、電気信号の流れを「この場合はこっちに流す」という交差点。いろいろな信号の強さも、あるレベルでずばっと切り分けて、「信号アリ」か「信号ナシ」かに単純化するもの。これをデジタル化という。デジタル化すると、単純だから「この場合はこっちに流す」という判断がしやすく、迷いがない。高速になる。
その回路をまとめて、たくさん組み合わせたのが集積回路、つまりICだ。
デジタル化と集積回路が大きなステレオをiPodにした。

習慣もいちいち考えてやっていない。自然に流れるひとまとまりの行為。集積回路だ。判断に余計なエネルギーを使わないので、ほかの事にエネルギーをまわせる。だから「良い習慣は第2の天性」
頭の中に回路が出来るのが習慣。楽に行える。
なるべく良い回路を頭の中に構築しよう。

まずは聞くというバッファ

聞いてもらえると、相手のことを注意深く聞こうと思う。
まずは受け入れる余裕。ここから道が開かれる。

空間認識力をもっと鍛える

これはルカの価値。

まず書き出すこと、それから記録すること

自分を見つめなおすときも、新しいことを構想するときも、スタートはここから。

なぜ編集がすごいって気がつかないのか

ヨセフの価値なんだけどなあ。

夫婦間の駆け引き

うまく奥さんを教育しようと思ったこともないな。家事に参加してもらうように、うまくだんなさんを教育しようと思ったことはあるのかな。
大変そうだったら手伝う。疲れていたらパス。
駆け引きして、あまり自分の有利なほうに持っていこうという気もなかった。

唯一こまったのは、マリアから電話やメールがあってしばらくしてから返事をすると「どこいってたの」「なにしてたの」と言われること。問答無用で責められているようなトーン。これはなえるよなあ。

子育てはパラダイム変換

それまでは自分のために時間を使っていた。人のために時間を使うよりも、自分のために時間を使うのが得だと思った。

彼女が出来ると、彼女のためにも時間を使うようになった。一緒にいたい、ニコニコしたときを分かち合いたいから、相手の喜ぶことに時間を使おうと思った。

子どもが出来た。畳の上に寝転がって、足の上に子どもを乗せて「高い高い」ってやると、げらげら笑って喜んだ。
彼女のために使った時間は、相手の気を引くためのような反応を気にしたものからはじまったけど、子どもの場合はおっかなびっくり、そのあとはただただ楽しいから遊ぶ時間を一緒に持ちたいと思った。

子どもが大きくなると、息子や娘たちの5年後のために時間を使うようになった。自分の青春時代とも照らし合わせて、うまく自分でレールが敷けるように、切り替えが出来るようにと思うようになった。

「自分の得になることが一番」「めんどくさいことはやらないことが一番」という、一つの場所にとどまらないほうがいい。踏み出してみると、もっと楽しい世界が待っている。

子どもたちが巣立っていったとき、自分のために時間を使うようになるのだろうか。
たぶん誰かが喜んでくれるという味を味わったあとは、自分のためにも誰かのためにもなる、一緒の価値を求めるようになるだろう。

天国と地獄、仏と鬼

「悪いことをすると地獄に落ちるよ」
「いいおこないをすると天国にいけるよ」

どこの国でも言われる言葉。突き詰めれば、社会に対する責任と、自分に対する責任をまっとうしなさいということ。そのためのアメとムチ。

やはりアメとムチの自覚がないと人間はダメなのかな。
誉めるだけでは子どもはまっとうに育たないのかな。

高速道路の大渋滞

やはり「Web進化論」に出ていた。
将棋の世界ではインターネットでの対局で、アマチュアのレベルが高速道路を走るように、すごいスピードであがっているそうだ。アマチュア最高峰くらいのレベルにはすぐなれる。だが、その先は大渋滞。下からはどんどんライバルが来るし、もう一歩上に上がるには、何か別の要素が必要。
コンピューターの加工では出来ないことをやってのける職人芸があるように。

どうやったらそれを身につけられるんだろう。
執念プラス違った視点の感覚。

誰かに受け入れられて

「Web進化論」に出ていた。
アメリカで仕事を得るには、留学などしてまわりの誰かに価値を受け入れられ、スポンサーとして推薦してもらい、自分の価値を確認しながら階段を登ってゆくものだという。

誰かに受け入れられることで価値を確認し、まかされていくことで成果を出し、価値を上げてゆく。紹介の連鎖のようなイメージ。
常に自分の価値を、誰かの評価を得て確認しながら積み上げてゆくから、仕事でも転職が可能なわけだ。

お客さんに品物を買ってもらう難しさと同じ。
じゃ、いろんな人とコミュニケーションがとれて、いろんな人を知っているアメリカ人が有利か?
忘れてはいけないのは、時代には断層があるということ。チャンスというのはいつ来るかわからない。
たとえば今までは英語の白人の世界、アメリカ人のためのショービジネスだったミュージカルも、客層がアジアにも広がってゆく。映画がそうだった。だからアジア人のスターも生まれてきたわけだ。
アメリカ自体もヒスパニックがマジョリティーになろうとしている。

いつも冒険。過去の経験が豊富な、大人から見たら難しいと思っても、断層までは見通せない。
変わらないのは、誰かに受け入れられることによって価値が上がるということ。夢への階段を上がるということ。

やらされてできたのと自分でやろうと思ってできたのと

やらされてできたことは、あまり自分に達成感がない。だから未来の力にならない。
やろうと思ってできたことは、小さなことでも達成感がある。それを自分で覚えているし、分析するし、次につなげようとするので、未来の力になる。

やらされてできたことは、失敗したときには、今までうまくいってた方が多かったとしても、そのことよりも失敗した印象のほうが強くなる。
やろうとおもってできたとこは、足が地に着いているので、失敗しても明日の糧にすることができる。

回りに踊らされたり、まわりの基準に浮き足立たないように。

命がけで

24時間仕事のことが頭から離れないのはベンチャーとしては当たり前。
お金や時間を費やしてインプットしたことに対して、売れて次の開発費が出る流れを企画することも当たり前。
ちょっとしたアイデアだけで、現実は売れるなんてことはない。
幾度も状況に応じて企画を軌道修正。
基本的には、他の人のものを右から左へ売るということだと、うまくいく確率は低い。在庫の山で終わる。

誰にとっての価値か。「いいね」だけではなく、お金を出してもらえる価値か、広く続けられる流れを作れるものか。
自己満足とか、趣味とか、他の人がお金を払ってくれるという行為の伴わないものに終わらないためには、「命がけ」と言ってもいいくらいの執念が必要なんだ。深く考え続け、軌道を修正し続ける。それにもまして「どういう価値を提供したい」というこだわりがないと、在庫の山で終わるけどね。

「バリューを出せ」って、相手あってのこと。
習っている先生は相手ではない。見て満足してくれてお金を払ってくれて、そのお金でさらに自分を磨いていいバリューを造り、また来てもらえる相手。
学んでいるときから、そこを見つめての執念でないと。

大きな音が恐かった君

大きな音が恐かった君。裏を返せば、外部からの信号を敏感に受け取ることができる。
これを生かそう。
繊細なセンスに溢れた作品を作ろう。
君に必要なことは、作品を作り続けること。作品に載せて表現をすること。

家族に対する責任

家族は両親がいて、その両親にも両親がいる。ずっと先祖代々DNAが継がれている。つまり、今あるのは祖先のおかげ。それを次世代に継いで行く責任がある。
自営業や会社をやっている家の二世が「将来は会社を継いでゆくんだ」と考え、勉強したり、自暴自棄にならずに自身を律したりするのも、家族に対する責任からといえるだろう。ただ実力もないのに継がせると、社員は路頭に迷う。お客様も迷惑する。戦国時代の武将ではないが、他の子達よりもより鍛錬に励まなければ、その資格すらない。

海外に暮らすと、「私の行動を周りのアメリカ人は見ている。私への評価は日本人への評価になる。日本を代表しているんだ。」と感じることがあるだろう。家族や日本のことを悪く言われたくない。大切なものを守りたい。だからきちっとする。
家族への誇りが、折れそうになる心を支えてくれる。

