お父さんからの伝言

夕食の食卓を囲んで、おとうさんが家族にするような話を書き残してゆくブログ。 家族の歴史。

Sunday, August 26, 2007

あとからひとり、またひとり来た

クララは大好きなバレエ教室を、理不尽なことで去らなければならなかった。
深い失望と孤独と悲しみがあっただろう。
今まで近くにいた仲間が遠のいてしまった瞬間だったろう。

そして今まわりをみると、ひとり、またひとり、君のところへやってきた人がいるようだね。
より深く心を分かち合える人だよ。

Saturday, August 25, 2007

朝のカフェ

お父さんも就職したばかりの頃、毎朝早く、会社の近くの喫茶店にモーニングを食べに行った。コーヒーを飲みながら、本を読んだり、1日の段取りを考えた。
事務所には1時間前に入った。ときどき事務所の扉も、警備員さんがちょうど開けるところだったり。そこでもっぱら技術の本を広げていた。

クララも今、同じようなときを過ごしていると思うと、なんだかうれしくなる。

イメージが芋づる式に言葉になる時間

そんな時間帯を経験したことない?
イメージが言葉になって、芋づる式に形になって、新しい考えやアイデアになっていったという経験。

そして次の段階では、イメージをイメージのまま捉えることができるようになるかな。チベット密教のダーキニー灌頂の、4つ目の「空」でそんなことを言っていた。

一緒に行った海外の旅

クララやヨセフと一緒に行った外国の旅。お父さんの経験した感動や不安、出会いは再現できなかったけど、君たちにとっては初めてのことばかりだったろうね。ひとりで地下鉄で移動する、練習になったかな。
今はクララがひとりアメリカに。きっとお父さんが経験した感動や不安、出会いを感じていることだろう。
後で思い出して感動する間もなく、新しい旅を積み重ねてゆくことだろう。
そんな気がするよ。

一人旅での病気が怖い

旅で体調を崩すことは怖い。お父さんも旅の間に病気になって困ったことが何度かあった。
南米の旅。ボリビアの首都ラパスでひどい寒気と頭痛。高山病だと思う。ベットから起きるのもままならない。ただ寝てすごした。
同じくペルーの首都リマでひどい下痢。前日の砂漠のミイラ探検が体を痛めたか。
タイの首都バンコクから成田へ帰る飛行機でのひどい下痢。前日の辛いワタリガニの卵とじが影響したか。
スリランカの人とオーストラリアの農家を回った旅。微熱が続いて体に力が入らない。とにかくだるい。便も真っ白。A型肝炎の急性期だった。日本にたどり着いてから、4ヶ月くらい自宅療養だった。
丹沢にて一人で山登りをしていたとき、滑って左足の中指を木の根っこでひどく打ったことがあった。腫れたまま下山。処置が悪かったので、しばらく中指の第2関節はまがったままだった。

旅の途中は、自分の体調も自分の体に聞きながら、慎重にすごしてゆく。食べすぎも侮れない。なんとなく緊張感のある時を過ごしている。

書いてることとやってることが離れてゆく

調子に乗ってブログにかっこいいこと書くと、書いていることとやっていることが離れてゆく。
修正!

スパゲティが旅の日本食

お父さんは2週間や3週間、日本食を食べなくても大丈夫みたい。でも旅先で調子悪くなったり、食欲がわかなくなったときはどうするかというと、レストランでスパゲティーを頼む。
お父さんにとって、スパゲティーミートソースやバジルのスパゲティーは日本食だ。
ちなみに学生時代、3ヶ月にわたる南米の旅から帰ったとき、日本に帰ったら最初に食べたいなと思ったものは牛丼でした。

バースデー

毎日がハッピーバースデー。
マリアは誕生の瞬間に立ち会っている。
家族の始まり。

それぞれのスタジアム

それは晴れ舞台を夢見て、自分だけの練習を重ねる場所。希望と時空をかけめぐる空間となる。
地下街の広場、ブレイクダンスの動きを確かめている中学生。
カフェで小説を書いている女性。
テニスの壁打ちをしている若者。
道端でリフティングをしている少年。
映画ロッキーでは、肉屋の倉庫が練習場。
クララのベッドも、つま先を伸ばす練習場だったね。
夢の舞台へと続く場所。振り返ると、一番懐かしい場所になる。

ホテルではじめたブログ

たしか台湾のホテルではじめてブログを書き始めた。12月のことだった。出張中はホテルの部屋にいる時間が貴重な考え事の時間。
ヨセフのこと考えたり、ルカのこと考えたり。今はクララのことを考えながら書くことが多い。
君たちが巣立ってゆく途中の、道しるべにと願って。

こんな場所でも君のスタジアムになる

ブダペストの路地。小さな腰壁を利用して、自転車の曲乗り練習をしている若者がいた。まばらな通行人。通り過ぎるたびに小さな腰壁のエッジにジャンプして、そこで自転車をターン。傷だらけだ。
こんな狭い、こんな街の片隅でも、彼にとっては大観衆のいるスタジアムなんだろう。
お父さんにも、その若者の、輝いている世界が見えたような気がする。

ドイツ編おばあさんの荷物

ドイツでのこと。列車に乗った。すわっているとおばあさんがやってきた。「ちょっと荷物をあげてくれない?」ごく自然にいわれて、ちょっとあわてた。これは1980年のこと。
そして今回。おばあさんが列車に乗ってきたとき、さっとおばあさんの荷物を荷台に上げた若い女性がいた。ドイツ人の女性だった。
ドイツへ行くことがあったら、気をつけて。

