あとからひとり、またひとり来た
クララは大好きなバレエ教室を、理不尽なことで去らなければならなかった。
夕食の食卓を囲んで、おとうさんが家族にするような話を書き残してゆくブログ。 家族の歴史。
クララは大好きなバレエ教室を、理不尽なことで去らなければならなかった。
お父さんも就職したばかりの頃、毎朝早く、会社の近くの喫茶店にモーニングを食べに行った。コーヒーを飲みながら、本を読んだり、1日の段取りを考えた。
クララやヨセフと一緒に行った外国の旅。お父さんの経験した感動や不安、出会いは再現できなかったけど、君たちにとっては初めてのことばかりだったろうね。ひとりで地下鉄で移動する、練習になったかな。
旅で体調を崩すことは怖い。お父さんも旅の間に病気になって困ったことが何度かあった。
お父さんは2週間や3週間、日本食を食べなくても大丈夫みたい。でも旅先で調子悪くなったり、食欲がわかなくなったときはどうするかというと、レストランでスパゲティーを頼む。
それは晴れ舞台を夢見て、自分だけの練習を重ねる場所。希望と時空をかけめぐる空間となる。
ブダペストの路地。小さな腰壁を利用して、自転車の曲乗り練習をしている若者がいた。まばらな通行人。通り過ぎるたびに小さな腰壁のエッジにジャンプして、そこで自転車をターン。傷だらけだ。
「人間にはミスがつきもの」というのがどうやらイギリスの前提らしい。
海外を旅すると、運命の波が周期的にやってくるのを感じることがある。
情報はかんたんに発信できる。だから中身が大切。
日本ではただで教えてあたりまえってところがあるんだよね。
自分の実力では理解できないことがある。技術の場合、たとえばプログラミングに関すること。わからないので相手の技術者と話にならない。相手にしてみれば、共通の理解できる技術レベルというのに達していないと、理由を説明しても時間ばかりかかって、判断の共通点が見つからないことがある。
メールというのは便利だ。携帯のメールはすぐ呼び出してしまうので、これは使い分けなければいけないけど、一般のパソコンのメールは、思いついたら夜中でも用件を書ける。細切れの時間を使うことが出来る。
アフリカに技術だけ持って行ったのでは根付かない。協力隊時代に思ったこと。考え方やシステムをあわせて根付かせないと。経営と同じ。
様子を見て時間が過ぎてゆく。何もしないで過ぎてゆくようで、気持ちが焦ることもある。だけど必ず必要な熟成期間だと思う。
ヨセフと松本へ行ったときに泊まったホテル。吹き抜けのロビーに大きな暖炉があった。お父さんが単身赴任で福岡にいたころ、宿舎の近くに山小屋風の喫茶店があった。そこの暖炉が大好きだった。松本のホテルの暖炉は、それを思い出させてくれた。
30年前、初めての外国はロサンゼルス空港だった。大韓航空の安い便で、夜9時半過ぎに到着。一人旅。だれも迎えに来るはずも無い。
タイトルだけ、思いついたときに書いて保存してある。内容は後から書いている。
自分が相手に送った文書も残っているというのが、お父さんにとってありがたい。あとで探して、言った言わないも検証できる。だから内容はタイトルに書いたことひとつだけ。いくつも別のことを書かない。
どこの外国の家庭に行っても聞かれるのが、「飲み物は何がいい?コーヒー?紅茶?」「お砂糖は?」「ミルクは入れる?」
お父さんの解釈は、ひとりで集中して何かを考えて組み立てるのに、一番邪魔がなく、快適な場所だから。
ひたすら自分の体の感覚と向き合う。壁は無常にも、打ったとおり返してくれる。強すぎれば強く、コースが悪ければあちらの方向へ。無理をすると続かない。リズムに乗れない。ちょっとの狂いがだんだん広がってゆく。微調整、修正には力を抜くこと。
テニス部の会計をやっていた夏。あんまり暑いんで、部費ですいかを買って持っていった。いつもボールを買うことばかりに使っているのに飽きたから。後輩に「いいんですか」と白い目で見られた。
22歳のときのお話。サンパウロで。
なかなか出来ないけど、ある時期すごく真摯に取り組むことが出来る。その時期の達成感を忘れないように。
江戸時代に花火が盛んになったのは、大名が力を持ってしまわないように、火薬を遊びにしてしまったわけ。戦争をあっちこっちでしている間は仕事として火薬職人は働いたけど、元禄時代は戦争が無い。火薬職人が「仕事よこせ」となっては不安定な世の中になる。だから無駄な予算を使わせて、花火大会で大衆を喜ばせた。
リーダーは特に、そのことを伝えていかなければいけないだろう。「君の言いたいことはこういうことなのか?」
外国では随分誉められているようだね、クララ。
なるべく安いほうが感謝されるから、利益を取るのが悪いことのように思われるときがある。江戸時代の悪徳商人を初め、シェークスピアのシャイロックも悪者。印象悪い。