家族は小さな社会とも言われるから、社会に対する責任にも似ている。大切なのは、家族に対しても礼儀を尽くすのは同じはず。これは人と人との付き合いの基本的ルール。「親しき仲にも礼儀あり」ということわざを知っているだろう。
甘えからルールを守らないのはよくない。特に兄弟は、むしろ近い関係だから、礼儀を尽くさない振る舞いは醜い兄弟間の争いなどに発展する。中国の戦国時代の歴史書でも、いっしょに戦った兄弟が、天下をとった後に疑心暗鬼になって殺しあうのはよくあるパターン。

「家族に対する責任」という言葉は、君たちが考える以上に重い。

Tuesday, May 20, 2008

アウトプットを考えてインプットを選ぶ

何のためにやるのか、得たいと思う結果を意識して行動を選ぶ。お金の使い方を選ぶ。
ブレが出がちなんだよね。
本当にアウトプットにつながる選択肢というのは、実際は少ない。目先のことでインプットを決めてしまうことが多い。

インプットは一つの方向につながって、積み重なっていくもの。
そして息のように、吸ったら吐いて、また吸ったら吐くくりかえし。インプットばかりでは息を吸い続けるようなもの。 アウトプットを適宜得ながらでないといけない。
続かない。吸っていないと吐き続けることも出来ない。吐いていないと吸うことも出来ない。

むりやり?話し合ってから?

誰が何に対して責任を持つのか。
たとえば「あたしゃ他へ行くのはいやだよ」というおばあさんをひとり、過疎の村に残して置けるのか。

我が家では18歳での最終イメージは自立。 答えのない世界を生きようとする態度を持つこと。
そのとき、君たちには果たさなければいけない責任が3つある。
周りにも迷惑をかけないという「社会に対しての責任」 (ルールを作り、守り、一人じゃ食っていけないという自覚)
自分の人生を価値あるものに磨いてゆくという「自分に対しての責任」 (神様に対する責任と言ってもいいかな)
そのベースになる家族が一番いきいきと輝けるように行動する「家族に対する責任」 (内弁慶も困るよ)

大人になったらさらに、会社や未来に対する責任も発生する。それも地球規模で。

学校じゃ教えてくれない。親の責任。それを考えての会津行き。我が家の補習。
これから一番必要な勉強は、
かかわってくれている人にどんな価値を提供できるか、
世話になっている人がどうしたら喜んでくれるか、
自分の持っているどんな特長を生かして御礼が出来るかを真剣に考えること。
仕事で言えば「バリューを出せ」ということにつながる。一生の宝だ。
そしてこれはどんな方法でもいいということ。自分の得意な、好きなことを使うのがいい。

もちろん相手を考えることばかりで、自分の人生を犠牲にしてはいけない。自分に対する責任は果たさなければいけない。
お客様にサービスはするけど、研究開発費のための利益は十分にいただくということと同じ。

18歳までの親の責任として、君を会津に一人旅立たせる。幼さから恨みを持つかもしれないけど、本質は何かを考えなさい。
ゆとりが出来たら、田舎の自然と人情を味わいなさい。

憧れて、切羽詰って力を貯める

憧れが原動力。
それで飛び込んでいってしまう。多少準備不足でも。
そこで切羽詰ってなんとか工夫する。使えるようになり、力を貯めていく。

英語が使えるようになるために、慣れた環境の日本ではなく、言葉も文化も違うアメリカにひとり飛び込んでいくようなもの。
会津はそのひとつ。自分に憧れがなくても、それ以降は同じ。憧れの代わりに優しさはあふれている場所だ。

2度倒産した社長

ヨセフは大人で言えば「2度倒産を経験した社長」と同じショックを受けているわけ。
どれだけのショックか。
簡単に言えるものではない。
同時に分析もしなくていいものでもない。

真面目に取り組もうとした理想の高さと、現実に執着心を持って課題をこなせる範囲とのギャップが原因ではないのか。
解決策は「理想を下げる」か、「こなせる執着心のレベルを上げる」か、「ノイズとして邪魔になる環境要因を取り除く」か。

音楽とシーンを覚えてる

これはぜったい才能だ。
それに組み合わせのセンス、表現する勉強をすれば、人に感動を与えることができる。

だれでもできるじゃん

お父さんの仕事は、お客さんの気がついていない便利さを形にして売ること。
ここで大変なことに気がついた。
何も会社である必要がない。
だって実際ソフトを作っている人は、お父さんの会社の中に誰もいない。みんな外国だとか、いろんなところの人に作ってもらっている。社員として技術者を募集しても、必要としている技術がどんどん変わるので、その人がすぐに役に立たなくなってしまう。これを前のビジネスソフトをやっているときに痛感した。
フェイスブックは学生さんが始めて、1億人以上の会員数になった。初めから会社ではない。

せいぜい必要なのは販売要員。これもどんなチラシのデザインと文書を作れば、すーっと相手の人に響いてもらえるかという頭の勝負。だらだらと説明されてもお客さんは聞いていない。携帯のゲームのダウンロードのように、ネットの世界に抵抗がない人相手の商品なら別だけど、これだって、インパクトのある説明が必要。何が面白いのかって。
これがソフトではなく物の開発の場合は、資本も実験設備も材料もいる。でも、ネットにかかわるところは、今までとは違う考え方が成り立つ。
要するに
お客さんのことを考えられる人で、
お客さんにどんな価値を提供することがいいか、具体的にソフト上にイメージできる人で、
それをやれる人を見つけることができる人、
そんな人なら誰でも出来てしまう。

誰も考えてなかったことをやる。一気にたくさんお客さんを集める。これが今起こっていること。もちろんそのための技術の習得という、地道な努力が裏にあるわけだけど。

途上国では工業化があっている。人件費が安いからだ。
先進国ではソフトのような産業があっている。
そしてスポーツ選手やミュージカルのような、その人でないと表現できない世界が最先端かもしれない。

わがままを許すとだめな子になる?

お父さんの理想の方程式。
憧れが強くなる。
自分で一歩踏み出す。
不安も自分物語の演出となる。つまり不安も人生の物語を盛り上げる効果のひとつだと考え、楽しめるようになる。

わがままは一歩踏み出すエネルギーならいいと思っている。他の人に迷惑をかけなければ。

あーたのしかったねー

ヨセフが小さいころよく言っていた言葉。
着ぐるみが怖くてないていたのに、遠ざかったとたんに言っていた。
自分の尊厳(つよがり)からか、家族への思いやりからか。
どちらにしても、したたかさを感じる言葉。

Sunday, May 18, 2008

プラハ

この頃初めて訪れる国にひとりで来て、初めて訪問する会社の人と話をすることが多くなった。行商人みたいだ。
お父さんには大会社の名刺のようなバックグラウンドもない。相手にとっては知らない会社で初めて会う日本人。こちらにとっても相手のことは何も知らない。Webサイトで調べて、メールしたくらい。

住所を頼りに地図で調べて、ホテルの人に行き方を聞き、地下鉄やタクシーを乗り継いで行く。持ってゆくものは名刺とパソコンとチラシ1枚。
握手を交わして、名刺を交換して、おもむろに英語で話を進めてゆく。
なるべくしっかりポイントが伝わるように、事前にマイブックでシュミレーション。それでも時々急に、「なんでここにいるんだろう」なんて夢を見ているような感覚になる。

今はプラハ。さっきまで初めての会社の人と提携の話をしていた。
なんだか笑っちゃうね。

Friday, May 16, 2008

プロの心得

何に貢献できるか考えたいなんてレベルの話ではない。
どんな価値を相手(お客様)に提供できるか。
これを考えてゆくのがプロのレベル。

まだ子どもだとか、学生だとか言う甘えは早いうちに捨てたほうがいい。
どうせその時期もすぐ終わる。
早くからプロの自覚があったほうがいい。

高校時代、いつ宝塚に受かって学校を去ることになってもいいように、毎日を大切にしてきた姿勢はプロの姿勢だ。

どんな窮地にあっても必ず解決策があると考え、あきらめないのがプロ。ダンスカンパニーに選ばれようと選ばれまいと、プロの姿勢を貫くことが我が家の誇りとなる。

選ぶことの感じ

ある経営者の言葉。
「経営上の意思決定には正解はないが、間違った意思決定というのは、確実にある。道に分岐点がたくさんあって、あの道はダメ、この道もダメ、と言う感じだ。この感覚がわかる者しか経営幹部として登用できない。」