きっちり整理する=後で整理する

整理は枠組みだから、時が流れると変わる。
だから、とりあえずそのときにやる。ゆるい分類でいい。
きっちりやろうとすると、結局出来ないから。

人間のミス

「人間にはミスがつきもの」というのがどうやらイギリスの前提らしい。
イギリス企業にお父さんの会社で材料を納めていたんだけれど、ある日規格外の品物が行ってしまった。工場で原因を調べると、新しく入った工員さんが、網を取り付ける方向を間違えてしまったらしい。そのため、違う粒度の粉が出来てしまった。
イギリスの会社に出かけていって理由を説明した。きっといろいろ書類を出せとか、再発防止策を導入せよとか、山ほど言われると思っていたら、「人間はミスをするものだ」で納得されて終わってしまった。こちらで用意してきた対策の説明だけで、おしまい。国が違うと随分違うものだ。
逆に「人間はミスをするものだ」ということを前提に、システム化され、だれでもミス無く行えるプロセスに規格化されているのがイギリスかもしれない。スーパーマーケットとか、レジがいい例だ。
そういったプロセスにするにはどうすればいいか、考える力は彼らの方が上だったんだろう。

お父さんも歳を取ってくると、若いときには考えられなかったことが起きてくる。たとえば暗いところで字は見えない、交差点で反対のほうは注意を払ってなかったり。走れば体と気持ちは前に行くけど、足がついてゆかずに転んだり、つまり、注意力や反射神経、記憶や集中度合いが違ってくる。確実に物事をこなしたり、ちょっとした応用が必要な場面でも、さっと対処することが危うくなってきている。
だから、人間のミスをカバーするために手順とリスクを確認すること、ミスをカバーしたり、起こさないような手順や工夫を考えることが大切になってきている。
ますますそういう工夫が大切な時代だと思う。

聞いてやらずにできた気になる

君は何をなしたか、書き出すことができるか。具体的に動いたか。
小さな子は素直にすぐやってみたがる。とにかく具体的に動いて試してみる。
大人は「そんなことしってるよ」と思ってしまう。または順番を考えたり、ほかの多くのことを一緒に効率よくやろうなどと考えてすぐ動かない。でも、それなのになぜか出来た気になっている。

海外で自分を支える自尊心

海外を旅すると、運命の波が周期的にやってくるのを感じることがある。
病気になったり、あっちいけこっちいけとおろおろしたり、ヒヤッとした目にあったり、「ああ、今はそういう時間帯なんだな」と思うくらいの連続攻撃。それが一転していい出会いがあったり、その出会いをきっかけに人が人を呼んだり、今までどん詰まりになっていたことが、急に流れだしたり。
事情がわからない、知っている人がいない未知の環境では、そういう流れを感じる力がすこし敏感になっている気がする。

いい波を呼び込むまで自分を支えるもの、いい波をますますしっかりとしたものにする支えは「自尊心」だと思う。
傲慢になるということではない。なんていうんだろう、たとえば家族を思うことって、その支えになる。誇りに思う家族に対して、恥ずかしくない振る舞いをするぞみたいな。

物語とイメージと組み立て順序

まるでレゴを組み立てるようだ。
ばらばらに沸いてきた言葉やイメージを小さな部品に組み立てておく。ジーっとみている時間が、いろいろな物語を連想させてくれる。それから組み立て順序を考える。
組み立て順序は何回かやり直すことがある。見せたい人を思い浮かべたときに、「あ、やっぱりこう変えて見よう」みたいな。
お父さんのブログの書き方。
バレエの表現や、映画の作り方も同じじゃないかな。

Web社会だから、より体験に価値を求める

情報はかんたんに発信できる。だから中身が大切。
コピーも簡単。だから中身が大切。
他に書いてないこと、他ではなかった視点、それを証明する体験。これがますます重要になる。

知っていると損をする日本、知っていると吹っかける外国

日本ではただで教えてあたりまえってところがあるんだよね。
どのくらいかかって調べたかとか、どのくらいそのために教育を受けたかなんてコストは関係なし。教えないと性格が悪い、なぜひとこと言ってくれないのかという非難につながる。難しい理由を説明すると、小難しいことを言う、わからない、高くとまっているといわれる。じゃ、金を払ってこの本に書いてあるから読めといっても読まない。わかった、教室を開くから参加しろといっても、宿題はきらい。途中はブラックボックスでいい、確実に結果を手に入れたいというわけ。進歩ないね。でも、みんな知らなければそれでいい。みんなでわたれば怖くない。誰かに聞けばいい。なんとかしくれる。そんな感じ。

逆に知っていると吹っかけてくる外国がたくさんある。そんなレベルのことで、よく大きなことが言えるなと思うこともあるけど。聞かれなければ言わない。自分の知識は飯の種かもしれないから。自分で探せ。そんな感じ。

デザインは凝縮した美しさをもとめること

どんな分野にも、美しさを極める部分がある。

ここまで実現したら話ししてやる

自分の実力では理解できないことがある。技術の場合、たとえばプログラミングに関すること。わからないので相手の技術者と話にならない。相手にしてみれば、共通の理解できる技術レベルというのに達していないと、理由を説明しても時間ばかりかかって、判断の共通点が見つからないことがある。
「基礎を習得してからまたおいで。さよなら。」
こんな感じだ。それが前提条件なんだ。
知らない世界に飛び込んでいっても、だれもが親切に教えてくれるというのはありえない。ひとこと言ってくれなかったと非難しても、ますます遠くなるばかり。

お父さんの仕事でも、「ほら、これとこれをつないでこうすると、携帯で温度が見えるでしょ。」って、具体的になって初めて関心を示してくれる。話をしてくれる。具体的になったものが相手の想像以上ならば、相手の人は乗り出して話しをしてくれるし、こちらからも攻めていける。

あるレベルの具体的なものが出来るまでは、時間もお金もかかる。出来ないかもしれない。決断がいる。
「自分は特別な才能も無く、一生懸命やっても無駄かもしれない。」
こんな不安はみんな持ってる。「無理無理、だめだよ。」って簡単に言う人は、自分自身を含めて山ほどいる。せいぜい「ここまで実現したら話ししてやる」って言ってくれる人はいいほうだ。
そんな道のりは楽しい。驚かせたい。
人でなく自分をあてにして具体的にしてゆくこと。これが人生の醍醐味だろう。

