見栄と隠れ家
受験勉強。いくら予備校に行っても消化不良。追いつけない感覚。いっそ問題と答えを丸暗記すればいいかと考えるが、次のテストでまた挫折感。新しい分野の問題が出てくるから。追いかけっこだ。
お父さんは家の中には参考書がたくさんあった。本屋で見てみると、わかりやすそうだと思ったり、難しくてわからないけど、このくらいやらないと受験には受からないんじゃないかと思って買ったり。でも、たまった本の重さがすべて心の重荷に変わっていった。心を軽くするには、やったページが増えない限りムリ。「消化した分が心の負担を軽くする」と言う法則。
この法則に気がついて、「あせっても仕方がない、自分だけの充実感を求めよう」とあきらめ?いや達観したのが高3の10月ころだ。
あとは2つだけ心に決めた。
その1:家では出来ないから図書館に朝から行く。8時間以上そこにいること。
その2:決めた英語の参考書(いちばんやさしい長文読解集)1冊だけを、はじから理解するまでやっていくこと。
要は
「消化不良にならないよう、かみしめる」
「真面目なおとなしそうな女の子もまわりでやってるから、その雰囲気の中で恥ずかしくないように、集中を続ける」
という、見栄で自分を縛り、実質的には簡単なことを消化するという作戦だった。回りは他人だからのぞかれないので、簡単なことをいまさらやっていても恥ずかしくない場所だから。むしろずーっと集中していると言う姿をアピールしているくらい。前にかわいい女の子なんかいたら、「この子より先に帰ったら負けだ」てな具合で、見栄を張る。
自分のペース。もうこの時期にきたら、何といわれようとそれしか道がない。
追いつかないのではないかと言う不安もあったが、厚めの参考書がはじから手垢で汚れていくと、その分量がうれしくなってきた。
初めはふだんの日に学校があるから、図書館に行くのも遅かったり、日曜や連休しかずっといれなかったが、冬休みや1月にどんどん身につく速度が上がってきた感じがうれしかった。
結局、このときの体験が今でも生きている。
やらされている勉強から自分のために求める勉強。面倒だと言う気持ちに打ち勝つ、実体験と自分で編み出した方法。自分で引いたレールしか、自分のなっとくする道はない。
大企業も家業も、結局は新しい分野のことは誰も教えてくれるわけではない。自分で方法を探して、勉強するしかない。
おちこぼれた高3の受験の経験は、お父さんの企業家精神を支えている。
0 Comments:
Post a Comment
<< Home