世の中正解はない。だけど間違った道というのは確実にある。
これをごっちゃに考えがち。
正解はないというのは夢を見る力、間違った道を判断できると言うのは論理思考か。
両方のバランス、注意しよう。

食べすぎはいけない

食事でも勉強でも仕事でも、消化不良がいけない。
海外出張すると、どうも食べ過ぎて消化不良になる。最初の何日かを抑え気味に過ごすと、体調もすこぶるいい。最初の何日かを食べ過ぎると、ずっと尾を引く。
ゆっくりスタート。経営も消化不良にならないように。

Thursday, May 15, 2008

地獄に落ちたままの人はほとんどいない

一歩踏み出したほうが楽。いろいろ悩んでいるより。
やることは山ほど。うんざりでめんどうくさそう。
効率よくやる方法はないかとじっくり考えるより、まず一歩を踏み出したほうが楽。

もうひとつ、ベンチャー起業なんて苦労が付きまとう。逃れられないのはお金の苦労。売り上げが思ったように上がらないなど。
倒産の恐怖もいつも頭の中に。
でも、本に書いてあった。
「実際に起業した人たちを見ると、地獄の淵をのぞいた人もいるし、地獄にいったん落ちてしまったという人もいるが、どう周りを見渡しても、地獄に落ちたままではい上がることのできなかった人は、ほとんどいない。」

ヨセフも地獄の淵をのぞいているのかもしれない。
若い頃、地獄の淵をのぞいたことがない人は、ベンチャー企業ではやとえない。
ぜったい価値ある体験だ。

繰り返す。
「どうまわりを見渡しても、地獄に落ちたままで這い上がることのできなかった人は、ほとんどいない」

形になってゆく時間の流れ

自分ひとりのことならいいけど、自分ではどうにもならないことがまわりに起こることがある。

もしもジャングルの中を家族で歩いていて、危険なこと、たとえば「川があふれ出した」なんてことが降りかかってきたら、そこにとどまって戦わずに安全な場所に移動するだろう。
もしも誰かが病気になったら、「がんばれ!」とか「熱を下げろ」と言っても始まらない。薬を探したり、安静に出来る場所を探して、自分で回復する力のじゃまをしない環境を作るだろう。

たとえばヨセフがどうしていいのかわからないという状況。こうすればいいじゃんみたいな助言は通じない。熱の出ている人に「熱を下げろ」とむり言うのと同じ。彼の回復する力を引き出す環境を作るしかない。

売り上げが落ちてきている会社で、営業マンに「売り上げを上げろ」「なんとかしろ」と言うのも同じ。プレッシャーをかけるだけですべてのことがうまくいくのか。
回復してゆく道筋を描いて、環境を作っていくのがほんとうだろう。

パニックにならないで、苦しいときを通り越すように邪魔をしない環境を作り、水が上から下へ流れていくように、力が湧き出してゆく時間の流れを見守るしかない。

形になってゆく時間の流れを見守る。

不思議な感じ

今ブダペストに仕事でひとりで来ているわけなんだけど、なんか不思議な感じ。
成田を離れたときから、初めてバスに乗ってホテルに行ったり、タクシーに乗ったり。
台湾でも一緒。人ごみの中を地下鉄に乗ったり、町を歩いたり。
ひとり宇宙をふわふわさまようような感覚。

クララもニューヨークの町を歩いて、地下鉄に乗って、図書館に行ったり、カフェに行ったり、ひとりのふわふわ感を味わってるんだろうな。

挫折感を生む中高教育が何だ!

偏差値で自分を決めてしまう。挫折感の多い人が圧倒的に多くなる。
じゃ偏差値のよかった人は幸せか?
世の中テストのように、あらかじめひとつの正解がある問題は少ない。つまり、偏差値のよかった人の能力は本当に役に立つのだろうか。逆に変なプライドで「世の中がおかしい」と言って、改革を邪魔する人になったら困る。出来ない理由を並べるタイプ。

ヨセフもルカもクララも、そんな罠の埋まっている時代に生きているということを覚えていてくれ。
大切なことは、自分の頭で考え、自分の言葉で表現し、実行に移せること。
人の才能を引き出してあげられるリーダーになること。

Sunday, May 11, 2008

考え抜かれた言葉のみ少なめに話す

もったいぶっているわけではない。
たくさん話しても、どれか表現が通じるだろうといろいろ話しても、たぶん残らない。

ふかいですねー

人間ってびみょー。
この場合はいいけど、これはムリ。それが出来るんだったらこれも出来そうだけど、本人には別物。
本の言葉もたぶん同じ。一律に解釈してしまうと硬直的になる。

前提条件をいつも確認して答えること。

人との付き合いが苦手

束ねる仕事はエネルギーが要る。
全体主義の大儀に乗っかって、建前をいう人も多い。
よく観察してごらん。
君が人との付き合いにあこがれている限り、道はぜったいにあるよ。
君にはできない、パワーのいるやり方、性格に依存したやり方、雰囲気に乗っかったやり方だけしか道がないわけではない。自分の方法がある。
ほんとは君と同じ人がたくさん息を潜めているだけ。
結構いい人がたくさんいるのに、目が曇っているだけ。
「とんとん」がないと泣き叫んだように、とらわれているだけ。

フィリピンの成功体験。この条件を見つければいい。
高校の後は年齢も同じ、授業もずっと同じといった、同質だけに支配された空間はたぶんもうない。人生80年としたら、10分の1だけが同質の空間時代。もう過ぎようとしている。これからの残りの90%は、フィリピンと同じ異質の空間。
何でこんなに悩んでいたんだろうと思う条件がそろってくる。
君の時間がやってくる。

小さな娘の手を引くお父さん

小さな娘の手を引くお父さんの姿を公園などで見かけると、胸がきゅんとなる。
いっぱい幸せをもらったよ。
みんなが小さいころ、日曜日はいつもどこかにお出かけしていた。
楽しかったなあ。
ほんとに楽しかった。

苦にならない組み合わせの幸せ

ヨセフにとってはフィリピンに一緒に行った人。

身近な例はお父さんとお母さん。

原さん

メーリングリストから知ったすごい人。以下抜粋。

「すごい人」「とんでもない人」と形容される原丈人氏。最近では、その活躍から「21世紀の坂本龍馬」と称される事もある様です。
糸井重里氏との対談シリーズでは、生い立ち、生半可じゃない趣味、経歴と肩書きの背景、同時進行のスケール感あふれるプロジェクト等、対談毎にスピードを感じさせてくれます。
更に、糸井氏との掛け合いが、原氏の語りをなめらかにしています。1年半の対談で説明されたプロジェクトだけでも・・・。
・株式会社とNGOのハイブリッド形態で、利益40%を慈善事業に使える会社を興す。
・バングラデシュ・ダッカに、WiMAXブロードバンドを導入し、大会社とする。
・バングラデシュに、XVD(画像圧縮技術)での遠隔・教育/治療システムを構築。
・スピルリナ(藻)をタンパク質栄養素として改良、アフリカ3ヶ国に投入展開。
著書「21世紀の国富論」では、米国発の金融危機を予見し、新産業を作り出すポテンシャルを持つ日本が、名誉ある国としての未来を築こうと提唱しています。
新著「新しい資本主義」では、バブル頼みの幻の好景気ではなく、皆が恩恵を受ける「本物の好景気」を目指し、日本が新しい資本主義の担い手になろうと提唱しています。
興味深いのは、こうした活動の基礎になっているのは、原氏が若き日に経験していた考古学経験。
発掘を指揮するには資金が必要、助成金を得る為に演説練習が必要と思い、スタンフォードのビジネススクールへ入学。学生時代に、多くの学生が創業者として数年で大会社なるのを見て、理由を調べ、ベンチャーキャピタルの存在を知る事に。
企業を評価するのは考古学と一緒と気が付き、自身がVCを興します。
国連に入ったのは、貧しいエルサルバドルに援助が来ない理由を自分で確認する為。実際に現場に穴掘りに入っていく性質と同じと、糸井氏に指摘されます。
VCの活動から、金融資本主義・利益至上主義に疑問を持ち、理論には理論で戦う姿勢だけでなく実例を作ろうと、バングラデシュに通信会社を作ります。
そして「公益資本主義」を提唱し、アジア/アフリカ/南米が求める飢餓・教育・医療問題の解決策を手伝うことで、良い関係を作り、かつ儲かるモデルを考えていると言います。
そんな原氏は「ゼロからつくりあげていく事が面白い」と言います。