全部相手を超える必要は無い。同じ土俵じゃ先輩に勝てない。
前提条件の基礎をクリアして、あとは相手の知らない領域、自分の得意な領域を組み込んで具体的にすることだ。

川霧の西会津

マリアとはじめてみた夏の川霧。とてもいいよ。

かっこ悪いけどいつも自分の殻を破る

あっち行ったりこっち行ったり、おろおろするけど、自分で試してみる。
かっこ悪いからひとりでやるのかな。

夜中でも便利なメールとマイブック

メールというのは便利だ。携帯のメールはすぐ呼び出してしまうので、これは使い分けなければいけないけど、一般のパソコンのメールは、思いついたら夜中でも用件を書ける。細切れの時間を使うことが出来る。
お父さんは予定を立てた時間に、思い通りに相手に言いたいことをすぐ思いつくかというと、そんな器用なことは出来ない。だから、思いついたときにマイブックにメモをして、夜中でもメールにして出してしまう。
細切れの時間に洗濯をして、細切れの時間にメモを見て考え、細切れの時間にメールを書く。
ボーっとしている時間は、メモを見たりしながら、深く考えたり観察するのにいい。本ですら、細切れに読んで、細切れに自分の経験に当てはめて味わっている。

どういう人が集まる場なのかで選ぶ

いろんなお誘いを受けるよね。お父さんもそのお誘いが、どういう人が集まる場なのかで選んでいる。断れないこともあるけどね。

家族も経営、アフリカも経営

アフリカに技術だけ持って行ったのでは根付かない。協力隊時代に思ったこと。考え方やシステムをあわせて根付かせないと。経営と同じ。

家族も同じ。最近つくづくそう思う。お父さんは理想の家族を作っているのか・・・
幸せを伝承するにはお金だけじゃダメ。技術を教えるだけでもダメ。しっかりした価値観を中心において、みんなが同じ方向を向いて、それぞれ自分の殻をやぶってゆくこと。信頼して、協力できる環境を作ること。つまり、経営力。

実はお父さんのブログは、そんな反省が込められている。

地下鉄に乗れるまで3日はおどおどする

様子を見て時間が過ぎてゆく。何もしないで過ぎてゆくようで、気持ちが焦ることもある。だけど必ず必要な熟成期間だと思う。
訪れた国は39カ国。外国を旅して30年。そんなお父さんでも、初めて訪れた国で、自分で地下鉄に乗れるようになるには3日はかかる。その間の移動は、ホテルから歩ける範囲。赤ちゃんみたいなもんだ。

もちろん、仕事の相手に迎えに来てもらって打ち合わせをしたり、列車や飛行機で長距離を移動したり、タクシーでホテルまで行ったりすることはあるけれど。そのことと、自分で地下鉄を使っていろいろなところへ行くことや、地元のレストランに一人ではいることには大きな差がある。旅行客と生活する人くらいの差だ。

はじめからガイドブックをじっくり読んで、そこに書いてある場所へ行き、そこに書いてあるやり方で地下鉄に乗るのだったら、もっと早くできたかもしれない。
でも自分の目で観察し、自分で信用できると思った人と人間関係を築いて情報を聞き、スーパーでの買い物から始まって、失敗を何度も積み重ねて3日はかかる。いつもあっち行け、こっち行けといわれる。
はじめは様子もわからず、地下鉄の切符を買うのが怖い。たぶん、おどおどしたその3日間が、自分の殻を破るときでもあり、なれてゆく熟成期間なんだ。
なんでも赤ちゃんの時代を省いちゃいけない。出来ると思わされているだけに終わるから。

いい例といい質問で伸ばす

なかなかできない。いい問いかけをすることは、ほんとうにいつも意識していないとできない。
いつもギャグを考えている大阪の人のように、生活習慣の一部にしてしまわないとできない。

松本のヘネシー

ヨセフと松本へ行ったときに泊まったホテル。吹き抜けのロビーに大きな暖炉があった。お父さんが単身赴任で福岡にいたころ、宿舎の近くに山小屋風の喫茶店があった。そこの暖炉が大好きだった。松本のホテルの暖炉は、それを思い出させてくれた。
ウェルカムドリンクサービスがあった。お父さんはメニューの中からヘネシーを1杯注文した。
まだ雪の残る2月の松本。ヘネシーを片手に、暖炉の火を見ながら思いをめぐらしている時間は、お父さんの一番好きな時間となった。

初めての国に夜着くのはヤバい

30年前、初めての外国はロサンゼルス空港だった。大韓航空の安い便で、夜9時半過ぎに到着。一人旅。だれも迎えに来るはずも無い。
その日の宿も決めていなかった。ガイドブックのホテルは高すぎた。山をやっている人が「ロスにあるニューヨークホテルというのが安いよ」と、いい加減な地図を描いてくれただけ。インターネットは当時無かったので、一枚の紙切れひとつ、ぶっつけ本番での宿探しだった。

次々と到着した人が流れてゆく。大抵は駐車場に止めてある自分の車へ。タクシーやホテルの迎えのバスに乗る人も。おとうさんだけが取り残されてゆく。
案内所は人がいなかった。遅い時間だったからか。飛行機の中で隣り合わせた人に教わったホテルへの直通電話。ここからホテルへ電話して、値段を聞くことにした。
壁一面にある電話とホテルの写真。どれがいいのか、さっぱりわからない。結局Daiichi Innだったか、日系のようなホテルに電話をかけざるをえなかった。
「ミニバスがぐるぐる回っていますから、それに乗ってください」
しかし、待っても待っても、まわって来るのは他のホテルのバスばかり。このまま物騒な空港で、ひとりでずっと立ち尽くしていなければいけないのか。そう思うと、目の前に3回くらい回ってきたRamada Innのミニバスに、たまらず乗ってしまった。
お客さんはお父さん一人。黒人のいかついドライバーが、夜の街をどこまでも走る。どこに連れて行かれるのだろう・・左側通行の、流れるヘッドライトが印象的だった。