サムライの時代の職人気質は、主をたてることで生き延びてきたということを読んだことがある。技術に対して真に良いものを作ろうと、ひたすら努力する。そのことに集中する。
地下鉄の切符売り場。日本人らしいおばさんが助かった!と言う顔で、お父さんのほうへ近寄ってくる。
やらされていることはつまらない。必要性がまったく無いわけではないなら、そこに自分の夢や憧れにつながる価値がみつけられるかだ。それがどういうものか、どんな点で貢献するかを具体的にイメージできるか。
洗濯物がたまっていると気になるけれど、干すのが大変。特に靴下。
ひとつひとつのことにかたをつけていく。
お父さんは随分これで得をした。おじいちゃんに言われてしぶしぶ始めたのだけれど、旅などでお世話になった人、泊めてもらった人などに書くことで、また何度もお世話になることが出来た。
2007年の夏の日光キャンプ。楽しかった。
海外出張へ一人で行くと、何度もやり直ししなければならないことに出くわす。
これは主に仕事上でのつきあいの場合。人間関係を深めようと過剰に飲んだり付き合いを強調するが、よく考えてみると結構流されてやってることが多い。
マリアが言った。「ブログのテーマだけ1年も前に書いてあるのに、よく思い出して内容が書けるね。」
昔は少年ジャンプより少年チャンピオンがおもしろかった。マンガを買うのはおこずかいがへってもったいない。だから床屋さんに行ったときは店に入るなり、すぐに少年チャンピオンに読みふけった。床屋さんはマンガを読みに行くところだった。
中華街って言うのは、かつて日本にきた外国人技術者の居留地の近くに出来たそうだ。バスのガイドさんが言っていた。なぜかというと、その外国人技術者が中国人のお手伝いさんを連れてきたから。
考えてごらん、遠い未来のことでなくてもひとりで旅に出れば、次に何をすればいいかもわからない。腹がへって食堂に入って、そこが高いんだかおいしいんだかもわからないし、メニューを見たって知らないものがあるかもしれない。それが外国だったらなおさらだ。
ふつう左上から右下に向かって書いてゆくのだけれど、発想を進めるには、ノートの左下から始まって右上へと書いていくのがいいそうだ。大前さんの本に書いてあった。
ヨセフはよく現実から逃げていると思うのだが、ずっとは逃げ続けられないと言うことも真実だし、逃げたほうが長い目で見ていい場合があるのも真実。
汗が出るほど考える、もうこれ以上ないかと思うほど考える。ほかに考えられる条件や要素はないか考える。何度考えても同じパターンになってしまう。
お盆と言えば阿波踊り。この時期に徳島へ渡るのは大変だった。
国レベルではあること。戦争の記憶を簡単に忘れないで、後々まで伝えてゆく。
お父さんがお酒をつくっている蔵の社長兼杜氏さんから聞いた話。40歳代の人だけど、いい麹つくりにとても研究熱心な人。
朝6時、東京駅はやっとひとつふたつのお弁当屋さんが店を開ける。
おじいちゃんを温泉に連れて行くと、お父さんはほめられる。レンタカーを運転するだけで、旅費を全部出してもらっていてもだ。
下手をすると甘やかしになるのだけれど、お父さんが子供に対して思っていることはいい満足をさせること。
雨が上がる前の、たちこめたもやもやとした灰色の雲のかたまり。君はこれがわかるかい?
思ってもみないことを言われて傷ついたりしたら、疑心暗鬼になって人間関係に不安を覚えるのだろう。
だれも自分がしわしわで白髪のおじいさんおばあさんになる姿を想像できないけど、現実となる日がくる。もう人生半分以上を過ぎたお父さんだって、自分の歩くのがやっとになる姿は想像できない。君たちが思っている以上に若く、知らず知らず20代後半くらいの気持ちでいる。
自然への恐れが今は昔より少ない。どちらかというと、何をしでかすかわからない町の中で出会う人のほうが怖い時代。社会人になるとストレスもたまってくる。人が原因のいらいらや恐れ。
本屋さんで見かけるほとんどの本が、なにかの解説本だという。もとになる情報をかみくだいて書いている本。参考書のようなもの。だから注意しないと、おおもとになる本に書いてあることとニュアンスが変わってくることがある。
小学校時代の先生は、モノクロ写真を撮るのが好きだった。自分のクラスの児童をよく写真に収めていた。そして自分で現像、焼き増しするのだ。
クララの番組。一途に夢に向かって、時間を積み重ねてきた歴史があるから、その裏にある物語を感じて人は感動する。
知恵の積み重ねと、たくさんのエネルギーと、安定した社会と、それを守り受け継いできた情熱と。
真面目にやろうとすると大きな矛盾を感じてしまう。現地の人と一緒の食事や一緒の寝具という生活レベルではとてももたない。同じ場所にいるけれど、自分は何倍もの生活費をもらって、いい物を食べているアフリカでの暮らし。自分のものを分けあたえたら、最初にまいるのは自分。だからあげられない。せめてまわりの人たちが協力的で、貧しい中でも明るいのが救い。