一月間ことわられても門をたたいた

バルセロナでサクラダファミリアの彫刻を作っている外尾さん。
放浪してであったサクラダファミリアを見て、「ここで働きたい」と思ったそうだ。
それからはスペイン語もろくに出来なかったけど、やとってくれと毎日通っては追い返されたと。1ヶ月通ったときに、「じゃちょっと彫ってみろ」とチャンスを与えられて、雇われることになった。
その後はヨーロッパの誇り、世界遺産の主任彫刻家。たったひとり日本人なのに。周りを納得させてしまうのだからすごい。

君はどのタイプ?

MBTIモデルというのを知っているかい?自分のタイプを知る、相手のタイプを知るのにいいよ。お父さんとヨセフのタイプは違うかなということから、興味を持ったんだ。
チェックにこのサイト
http://www2.plala.or.jp/lifeplan/mbti2.htm
本家はこちら
http://www.mbti.or.jp/what/
こんな参考も
http://www.bbt757.com/servlet/content/3828.html

もうひとつは木火土金水(もっかどこんすい)。バランスの崩れてしまったときの対処法は何?という目で見てごらん。 実はスイス人の友達がやっていた。 日本より、欧米人のほうが納得するかもしれない。
http://shizennori.ftw.jp/u17902.html

以上ふたつを載せた目的。
「高い次元の目標を達成するためには、異なる力、異なる才能が必要である。その力、才能を束ねるには莫大なエネルギーを費やさざるを得ない。タイプが異なることによりフラストレーションがたまることもある。だが、力を合わせることのすばらしさに目を向けることこそが大切なのだ。それができてこそリーダーなのだ」
(小川政信)

君たちが人生を作っていくとき、直面する問題が「リーダーシップ」。関係ないと思っていても、必ず自分でリーダーシップをとらないと夢がかなわない、状況がよくならないときがある。必ず。
そのときのために備えること。
家庭を持つこと、子どもを育てることでさえ、リーダーシップを問われるんだから。

ブログは定着財

お父さんの考えをブログに書くことによって、お父さん自身、もやもやっとしていた自分の考えを体系的にしている。
自分自身とのディスカッションだ。
よくもまあ、いろいろ書くことがあるもんだ。
だけど書きたいと思ったタイトルだけ書いて、中身を書いていないのがまだ150ほど残っている。

テーマは家族を見ていて思ったことが多い。
家庭を持つって、いろんなことが沸いてくる場。
お父さんも勉強させられ、修行させられるよ。

お父さん的にかっこいいクララとヨセフ

フィリピンから帰ったときのヨセフ。
夢への階段を一歩ずつ登ってゆくクララ。
異文化の中でチャレンジした君たちはかっこいい。

これからは大学で何を学んだらいいか

お父さん的にはまず、大学は実践に役立つ技術を身につけるところだという認識を持ってほしい。もしも文科系を選ぶなら、フィールド調査のある学科、たとえば考古学や民俗学が絶対いい。理由はインターネットの時代、ますます現場を観察して手を動かし、調査する人材と経験が企業にも貴重になるから。考古学や民俗学はビジネスにも通じる考え方と調査の方法、実行力を身につける宝庫。
そう、「インディー・ジョーンズ博士」こそ、お父さんの理想の姿。

デザイン系もいい。洋服や建築のデザイナーだけでなく、工業デザインやWebデザインでもいい。また「スティーブン・スピルバーグ」さんや、「スティーブ・ジョブス」さん、「安藤忠雄」さんも含めて考えられる。
芸術こそ就職から遠いような気がするけど、コンピューターや途上国の優秀な人が出来ないことを身につけていないと、これからの時代はフィリピンや中国の安い人件費の優秀な人が優先的に企業に採用されるから。
賃金の高い日本人なら、それに見合う特殊なことが出来ないといけない。世界の視点で考えると、それだけ払うなら似ている中国人に頼む。日本的な雰囲気、文化がバックにあるモデルさん、女優さんなら中国人には頼めないけど。

いろいろ書いたけど、ということは何も中途半端な大学でなくてもいい。目的がはっきりしているなら、専門学校の何が悪い。

日本の企業も、高齢化で萎んでいる国内市場より海外に売りたいので、同じ優秀な人材なら日本人よりフィリピン人を採用し、そこに工場を作ることになる。日本は世界のひとつの田舎。今の世界の感覚で言うと、過疎化が進んできている山形県のようなものだと認識してくれ。 実力がないと衰退する環境から抜け出せない。一緒に沈没だ。

アカデミックで学問の研究の中で終わるような、特に文科系の科目は、3年生くらいから就職で無駄な時間をとられるし、今の大学教育ではやってきたことが役に立たない可能性が大きい。一番無駄な道。たとえ有名大学であろうと。

専門学校だと大学よりレベルが低くて、仲間とクラブ活動をやったりできないのではないかと言うイメージも間違い。勉強する気がない学生が多い専門学校は、やらされている感が強いので、雰囲気も勉強すると言う感じではないかもしれない。それは学校見学をしたり、体験入学すればわかる。

大学に行く目的のひとつに、仲間と群れる楽しい学生生活を夢見ているなら、専門学校でも心配ない。体育会に入って厳しい練習をしたいなら別だが。同好会に入りたいなら、大学である必要はない。
大学でも同好会は学校の施設を使えないので、(一般人と同じく申し込み制で確保)専門学校と条件は一緒。だけどたとえばテニスなら、一般のコートはたくさんあるし、メールで集合場所と連絡、持ち寄る分担を決めれば練習できて、練習後はみんなでお茶も飲める。そういう施設は今は昔と違ってあまるほどある。昔の同好会も今より少ない施設でやりくりできたし、大学よりよっぽど市町村や民間のほうがいい施設。

問題は君たちが、世界の視点で見ているお父さんの考え方を自分の頭で想像して検証できるか、それとも受験産業やクラスメイトの踊らされている世界を見て、そちらを正しいと思うかだ。

見栄と隠れ家

受験勉強。いくら予備校に行っても消化不良。追いつけない感覚。いっそ問題と答えを丸暗記すればいいかと考えるが、次のテストでまた挫折感。新しい分野の問題が出てくるから。追いかけっこだ。
お父さんは家の中には参考書がたくさんあった。本屋で見てみると、わかりやすそうだと思ったり、難しくてわからないけど、このくらいやらないと受験には受からないんじゃないかと思って買ったり。でも、たまった本の重さがすべて心の重荷に変わっていった。心を軽くするには、やったページが増えない限りムリ。「消化した分が心の負担を軽くする」と言う法則。
この法則に気がついて、「あせっても仕方がない、自分だけの充実感を求めよう」とあきらめ?いや達観したのが高3の10月ころだ。

あとは2つだけ心に決めた。
その1:家では出来ないから図書館に朝から行く。8時間以上そこにいること。
その2:決めた英語の参考書(いちばんやさしい長文読解集)1冊だけを、はじから理解するまでやっていくこと。