初めての国に、宿の予約なしで夜着くことのヤバさ。金が無いじゃ済まされないと思った。

現在の残りあと350

タイトルだけ、思いついたときに書いて保存してある。内容は後から書いている。
今現在、タイトルだけ書いたものがあと350残っている。書いている先から、日々タイトルも増えてしまう。
どんどん書かなきゃ。

Sunday, August 19, 2007

メールは議事録

自分が相手に送った文書も残っているというのが、お父さんにとってありがたい。あとで探して、言った言わないも検証できる。だから内容はタイトルに書いたことひとつだけ。いくつも別のことを書かない。
日本でルカやヨセフがやっている携帯のメールは、お父さんに言わせたらチャットだ。だけど、ひとまとまりの流れをログで確認できる、ホントのチャットのほうが重宝する。
メールは他の人に転送できるのもうれしい。だから余計に、いろいろ別の話題を書かない。返信も楽だ。季節の挨拶もいらず、相手の言ったことの繰り返しも書かず、すぐ用件で良いから。

メールは転送されたり、あとで確認されることを前提に、タイトルに表した一つのことだけ書きなさい。タイトルの書き方も新聞の見出しのように、内容を連想できるものにしなさい。別々のテーマは1通に書かずに、何通かに分けて書きなさい。ピラミッドで、相手が理解できる順序と理由を考えて書きなさい。

朝食の飲み物の好みはこと細か

どこの外国の家庭に行っても聞かれるのが、「飲み物は何がいい?コーヒー?紅茶?」「お砂糖は?」「ミルクは入れる?」
国際線の飛行機に乗ってもそうだ。レストランでテーブルに着いたら、さっとお水がでてくる日本。家庭や仕事先を訪問したら、さっとお茶が出てくる日本。こんな日本に育っていると、とまどってしまう。どっちでも良いと答えたくなってしまう。でも、どうやら私を大切に扱ってくれている人ほど、一生懸命聞いてくるようだ。誠意は好みを細かく聞くことで表現するようだ。何でも良いといっちゃいけないかな。

朝食に一度コーヒーが良いと答えると、次回も大抵コーヒーになる。今朝は暑いから麦茶を飲みたいと思っても、今度は自動的にいつもコーヒー。このあたりの切り替えは、外国の家庭では日常どうしているか観察してみたい。

なんでコーヒーショップで勉強が進むんだろう

お父さんの解釈は、ひとりで集中して何かを考えて組み立てるのに、一番邪魔がなく、快適な場所だから。
スターバックスなどを見ると、個人のお客さんが場所を確保できるような小さめのテーブルと、ちょっと落とした照明、流れるコーヒーの香りとジャズが用意されている。
ホテルのロビーじゃ机が無い。喫茶店は砂糖やナプキンなどで机がごちゃごちゃしている。図書館は良いけど、数が少ない。
周りを見ると、同じような目的のお客さんを見かける。お店の意図した使われ方ではないかもしれないけど、ぴったりの殻を見つけたヤドカリの気分だ。
大学のラウンジもこんな感じなんだろうか。

テニスの壁打ち

ひたすら自分の体の感覚と向き合う。壁は無常にも、打ったとおり返してくれる。強すぎれば強く、コースが悪ければあちらの方向へ。無理をすると続かない。リズムに乗れない。ちょっとの狂いがだんだん広がってゆく。微調整、修正には力を抜くこと。

テニスの壁打ちで覚えたことは、はやる気持ちを抑えて、最初はゆっくり、力を抜いて、自分の感覚と向き合ってゆくこと。
頭では出来ない。よくあることだけど、力が入ってやり続けて、疲れて力が抜けてきてからが本番。新しい感覚をつかむ。
もっとも、それでも次回、その感覚をすぐ取り戻せるかは別。何度か行ったり来たりだ。とらわれてはいけない。本当に正解だったか。聞いていたこととは、まったく違うやり方だったことも多い。不思議だ。

打った球が同じだと思っても、壁のちょっとしたでこぼこや、地面のちょっとしたすべり具合、ラケット操作でついたボールの回転の差で、違った玉になる。思い込んだら違いが見えない。錯覚との戦いでもあるんだ。

すいかとテニスボール

テニス部の会計をやっていた夏。あんまり暑いんで、部費ですいかを買って持っていった。いつもボールを買うことばかりに使っているのに飽きたから。後輩に「いいんですか」と白い目で見られた。
お父さんも変なことやった。

悔しいタクシーの思い出

22歳のときのお話。サンパウロで。
高速バスのバス乗り場の近くで拾ったタクシー。空港へ行ってくれといったけど通じない。JALのマークを見せたりしたら、OKと車を走らせた。そしてしばらくしてついたのが、町のJALの営業所。飛行機に間に合うのか・・・
見切りをつけて降りた。料金もインフレがひどい時期だったので、メーターではない換算表を出してきて指を挿す。仕方なく支払いをしてお釣りを要求すると、運転手はなんと怒り出した。荷物のリュックサックを放り投げ、おまけにけっている。通りがかりのおばさんが、何てことするのといった具合に何かいっていたが、運転手はお構いなし。お父さんは通じないので文句も言えず、黙って立っている。こういうときはもっと感情を表して、日本語で良いから文句を言うべきだった。できなかった。

土地勘が無い時に、高い料金を吹っかけられたことは数知れない。イギリスのヒースロー空港から乗ったタクシー。台湾のホテルで空港まで乗ったタクシー。ポーランドで空港まで乗ったタクシー。ハンガリーはブダペスト駅からホテルまで乗ったタクシー。
料金が怪しかったり、運転が荒かったり、お釣りをチップとしてさっさととってしまったり。
外国でのタクシーは、ホテルで予約しておいたもの、ホテルで事前に料金を支払っておいたもの以外、嫌な思いをしてもしかたがない。移民の運転手さんが多いのも気になる。
国の印象はこんなところでも決まる。

初めての国に行ったらまず押さえるツボ

まず日本でインターネット接続できるホテルの部屋を予約。
ホテルに着いたらもらうものとして、地図、地下鉄マップ。地下鉄の乗り方を聞くのと、近くにあるスーパーマーケットの場所を聞くことも忘れずに。
ペットボトルの水をかって小銭も用意。マクドナルドでコーヒーを買って値段調べ。
それから出来れば出発前に、携帯電話のSIMをどこで買えるかの情報を調べておく。
その他日本での事前準備としては、ガイドブックやその地域に強いホテル予約サイトを見つけること。ホテルに頼んで、迎えのタクシーを空港によこしてもらうこと。

まずはホテルで地図をもらい、ホテルを中心に歩いてみる。片道20分くらいの範囲に何があるかをチェックする。観光地はスリが多いので、パスポートはセーフティーボックスへ。
スーパーマーケットがあればよし。グローサリーがあれば、ペットボトルの水を2本買っておく。お釣りのコインは地下鉄の切符を買うために重要。両替は空港、または駅か銀行で済ませる。2万円くらい。

レストランはホテルで評判を聞くのがいい。マックには一度入っておく。物価の感覚がつかめる。
あとは観察力。書かれた情報ではなく、雰囲気を知り、人を観察。

すべて無視しなければいけないのは、乗り場以外で客引きするタクシーや両替。タクシーはホテルで呼んでもらって、値段も確認できたもの以外は、だまされてもしかたがないとあきらめること。

映画より演劇に戻ってきてるのでは

ハリウッドより、もしかしたらブロードウェイで動くお金のほうが、大きいということを聞いたような気がする。

自分を磨いて天にお返しする

なかなか出来ないけど、ある時期すごく真摯に取り組むことが出来る。その時期の達成感を忘れないように。
何のためにそんなことが出来るのという問いに答えて。
なんかちょっとかっこよすぎるな。

花火と元禄と無駄な予算

江戸時代に花火が盛んになったのは、大名が力を持ってしまわないように、火薬を遊びにしてしまったわけ。戦争をあっちこっちでしている間は仕事として火薬職人は働いたけど、元禄時代は戦争が無い。火薬職人が「仕事よこせ」となっては不安定な世の中になる。だから無駄な予算を使わせて、花火大会で大衆を喜ばせた。
結果、大名は消費してしまって力を蓄えられない。火薬職人は仕事があり、花火のきれいさに研究を集中する。大衆が喜ぶ。幕府は安泰。となったそうだ。
アメリカの軍需産業も、花火大会のような催しを研究してほしい。

曲と場面をリンクして覚えている才能

ヨセフの、他の人にはまねの出来ない才能だと思っている。

伝わってないことがわかっていない人ばかり

リーダーは特に、そのことを伝えていかなければいけないだろう。「君の言いたいことはこういうことなのか?」
明確にすることによって、見えなかった道が見えるようになることがあるから。

随分誉められてるね

外国では随分誉められているようだね、クララ。
風が変わって結果の出ない厳しい環境にいたり、逆に何をやっても実力以上にすいすい進んだり、きっと君の外側の要因は気まぐれだ。外国にいると、はっきり感じるもんだ。

真っ暗で厳しいときにその空気を反映して真っ暗になったり、追い風のときに調子に乗りすぎたり、気まぐれ要因に付き合っちゃいけない。
自分から輝け。

次の進歩のための利益をとりなさい

なるべく安いほうが感謝されるから、利益を取るのが悪いことのように思われるときがある。江戸時代の悪徳商人を初め、シェークスピアのシャイロックも悪者。印象悪い。
だけど利益を取って、自分が生き、新しい価値を開発する力を蓄えるのは、決して悪いことではない。
世の中の進歩につながる利益の使い方が一番いい。
次の進歩のための、十分な利益を取りなさい。

殿様をたてることで生き延びる職人

サムライの時代の職人気質は、主をたてることで生き延びてきたということを読んだことがある。技術に対して真に良いものを作ろうと、ひたすら努力する。そのことに集中する。
反面、主人が権力をほしさに暴走し、もし兵器を作るとしても、職人は一生懸命いいものをつくろうとしただろう。
「あの人の下で一生懸命やっている人、かわいそうだね」と言われたくない。

日本人のおばさんが来た

地下鉄の切符売り場。日本人らしいおばさんが助かった!と言う顔で、お父さんのほうへ近寄ってくる。
「日本人の方ですか?」「はい。」
「お城に行きたいんですが、1日乗車券ってどうやって買うのですか?」「私もはじめてここへ仕事できただけなので、よくわからないのですが。」
「何とかチケットというのですが。」「さあ、わかりません。」
「このページに書いてあるやつ。」「・・・」
「たぶんこの販売機で買えると思うんですが・・」「どうでしょう。お役に立てずにすみません。」
「これは小銭しか使えないのですか?」「そうです。そこにスーパーがあります、小銭を手に入れるなら。」「・・・」
「すぐ近くにホテルがあって、そこの人が親切に教えてくれますから、そこの角を曲がって・・・」 「けっこうです。スーパーへ行ってきます。」
まったく不親切な日本人め、時間を損した・・と言った顔でとっとと行ってしまった。
まったく、どっちが被害者だ。(聞いたら相手が日本人なら、必ず知っているもんだと決めつけている。5分ロス)