要は
「消化不良にならないよう、かみしめる」
「真面目なおとなしそうな女の子もまわりでやってるから、その雰囲気の中で恥ずかしくないように、集中を続ける」
という、見栄で自分を縛り、実質的には簡単なことを消化するという作戦だった。回りは他人だからのぞかれないので、簡単なことをいまさらやっていても恥ずかしくない場所だから。むしろずーっと集中していると言う姿をアピールしているくらい。前にかわいい女の子なんかいたら、「この子より先に帰ったら負けだ」てな具合で、見栄を張る。

自分のペース。もうこの時期にきたら、何といわれようとそれしか道がない。
追いつかないのではないかと言う不安もあったが、厚めの参考書がはじから手垢で汚れていくと、その分量がうれしくなってきた。
初めはふだんの日に学校があるから、図書館に行くのも遅かったり、日曜や連休しかずっといれなかったが、冬休みや1月にどんどん身につく速度が上がってきた感じがうれしかった。

結局、このときの体験が今でも生きている。
やらされている勉強から自分のために求める勉強。面倒だと言う気持ちに打ち勝つ、実体験と自分で編み出した方法。自分で引いたレールしか、自分のなっとくする道はない。
大企業も家業も、結局は新しい分野のことは誰も教えてくれるわけではない。自分で方法を探して、勉強するしかない。
おちこぼれた高3の受験の経験は、お父さんの企業家精神を支えている。

いっそ家出

今のままではだめだ。家庭や事業を守りきれない。だが何をとって何を捨てるのか、判断がつかない状況は苦しい。
いっそ、家出してしまって、7年間ヒマラヤの山奥にでもこもって、いらないものを全部脱ぎ捨てて、すっきりして実社会にもどってきた、と考えたらいい。

これは哲学書からの抜粋ではない。なんと、「ベンチャー企業実践教本」からの抜粋。

自分の目は、「自分の都合で曇っていて見えていないところがある」ということを忘れないで。
判断を誤らないために、ゼロベースで考えると言う方法。今の自分のしがらみは一切考慮しない。前提条件なし。
この作業は一見頭脳を使う分析作業に見えるが、本質は自分自身との対話。心の深い部分と対話をしながら、本当に必要なものを選んでいく。

お父さんは夢見がちだから、こういう本で自分をチェックしなおすと「重い」と感じるんだなあ。目が曇りがちなので、いろんな発想の軸を考えないといけない。これがまたうーんうーんとうなっていろんな道を探る作業。だから重いんだなあ。

それどころじゃない世界に目を向ける

途上国の現場に住んでボランティアや民俗学調査をやりながら、インターネットを通して勉強できる大学で、「どうしたらいい世の中に出来るか」「自分は好きなことを仕事にして、この現場の幸せにどう貢献できるか」ということを実践することができれば、最高の青春だと思う。
途上国でなくてもいい、世界の最高の人が集まるニューヨークでも同じ。
びっくりする世界に身をおくことが大事。

安住の地、我が家を飛び出して、自分の生涯が意味のあるものに、自分で作ってゆくスタートが青春時代だと思う。

年をとっても止まっている幼なじみの時間

今の人の顔を見ていない。面影や優しかった笑顔が見えている。
その人の行動、作ってきた物語が顔なんだ。

髪の毛のちょっとした決まり具合なんて、君以外見ちゃいない。

自分で解けるストレス、他の人次第のストレス

話し合える相手か。
そうでなければ、「おまえのかあちゃんでべそ」とでも言って逃げてくるか。
考えても仕方のないことってある。
とはいってもストレスで余計なこと言って、こじらすこともあるんだよな。

個の連鎖

インターネットの時代は「個の連鎖」の時代だろう。
ユースホステルのことを考えていたら、そんな発想になった。

違う個が検索などで、とんでもなく遠くの、違う個性と、マッチング。それが連鎖して、新しいものを生み出す。
ネット上の話なので、時間やよけいなプレッシャーもなく、事実に基づいた情報での判断。
漫才のような瞬間的な反応はないけど、その反面、冷静な判断が積みあがる。
言葉の問題も、パフォーマンス(数値)なども含めて補強する。
ばらばらに考えていたことも、「あなたもそうだったの?実は私も・・」てなことになったり。
統計でどっちのほうに進んでいるか、どんなグループになっているかもわかる。
それぞれの違った個性を部品化して、いろんな人が使いまわす。
ロジックだけではなく、芸術性が共感を呼ぶ強い武器となる。

「ウェブ2.0」とか「クラウドコンピューティング」という言葉があるけど、お父さんはユースホステルの旅にその原型を見た思いだ。

自分への課題でため息

ひとつひとつ執念でつぶしていくしかないんだけれど、自分で自分に課した課題に答えていくって、ため息が出る作業。
ヨセフやルカだったら、切れたり投げ出したり。
お父さんもだれもとがめる人がいないから、後回しにしたりする。
でも世の中が評価するから、結局ツケは自分に回ってくるんだよね。あとで苦しくなる。

プロへの道は、頂上の見えない山登りや大海原の航海のようなもんだ。
頂上に行く途中はあがってもまた下がるし、1500mまでの樹林帯を抜けないと見通しも悪い。
海で遭難しているときも、何日も何日も見えるのは海原だけ。このまま食料も尽きてしまうのではないかという不安だらけ。
「あ、山頂が見えた」
「あ、島だ」
この瞬間の幸せをこころに秘めて。

ためいき

本を読んでいて、自分ならどう考えるかを本の空いているところに書き込んだりする。
結構ため息が出る。
読んでいるのはベンチャー起業の本。 自分の人生や、やろうとしている新規事業のことを考えるため。そこでは3つの相手について質問に答えられるか、認識した上で行動計画を立てているかということが基本なのだが、いつまでたってもわかっているようできっちり答えられないものだと気がついて、ため息・・・

3つの相手と質問とは、
【お客さん】
 お客さんは誰か?無意識にどんなことを求めているのか
 どんな事業にチャンスがあるのか
 ターゲットのお客さんの求めているものは何か
 実際にどういう動機で、どういうものにお金を払うのか
 その事業の業界はどの方向に変化しているのか
【ライバル】
 成功しているプレーヤーはだれ?なぜ成功したのか
 成功要因につながる得意なものは何か
 ライバルそれぞれの強み、弱みは何か
 自分の弱みを補うための提携やパートナー候補はだれか
【自分】
 見てもらいたいお客さんへ提供する製品のコンセプトは何か
 最初はひとりで舞台を作るか、だれかと提携するか
 どんな作戦でステップを登っていこうとするのか
 少しでも収入と支出のバランスをとっていけるのか
 必要なスキルや協力者、お金、ものをどうやって調達するのか

一人で考えていると、もやもやっとしたまま、歯抜けの答えでほおって置きたくなる。
反面、このくらいのことをはっきり心に決めていなくて、どうしてうまくいくのかと思ってしまう。
誰かとディスカッションして答えが出ればいいけど、「それはあなたが決める問題だよ」という判断や価値観の要素も出てくる。
事実を観察して、数字で表すのに、結構な努力が要る。
どうすればわかるか、どこで何を調べればいいのか、具体的な手作りの調査方法を考えるのも大変。だって、答えの決まっていることじゃないから。

こんな理由で出るため息。
クララはどうしている?よりよい人生を生きようとすると、君も考えなきゃいけないことでもある。

応接間で人形遊び

小学校のころ、うちに応接間があった。ソファーのある応接間。
お父さんはそのソファーに寝そべって、人形(プラモデルのロボットだったと思う)を持ち、空想にふけっていた。結構長い時間、そうやってすごしたことがある。

構想する至福のとき

ベンチャー企業の仕事は、思ったとおり売り上げが上がらないことが普通。
これ、きついね。
修正するため、別のアイデア(仮説)を作る。仮説検証の繰り返しみたいなもん。
苦しいなりに、仮説を構想するときは至福のときでもある。