外国で出会った日本人旅行者は天国と地獄。最初は仏様のように思われるが、すぐに「こいつ使えねえ」になる。完璧に全部答えられて当たり前。

願いがないと始まらない、具体的に意識しないと始まらない

やらされていることはつまらない。必要性がまったく無いわけではないなら、そこに自分の夢や憧れにつながる価値がみつけられるかだ。それがどういうものか、どんな点で貢献するかを具体的にイメージできるか。

掃除洗濯は無駄な時間か

洗濯物がたまっていると気になるけれど、干すのが大変。特に靴下。
干してあるものをペアを見つけてはずさなければいけないし、また一つ一つつけなければいけない。その上、たたんでしまうなんていうのは、考えただけで頭が痛い。こまかい。さっさと乾燥機に入れて乾かせばいいものを、こんな割の合わない仕事は無い。いろいろ考えていると、手をつけるのが億劫になる。
丁寧にやろうとすると手がつかず、たまる一方というのは掃除や片付けに共通している。

ということで、無理しても一気にひと工程全部手をつけてしまう、つまり洗濯機に全部放り込んでしまう。そして手をつけてしまったので、しかたなくあちこちに干すというのが、とにかく前に進む方法と考えている。
後がつかえる押し出し方式というわけだ。
それ以上の品質を求めないやり方。時間との価値のつりあう点だと考えている。

作品を積み重ねてゆく人生

ひとつひとつのことにかたをつけていく。
かたをつけると作品になる。
ちょうどバレエで言うと、最後に一瞬ぴたっと決める動きのようなもの。
なんでもない日々の生活も、人生という作品につながっていくよう、意識してゆく。

作品としてかたをつけることを意識する。
疑問、迷いが出る。
当てはめてみる、自分の言葉でたとえてみる。自分の方法で表現してみる。
そして自分のものとして、いつでも引き出しから出せるようになったとき、自分の一部となる。

自覚、当惑、適用、一体化。

お礼状の書ける人

お父さんは随分これで得をした。おじいちゃんに言われてしぶしぶ始めたのだけれど、旅などでお世話になった人、泊めてもらった人などに書くことで、また何度もお世話になることが出来た。
なかなか出来ることではないんだ、手紙を書くって。電話じゃだめだ。伝わるものが違う。
リフティングやギターの練習と同じ。やってなんぼのこの習慣をつけよ。
お金じゃ買えない一生の助け舟になる。

スリは左利き

町の中ではいつも誰かに見られている。そう思ったほうがいい。そしてスリは同じ方向に向かって歩いてくる。こちらが何かに夢中になってたり、気をとられていたときにやってくる。音楽を聴きながら歩けばリスクは高い。逆にサングラスをかけて、こちらの視線がわからないようにするのは、ひとつのスリ対策だと思う。

歩いているときは、ときどきスピードを落としたり、早めたりするといい。それからショーウィンドウでときどき周りの人を確認すること。逃げられる路地のいりくんだ繁華街は彼らのテリトリー。そんな場所を歩くときは、なるべく車道が右側に来るように歩こう。
なれない同行の観光旅行者がいるときは、2,3歩離れた右後方を歩こう。不審な人が近づいてもわかる。守ってあげられる。

いままでに4回、狙われたからね。サンパウロ、ルサカ、バルセロナ、たぶんプラハも。遠距離バス乗り場、地下鉄の車内、路上。
たいてい右側のズボンのポケットを狙ってくる。ジャケットのすそを引っ張られる気がしたら、その瞬間が狙われたとき。スリは左利きだ。

手口はこのサイトを見て研究すること。

自家製ホワイトソースキャンプ

2007年の夏の日光キャンプ。楽しかった。
薪で火をおこし、ご飯を炊く。だんだんらくをしてテントに寝なくなったけど、まきをつかっての料理はゆずれない。
山登りではガスバーナーにコッヘル、インスタント食品。さっさと食事をして、天候が急変する前に目的地に着くことが一番大切。だからまきをつかっての食事は、なんといっても家族キャンプの醍醐味だ。
自家製ホワイトソースの味はおいしかった。魚を裁いての料理も最高だけどね。

ウィキット

I 'm limited.
最後の別れのシーンでso goodという曲に乗せての歌詞。あそこが一番ジーンときたね。第1幕の終わりもすばらしかったけど。

もしも日本だったら・・

海外出張へ一人で行くと、何度もやり直ししなければならないことに出くわす。

洗濯物をホテルの袋に入れる。よく読んでみると9時までにフロントへ持って来いと書いてある。あわてて持っていくと、「日曜日は受け付けてない。また平日に持って来い。」(待つこと1日)

洗濯物が部屋に届いていない。フロントに朝もって行けばその日のうちに出来上がると書いてある。翌日フロントに行く。
「洗濯物は届いていないのか?」「ちょっと待て。」
無言で裏から出してきて渡される。終わり。(待つこと1日)

おいしい食事を食べたいと思ってフロントでレストランを聞く。
「何料理がいいのか?」本当は何でもいいのだが、そう答えるとまともな答えが帰ってこないことが多い。「ハンガリー料理」「OK.ここがいい。」とパンフレットを出す。
「地図はないか?」後から出してくる。
「ホテルはどこになるのか?」「ここだ。レストランはここ。」「歩いてどのくらいか?」「10分くらいだ。」
と言うことで、ひとつひとつ質問しなければならない。おまけに高そうなレストランのパンフレット。
「ここは若い女性でも払える場所か?」「それならこのレストランではどうか。」
また振り出しでいちいち質問しなければならない。お父さんの心の中では、そのあとの質問を想定して、英文を組み立てている。
チェーン店のビジネスホテルの対応は、日本で言えばサービス業レベルじゃないね。(やりとり10分)

地図の場所へ行ってみる。ない。ホテルの人が印をした場所は間違っていた。もらったパンフレットの番地を確認。行き過ぎた。もどる。(ロス10分)

駅に行く。
「ブタペスト行きの切符はここで買えるのか?」「ちがう。別の駅だ。」
「どこだ?」「ここじゃない。」
うさんくさそうに言われる。お前には付き合っていられない、自分で調べろ、早く次の人に回せと言わんばかりの態度。
インフォメーションにいく。「ブタペスト行きの駅・・・」「下の階へ行け。」
「・・・」「ここは違う。」インフォメーションって書いてあるじゃないか。
下へ行くと、インフォメーションと書いてあるところの窓口には誰もいない。
ホテルまで帰って、時刻表を見せて、「ブタペストまで行きたいんだけど、どこへ行けば切符が買えるのか?」と振り出しに戻る。
おおむね公共機関の窓口は不親切だが、小さな個人経営のホテルのフロントは親切。(手に入れるまで半日)

切符を買うため駅で並ぶ。2つ窓口の表示。違いがわからない。両方ともバックパッカーが並んでいる。やっと自分の番。「ブタペストまで。」「違う窓口で扱っている。向こうだ。」
はずれた。(手に入れるまで30分)

ホテルで。
「部屋でインターネットがつながらない。」「業者に電話しておく。」リセットするだけだろ?出来るやつはいないのか・・・「今メールをチェックしたい」「ロビーまで降りてきて試してくれ。」(つながるまで1日)

「またインターネット接続が切れた。昨日もそうだった。」「業者に電話する。」(つながるまで半日)
「また切れている。」「業者に電話する。」3日間いつも昼に切れるのに、対応に進展なし。(つながるまで半日)

外国の窓口の対応はつっけんどん。一言しか返ってこないと思えばいい。なぜ窓口で外人さんが、長い時間ああだこうだ話しているか理解できる。また、インターネットで時間をかけて自分で調べているかもわかる。やり直し当たり前。インターネットがありがたい。

部屋から電話をしようとする。ツーツー・・・ガシャ。切れてしまった。外線の0発信がうまくいかないのか。いろいろな電話会社が交錯しているので、市外局番もまちまち。結局はスカイプアウトで電話。一発でかかる。4円ほどで終了。
チェックアウトのとき、かからなかった電話の請求が自動的に500円ついていた。電話をかけるまで、手順を読んで、うまくいかないのでさらにフロントで聞いたのに。(ロス10分)

くじけることなくやり直す。留学や海外の旅は人間形成の訓練になる。目的達成のためにあきらめない。目的をはっきり提示し、相手の答えやすい質問の仕方を習得する。だめなところにずっととどまらないでほかの方法を探す・・などなど。
そのうちレベルが上がれば、ユーモアや遠まわしな断り方も習得しよう。

全部付き合ってたら何も残らない

これは主に仕事上でのつきあいの場合。人間関係を深めようと過剰に飲んだり付き合いを強調するが、よく考えてみると結構流されてやってることが多い。
ヨセフのように若いころ人間関係に悩んだことがあると、過剰に付き合いに引っ張りまわされないか心配。
「付き合い悪いぞ」と言われると言うことは、相手から気にされていると言うこと。人間関係は出来ているわけだ。
結婚するまで、うまく断るテクニックも習得しなさい。

お父さんが誘われたとき、簡単にOKして付き合ったのは、旅で会って意気投合した人に「次はどこへ行く?」「そんなところあったの?面白そうだね。」「一緒に行く?」「行く」みたいな場合。外国の取引先の人にパーティーや自宅へのご招待があったときも。話すことがないとか、知らない人ばかりでめんどくさいと言う考えがちらっと頭にもたげたら、それはGOサイン。たいがいは行ってみるべき。
学生時代のパーティーは?ちょっと仕事の付き合いに似ているかも。どんな人が開いているのかで選ぶほうがよさそう。

1年たっても鮮やか

マリアが言った。「ブログのテーマだけ1年も前に書いてあるのに、よく思い出して内容が書けるね。」
そう、今書いているテーマは1年前、こういうテーマで書いてみたいと思ったときに、メモ的にタイトルだけ書いたもの。それを開いて中身を書いている。
1年前に、どうしてこんなタイトルでブログを書こうと思ったのか、なぜかよく憶えているんだ。
忘れたのもあるけど、大抵はいくつかの前後のタイトルが関連していて、思い出させてくれる。
お父さん、進歩が止まったのかもしれないね。(笑)

マンガ

昔は少年ジャンプより少年チャンピオンがおもしろかった。マンガを買うのはおこずかいがへってもったいない。だから床屋さんに行ったときは店に入るなり、すぐに少年チャンピオンに読みふけった。床屋さんはマンガを読みに行くところだった。
いまでもランチタイムに喫茶店に入ると、マンガに目がいく。さすがに電車の中では、恥ずかしくて読む気にはなれない。

問題はISSUE

試験の問題ということではなくて、何か困ったことが起きることの意味のおはなし。
会議の席などで Main issue is ... と、「重要な問題は・・・」みたいな言い方をする。
辞書で見るとISSUEというのは、「ふたつにひとつどちらをとるか」みたいな解説が載っている。でも解決法がわからない問題で、ふたつにひとつといわれてもおかしいのではないかと思っていた。
ところが「問題であるかないか」は、当然このくらいのレベルだと思っていたことがそのレベル以下だったというとき、「問題がある」と感じるのだそうだ。問題かどうかは「レベルに達しているかいないか、ふたつにひとつ」ということだったんだ。
敷居が高いか低いかで、問題と感じたりそう思わなかったりする。合格点みたいなもの。
いつも自分の心の中に合格点をもうけているわけ。それによって、問題だと感じたり感じなかったり。
君の合格点はどのくらい?どうしてその合格点に決めたの?