つまりお父さんも、よく「どつぼにはまる」という訳だ。
そろそろやばいなあ・・・

サーフィンになっちゃう

グーグルのトップページは、記入をする枠がひとつのシンプルなもの。これが考えれば考えるほどとてもよくできている。

たとえば何か調べようと思ったとき、昔は関連分野の本や雑誌を見て調べた。本を全部ていねいに読んでいると疲れてしまって「いったいどこに必要なことが書いてあるんだ!」といいたくなる。ということで、妥協して最初に目に付いたことをだらだらっと写す。調べようとしたことからどんなことを発見したか、どうすれば一番いいか、価値のある新しい考え方はこれだ・・・なんていう結論まで考えることはほとんどなかった。書いてある、新しく知った知識の受け売りをひけらかすだけ。その情報源がテレビのニュースや同じ番組だったとすると、「あ、それ私も見た」で会話は終わってしまう。続いても「すごかったね」や「ひどいね」で、解決策などは出てこない。
まるで山を登るとき、1合目から舗装道路を歩いていって、5合目あたりでギブアップといった感じ。本当の山道を歩かずに。

グーグルはストレートに関連する文書の一覧をだしてくれる。うまく利用すると考える時間を持てる。
5合目の駐車場まで車で行って、その後山道を頂上まで歩いてゆくような感じ。

ただし、ネットサーフィンになってしまうといけない。迷子になって遭難する。
目的の言葉をずばり入れて、新聞をずっと読んでいくようなサーフィンにならないこと。新聞記事も興味のある用語を入れて、RSSで記事を選んで送ってもらうことが道に迷わないということ。
そんな時代を反映したのが、グーグルのトップページだ。

大きな木はいいなあ

お父さんの好きな場所のひとつに「美女林」がある。越後湯沢の近く。ブナの林だ。
なんでも明治の初めに炭を作るため、木を切って山を丸坊主にしたら、その後自然に木が生えてきて出来上がったのがブナの林。
とっても落ち着く場所だ。
大きな木の根元はいいね。

西岡常一という宮大工さんが書いた本を読んだことがある。木は樹齢100年の木なら100年、300年の木なら、切ってから300年もつという。
第2の人生も、同じだけあるんだなあ。

問題か問題でないかは「程度」で決まる

問題だと思うことも、成功したと思うことも、程度で決まる。天国へ行くか、地獄に行くかは、ある程度を境にしているわけだ。

TOEFL550点のレベルに達していないから、これは問題だ。
黒字で1000万円儲けたから、これは成功だ。

ここでよく考えてほしい。
程度は誰が決めるのか。
何を基準(ものさし)にするのか。

「お父さんは小さな会社で儲かってないからみじめ」とヨセフが思っていたとしたら、お父さんにとってはまったく逆。青天のへきれきだ。
おじいさん、おばあさんばかりの会社でも、みんなひとつになって変わってきている。いくら業績がよくてもバラバラだったらどうだろう。今はこんな自分たちでも、それぞれがひとつの方向に向かってチャレンジしているから楽しい。
最も平均年齢の高いIT会社で、未来の基礎を作ることが出来たら、すごい物語じゃん。これが楽しくなくて何なんだ。
お父さんの程度を測るものさしは、こんなところにある。

旅の醍醐味は不安を楽しむ

イギリスのリチャード・ブロンソンというバージン航空の社長が、気球で南極に行ったり、山登ったりの冒険をするという話を聞いた。
「リチャードさん、なんでわざわざそんなことするんですか?死んでしまうかもしれないのに。」
「不安を楽しんでるんだよ。経営も同じだろ。」

これを聞いてお父さんは思った。
「ひとり旅と同じだ。」
不安と言う舞台の中で展開される物語を楽しんでいるわけ。
不安の先には新しい出会い、他の人だけでなく新しい自分との出会いも含めて、新展地(可能性)があるんだ。

自分の言葉でというルール

ルカもヨセフもクララも、
自分の言葉で考えを表しなさい。
宿題のレポートも、意見を求められたときも、アルバイトをするときも。
それはほんとに自分の言葉かどうか、確認してゆけばいい。

人の考えに賛同してもいいよ。

違っていることは価値なんだ

人と違うことを恐れるな。
きっとそれは君の価値にできることなんだから。

より本物の価値になるためには、
「守、破、離」

素材と順番とタイミング

リーダーの役割。
1.まず方向性を決めること
2.そのあとに具体的にするための手順とスピードを決めること。

やってみせる。自分で出来なければやれる人を連れてくる。

何をやるかどっちに行くか方向性を決めることは、いろんな角度から検討すること。その上で、素材を集め、加工する順番とタイミングを決める。

自分の夢をかなえるには、自分が自分のリーダーにならなければならない。

考えてなくても意見は持つ

新聞や雑誌、ニュースを見すぎると、「考えて無くても意見は持つ人」になってしまう。 酒飲んで酔っ払ってくだをまいている人も「意見は持っている」といえる。
自分でよく見て調べて考えた結果でないと、おかしなことになる。

その意見の前提条件は何?
どういった場合に言えること?
ほんとに事実と言えるのか?
矛盾はない?証拠は?

本も同じかな。だから読みっぱなしでなく、書いてみたり味わう時間を持つ。

ヨセフの教会

バルセロナのサクラダファミリアは「ヨセフの教会」だそうだ。
そう聞くと親近感がある。

ドンキホーテの言葉

なんだったっけ、感動したのにわすれちゃった。
だから検索。あった。

 「人生自体が気狂いじみているとしたら、一体本当の狂気とは何だ、本当の狂気とは。
夢におぼれて現実を見ないのも狂気かも知れぬ。
現実のみを追って夢をもたぬのも狂気だ。
だが一番憎むべき狂気とは、あるがままの人生に折り合いをつけて、あるべき姿のために戦わないことだ」
(脚本・デール・ワッサーマン、訳・森岩雄、高田蓉子)

知ってるのに何でやってみないの?
ということ。

言葉に直して味を覚える

味覚は覚えられないそうだ。覚えるためには、いったん言葉に表すことが必要なんだって。

ユースホステルは連鎖があった

ユースホステルを使って若いときに旅をした良さ。それはスタンプラリーのように
「今度はここに行ってみよう」
という連鎖があったから。
行くとそこで出会った人に別の場所の魅力を聞く。ユースにいる同年代のヘルパーやペアレントさんからは、そこ周辺の魅力を教えてもらう。
始めて出会った人と一緒にそこを探検したり、人の話にあこがれて次の目的地を決めたり。同じ旅人。一期一会。
もしもユースホステルが無かったら、観光ガイドブックで書いてあるとおり確かめに行って、写真を撮って終わり。記憶からもすぐに消えただろうし、発展も無かっただろう。

今はインターネット上のSNSなどに、似たような連鎖が見られる。
だけどお父さんは現場を見る、全身に受けるリアルのインパクトが貴重だと思う。自分で運命を切り開く力をそこで育ててもらったから。

あの全国のユースが載っている「ユースホステルハンドブック」と、訪問したユースでオリジナルのはんこを押してもらえる会員証兼スタンプ帳。あのツールは日本独自のものだったのかなあ。振り返れば、あれがすばらしい役割を果たしたと思っている。

具体的に相手を想定するメリット

なんとなくいいアイデアが浮かぶ。なんかすごいことをやれそうな気がする。
成功するために、ちょっとしたコツがある。具体的な相手の名前を出して、何をしたらどうすごいか。相手の人には何をメリットとして提供できるかも具体的に書き出す。
「その人はなんて言うだろう。」

具体的に相手の名前を入れないと、成功しないことが多い。この2つがお父さんの経験則。

1.具体的な相手の名前を想定して、具体的に何をしてゆくか道筋を考える。
2.具体的にどんな価値をもたらすことになるかを書き出す。

クララの場合は、誰(どういう人)を相手に見せたい演技をするのか。
ヨセフの場合は、誰(どういう人)を相手に何を話したいのか。

おどろかせてくれ

マッキンゼーと言うすばらしい会社がある。
その会社でよく言われること。
「価値(バリュー)を出せ」
お客様や同僚に、君はどんな価値を差し出せるか。
価値を出すために勉強する。知恵を絞る。持っているものすべてを動員する。

君のバリューは何?って聞かれて、すぐに答えられるか?もちろん聞いた相手にとってのバリュー。ちなみに入試や就職の面接では必ず聞かれる。
たぶんそれは
「質問した人にとって価値のあること」
「他の人にないもの(違っていること)」

面接官ではなく、憧れの人に聞かれて答えられるように、勉強し、訓練し、努力しなさい。お父さんはこれが幸せへの道筋だと思う。
バリューで驚かせてくれ!

ひとりになると読むブログ

ふだんは忘れていて、一人になったときや、リスクに立ち向かうときにふと読みたくなるブログ。
それがお父さんの理想。

提言ひとつだけ

いろいろアドバイスしてもできないよ。
いろいろ言いたくても、ひとつだけ選んでアドバイスしてあげなさい。
相手の言っていることをよーく聞いて何が要か。見抜け!

あれ、前にも言ったっけ?

リスクをとらないだけ

「話しかけて無視されたり、変なやつだと思われたり、気まずかったらどうしよう。」
こう思う気持ちは誰にでもある。自分が変に見られるんじゃないかと思う。リスクだ。

リスクには必ず範囲があるということを知ってほしい。
たとえば、ケース1:
ブログを読んでくれた君にお礼として500円あげよう。もしコインを投げて裏が出たら0円、表が出たら1000円というのも選べる。そのまま500円もらうか、コイントスをするほうを選ぶか(2分の1の確率で1000円になるよ)、君だったらどっちを選ぶ?

それでは、ケース2:
お父さんは君を愛しているから1億円あげよう。もしコインを投げて裏が出たら0円。表が出たら2億円に増額しよう。君ならそのまま1億円もらうか、コイントスをするほうを選ぶか。

コイントスは2分の1の確率。0円と2億円を平均すればそのままもらうのと同額。
どうだい?

どのくらいの範囲のリスクをとるか、切り分けて考えてほしい。 500円と1億円を一緒にしていない?
なかなか話しかけられない人は安全志向なだけ。ちっともおかしくない。
一つ言わせてもらえば、そのリスクが自分の人生や夢に脅威を与える範囲かどうか。それをしないことでもっと大きなリスクがやってくるかどうか。

旅の空に病んで

夢は枯野を駆け巡る・・・
こう続くと松尾芭蕉の句になる。

ボリビアのラパスで高山病になって、ひとり安宿のベッドに寝ていたときは、実感したなあ。

旅の中でいい出会いなどの幸運が続く波と、不運が押し寄せる波。
ずっと不運と言うこともない。次の不運の波が来ても慣れてくる。
舞台の上にいるような、運命の波の押し寄せるような感覚も旅の醍醐味。

髪の毛の手入れだけじゃ

お年頃になると、男の子も鏡の前でずーっとヘアスタイルをいじっている。彼女が出来るようにとか、かっこよくなりたいとか、仲間にばかにされたくないとか。

もっと具体的にしよう。憧れの娘と付き合うことが出来るように。
かわいくて頭がよくて性格もいい女の子。
さて、君は釣り合うくらいに人間を磨いているか。ヘアスタイル以外に君を輝かせる価値は?かっこよかったら付き合ってくれるのか?何が相手にとっての理想?

憧れを実現するように、具体的に考えて行動を見直すことが、人を一番成長させる。
やるのは君一人しかいない。
ほかに手伝ってほしいことがあったら、具体的に何をしてほしいかはっきりさせて頼むことだ。

すごい人と一緒に仕事したい

お父さんも一緒に仕事をしたい人がいる。発想豊かで、思いもよらない方法で事業を展開していて、俺についてこい的なカリスマと言うより、さらっと場を作って進めてしまう。そんな会社をやっている人がいる。いろいろ持っている引き出し。お父さんより10歳くらいは若い人だけど、その人から勉強したいことがたくさんある。

さて、お父さんは考えた。どうすればこの優秀な人と一緒に仕事を出来るようになれるか。
ギブアンドテイクの関係にならないと、きっと仕事として続いてゆかない。
ということは、お父さんのやっていることをとがらすしかない。その部分だけは他に代わりが無いものになって、その部分が相手の人のやっている会社にとって役に立つものならOK。

どこを磨いてとがらしてゆくか。それはお父さんにも有意義なことなのか。お父さんも勉強して深く考えて、具体的にしてゆくんだ。

急がなければきっかけで人は変わる

ただし日記を習慣的につけていれば。

ミステリアスな魅力

磨いて磨いてゆくと、最初の根っこは離れてしまう。
高い所にあたかも昔から存在していたように見えてしまう。
なぜあんな所で輝いているんだろう?
ミステリアスな魅力。
なんのことはない。スタートは同じ。
根っこは同じ足元からはじまっている。

広い大地でのびのびと

若い頃を過ごさせてあげたい。

わかちあえる仲

気がつかない人が多い。
視野が狭くなって、自分を不幸だと思っている人が多い。
まわりと比較することばかりで価値を決めている人が多い。

分かち合える仲は、自分が変わらないと味わえない。

使命って何?

いろんな可能性や選択肢があると思っている若い頃は、アフリカの現実を見るなどのショックを受けないと使命なんて考えないかもしれない。使命って考えたとき、その長く遠い道のりを想像してしまう。そして同時にいろいろな選択肢を捨てることになる気がする。分かれ道が目の前にあって、どっちに進むか決めるような気分。まわりを見ると現実はそんなオーバーなものではなく、ちょっとしたきっかけでその方向に回り道しながら、だんだん近づいていくと言うのが多いのだろう。

目標や使命は自分の人生を狭めたりしない。
逆に広がる。
目標や使命は窮屈で苦しいものではない。
逆に充実感と幸福感がある。

仕事を通して夢を実現するのが一番いい。

やろうというエネルギーが無いと作品は完成しない

はじめの一歩をふみだす、いきなりドカンと何かやるのではなく、助走をつける、テレビの待機電力のように小さな動きを習慣化する。
世の中でうつ病など、やろうというエネルギーがなくなる状況はだんだん広がってきているようだ。
商品を見ればピカピカで、自分ひとりの力では到底出来ない完成品が並び、テレビに出ている人は才能あふれる美男美女(最近は反動なのか、あほな若手芸人も多いけど)、こうあるべきだという受験の情報、競争社会、どれをとっても自分からえらく距離がある。消費者としてはあたりまえのものでも、作る側になると自分じゃとても出来ないもの。あるとき突然ギャップに気がつく。これで「無理!」ってあきらめてしまうと、何もやる気がなくなる。ただ、いいものを選んで消費するのみ。

作る側は地道で長い積み重ね。作品を磨いて磨いて、やっとそこまできている。その長い道のりを想像できない人は多い。気がついたら、ずーっと先に先頭集団がいるマラソンランナーのような絶望的な気分になるだろう。
かといって悲観することはない。必ず時代には断層がある。工芸品の職人さんの技は絶対追いつけないと思っても、技術がNC加工機という微細精密加工の機械を生み出すし、コンピューター制御が取って代わることって多い。
労働力が安い国やコンピューターで出来ないことが価値。デザインだったり、表現力だったり、がんばる物語だったり。

どんなに手の届かないと思われる夢や作品も小さく行動を起こしてみる。
やろうと言うエネルギーを持つと言うことも価値なんだね。

結局自力本願を中心にすえなきゃ

海外のビジネスパートナーと協力関係を築くとき、あわよくば売ってもらおうと言う他力本願の気持ちを持ったらいけない。自力本願で行かなくちゃ。
両方にメリットがあるとしても、十分に検証されるまでは慎重になる。「多少英語の部分が終わっていない、とりあえずはテストサーバーで確認してもらおう」などは甘え。信頼関係が構築されるまでは、時間をかけて後戻りしながらやるしかない。
完璧で簡単、そして美しい。
商品を磨いて海外に出ると言うのはこういうこと。

これは日本の国内でも同じ。
だれも不完全なものは買いたくない。いずれ直すとわかっていても、直った時点で初めて検討開始。それじゃお金がいくらあっても足りないと、売る側の理論でいらいらしても通らない。
初めにたくさん投資がかかるわけだ。
あとは複利。どんどんよくなる。

輝いて見える瞬間を残したい

写真やビデオで君たちの小さい頃の家族の風景をたくさん残した。
大きくなった君たちには、このブログをプレゼント。
象の背中じゃないけれど、サイバー上のどこかに残してもらっているお父さん。
どこでもいつまでも君たちと共に。

卒業

ヨセフはフィリピンに行って変わった。
まだ朝寝坊したりすることもあるけど、メールの返事は返すし、相手の立場も理解するし、小さな自分の闇から抜け出した。
大学進学への意欲が伝わること、自分から予備校も選んで具体的に行動を起こすという面も、今までとは違っている。
予備校で同級生と会うことがあっても、もう気まずくない。
長い闇から抜け出したことを、ずっと気にかけてくれていた先生方も喜んでくれている。
今度先生方が卒業式をしてくれるそうだ。
本当にうれしい、感謝にあふれた卒業式だ。

レストランの選び方と経営判断

レストランを選ぶとき、インターネットでもなく雑誌でもなく、お父さんは自分と「おいしい」と思う感覚が同じ人のアドバイスを選ぶ。はずれない。
松下幸之助さんも新しい事業を任せるとき、何人かの意見を聞いて、自分の感覚に一番近い人に全て任せたと言う。そうすればうまく行かなくても後悔しないからだそうだ。
センスの問題。

「お父さんだったらどう考えるだろう?」

ときどきそんなチェックを自分の考えに入れてごらん。お父さんでなくてもいい。お母さんでも、先生でも、本の中の人でも、歴史上の人物でも。

「ふつうに友達と映画を見に行くこと」がうれしい

なんでもないことが出来る幸せって、あるよね。
お父さんやお母さんはその幸せを感じることが出来る。

英雄の旅の物語

芸術系の成功者(とがった人)のたどるパターンに3つのフェーズがある。

【フェーズ1:本であこがれる】
  「建築をやってみたい」「彫刻を彫ってみたい」などの動機が生まれ、いろいろな本で作品を知る時期。
  本を読み漁ることで、「作品を作った芸術家のことをもっと深く知りたい」から「実際に見てみたい」となる。
  本の中を旅して憧れが強くなる。

【フェーズ2:海外放浪体験】
  一人旅で言葉がろくに通じなくても、「作品をこの目で確かめてみたい」という強い気持ちで動かされる。
  「どうせ学歴がないからこのままじゃ認められない。それならやってみよう」とか「どうせ一度の人生だから後悔しないように」とか「時間があるのは今しかない」という考え方で決断。行動開始。
  出会った人によって予定が決まるような放浪の旅。
  強烈な印象を記憶に刻む。

【フェーズ3:作品化で追求し続ける】
  仕事として作品作りに取り組む。
  構想力がフルに発揮される。忍耐強く構想を完成形へと作っていくのだが、コンセプトや顧客の意図を汲んだ、まだ顧客にも見えていないニーズを見出す力を要求される。
  今までの権威に乗っている人と戦い続ける。
  主に外国で評価を受けてゆく。

そして英雄の旅の物語もこれに似ている。
たとえばロードオブザリングを思い浮かべてごらん。
(引用はダニエルピンクの書いた「ハイコンセプト」から)

英雄の旅の物語は三つの部分に分けられる。旅立ち、新たな世界に入る「イニシエーション」、そして帰還である。
英雄はお告げを聞くが、初めは拒絶し、その後、一線を越えて新しい世界へ踏み出す。
イニシエーションの間には厳しい試練が課され、底知れぬ絶望を味わう。だが、その過程で、たいていはよき指導者が現れ、かけがえのない授けものをもたらしてくれる。
そして英雄は、新たな人格を持った人間へと生まれ変わる。それから、もとの世界に戻り、ふたつの世界の長となって、両方の世界の改善に全力を傾けるのである。

それまで存在していなかった

ニューヨークでもう一つ上を目指すクララ。教えてもらうだけでなく、クラスにもたらすものを磨く必要がある。生徒の視線だけでなく、お客さんや、先生の立場だったらどう思うか、これを考えること。Jazzの話、以前したよね。作る立場でいるから楽しめる。
それを今から準備したらきっと、君は存在して、仲間にも入れてもらえるよ。

お父さんがイギリスのソフト会社の開発したソフトを売っていたときのこと。使い方、売り方を聞いてそのとおりやってたんだけど、どうも売れない。手足となって、いわれたとおりやるだけではだめだ。そう思った。
「日本で売れるためには、こうソフトの機能を改良してもらいたい」という逆提案をパワーポイントに書いて送った。お客さんのところを歩いて感じたことから構想した改良点を書いたもの。
結果的には海外でのニーズの違いから、開発の優先順位はあまり高くしてもらえなかった。費用もかかるからね。
そのかわりしばらくして、他の国のビジネスパートナーから言われたんだ。お父さんの提案はよくわからないところもあったけど、すばらしいと思うといった趣旨でメールをもらった。
それはお父さんにとって「仲間に入れてもらった」と感じた瞬間だった。

この体験を海外で成功した日本人に話したとき、「あなたはそのときはじめて「存在した」んだよ」と言われた。
お父さん、それまではいないのも同然だったんだよな。

高度な理解の中の喜び

クララの新しい学校選び。すばらしい。

日本に活躍の場がなくなった18歳の春。
吹き出してきた矛盾。育った場を追われる。それでも自分を見失わないように踏ん張った。
お父さんやお母さんの意見から決めた留学。準備は十分ではなかったと思うけど、まずは飛び込んでいった。そこで待っていた言葉の壁。
才能を疑い、夢をいったんはあきらめた時もあった19歳の春。
ロスの一人旅のあとで見つけた、スーッと聞こえてきた英語。また沸いてきた夢への再起動。
働きながらお金を貯めて、夢への情熱を持ち続ける人たちを見た。えらいなと思った。働いていない自分。だけどその上で、自分に与えられた環境を生かしてがんばることを学んだ。何に集中すべきか。時間の使い方。
バレエの先生方の一言。そしてブロードウェイへ歩き出した20歳の春。

階段を上っていくたびに、それまでは出会えなかった、高度な理解の中での喜びを知っただろう。
求め続ける人のみに与えられるプレゼントだ。

もういかない、やる気出ない

ルカのこの武器に対して、どう対処するかが最近の課題。
パラダイムの変換が必要。つまり「勉強追いつかなくなるよ」という「こちらで描いた未来への不安→やらせる」から「引き出す」へ。
「いろいろ才能も時間もあるのに伸ばさないのはもったいない」とマリアも思っているけど、言うことは「引き出す」ではなく「押し付ける」と受け取られる。

クララのようなはっきりした目標がある場合、じゃまにならないことが大切。お父さんの思い込みやマリアの思い込みは、育った時代にできたもの。似て非なるものを見分けられないことがある。

ヨセフもスイッチが入ったけど、その後のエンジンを回し続けることに課題がある。自分の理想的な時間の使い方に集中できる、居場所をさがして、避難してもらう事。

やはり一番難しいのはルカ。ディスカッションというお父さんの苦手なスキルが必要。指揮者のようなタクトのコミュニケーション能力が必要。
相手を打ち負かすディベートではない。利害が対立する交渉でもない。新しい落とし所を考える議論。
もっとお父さん自身、勉強しないといけない。

うけたらさっさとひっこめ

これ、鉄則。

最高の家庭を作る(君たちの家庭つくりのシュミレーション)

今は君たちが子どもで、僕がお父さん。
みんな家族を演じている。
そして20年後は君たちがお父さんお母さん。まだ見ぬ子どもたちがいる。そう、立場は逆転するんだ。
君たちの未来の家庭つくりのシュミレーションなんだな、今は。

もうひとつ。家庭作りはいつもチャレンジ。経験したことのない時代に生きている。過去は知っているけど、今と条件は違う。だからお父さんの気持ちを切り替えなければ。
学校に行かなくなった子が家にいたなら、「自分でわが子を教育できるチャンス」と考えればいい。
本当は自分で考え、行動する子になってほしい。
それには、まず動機。
それから冒険心。
加えて、ほかに頼る人がいない中での「やるっきゃない」という腹を据えた気持ち。
20年後、あわてるなよ。今がシュミレーション。