外人居留地と中華街

中華街って言うのは、かつて日本にきた外国人技術者の居留地の近くに出来たそうだ。バスのガイドさんが言っていた。なぜかというと、その外国人技術者が中国人のお手伝いさんを連れてきたから。
横浜、神戸、長崎。なるほど、中国の人は、西洋の人に連れられて日本に来たのか。
その西洋の技術者たちは、どこで中国人のお手伝いさんを見つけてきたのだろう。なぜ中国人だったのだろう。

わからない未来に役立つ基本とは

考えてごらん、遠い未来のことでなくてもひとりで旅に出れば、次に何をすればいいかもわからない。腹がへって食堂に入って、そこが高いんだかおいしいんだかもわからないし、メニューを見たって知らないものがあるかもしれない。それが外国だったらなおさらだ。
当然子供にとっては未知のことばかり。切符の買い方、予約の仕方、情報の見つけ方、ガイドの読み方、地図の見方、みんなやったことのないことばかりだろう。
こういったことがめんどうでいやだというなら、未来への手がかりはない。これを楽しんでやってみようと思うようになったら、そこがスタートだ。
あとは想像力。きっとこうだろうという、いままでの経験から推測する力。
さらにはもっともっといろんな場合を深く考えること。しつこく考えること。

未来に立ち向かう力のレベルは
レベル0 海や野原で釣りや虫を捕まえることが出来る
レベル1 日本で旅に出ることが出来る
レベル2 外国に旅に出ることが出来る
レベル3 外国に住むことが出来る
レベル4 外国の人もまじえて会社を運営することが出来る

足るを知る

なんだか急に気になった言葉。
なくてもなんとかなる。
ないほうが深く使い切ることができる。
ないほうがエネルギーが沸く。

左下からノートを書く

ふつう左上から右下に向かって書いてゆくのだけれど、発想を進めるには、ノートの左下から始まって右上へと書いていくのがいいそうだ。大前さんの本に書いてあった。
お父さんもやってみた。多少違和感はあるが、やってみると、なんだかつみあがって登っていく感じがする。ステップをあがっていくような。
しばらくやってみてから感想を聞かせてくれ。

節目を作ってゆくクララ

ほっておくと、ずーっと進展がないような感じ。振り返ってみると、それなりに節目を作っているクララ。
マリアの点はもっと辛いかな。

いやなものからは逃げるが価値

ヨセフはよく現実から逃げていると思うのだが、ずっとは逃げ続けられないと言うことも真実だし、逃げたほうが長い目で見ていい場合があるのも真実。
自分に矛盾がない客観的な状況判断が理想だと思う。
なんだか歯切れの悪い言い方。
どちらかというと「いやなものは逃げるが価値あり」かな。
ずっといやなものばかりが回りにあるはずもない。ずっと楽して暮らすことばかりを価値のあるものだと思うはずもない。中途半端に自分の心をしっかりと見つめないで、人から言われたからとか、まわりがそうだからという理由だけで、やらさせていると感じるんだったら「逃げるも価値」でしょう。

大詰めは苦しい

汗が出るほど考える、もうこれ以上ないかと思うほど考える。ほかに考えられる条件や要素はないか考える。何度考えても同じパターンになってしまう。

壁打ちで続かない。調子が出ない。リズムが悪い。何度もやりなおす。時間がすぎてゆく。疲れてゆく。もう今日はやめようかと思う。いやもう少しだけやってみようと思い直す。少し力が抜けたのか、つかんだ気がすることがある。

大詰めはなぜか苦しい。

初めから意識してはやる気持ちを抑え、ゆったりと、力を抜くことだけを考えて始めたほうが、大抵の場合はやくリズムをつかむようだ。

母さんか嫁さんかどっちをとる?

嫁さん。

お盆と奴隷船

お盆と言えば阿波踊り。この時期に徳島へ渡るのは大変だった。
大阪のなんばから南海電車の急行に乗る。和歌山港まで1時間半くらいだったか。電車にのるときも、たくさんの人が席を確保しようとしているので、小さい子供は電車がつくなり窓から放り込まれる。そして家族の分まで席をとる。
和歌山港駅に着くとすぐさまダッシュ。連絡船の乗船口まで何百メートルかある。いかに先に着くかで、船の中で確保できる場所の広さが違ってくる。もちろん2等船室。ここでも子供が活躍する。
乗船名簿に名前を書く。いつ沈んでも身元がわかるようにと言うことだけど、ちょっと気持ち悪い。そしていよいよ乗船開始。桟橋をわたって2等船室のひろい部屋に着くと、場所を確保。からだをすこし斜めにして、できるだけ面積をとるように寝転がる。それでもあとから来た大人に(とくにおばさんに)侵食されるので、荷物もあわせて壁を作る。また、なるべく船の中心に近いほうがゆれが少ない。そこをめざす。
寝転がった場所が悪いと、前の人が気分が悪くなってもどしたにおいが床に残っている。そのときは最悪。
きい丸という船の名前を覚えている。2500トンだか3000トンくらいのフェリーだ。そのうち出航のドラがなり、蛍の光のちょっとのびたテープがひびきわたる。あとは3時間あまりの航海だ。船室内では高校野球のテレビ放送が、船の向きで画像が乱れながら放映される。
こうしてちょっとひどい言い方だけど、奴隷船のように満員の乗客を乗せた船が、紀伊水道を越えてゆくと、そこはちくわ売りのおばちゃんたちがたくさんいる小松島港。もうすぐいなかだ。

今では橋が出来て、連絡船は廃止になった。
途上国のような光景だけど、なんだか楽しかった。こんな時代にお父さんは子供時代をすごしたんだ。

憎しみの貯金

国レベルではあること。戦争の記憶を簡単に忘れないで、後々まで伝えてゆく。
個人でもあるね。お金を貸した人はどんなちいさな金額でも忘れないけど、借りたほうは忘れてる。ひどいことをいって傷つけられた人はそのことを忘れないけど、言ったほうは忘れている。
そんな自分がいやでも、忘れられないことがある。
解決方法があるとしたら、その記憶と気持ちを文字にでもして書いてしまう。手紙にしてだれかに聞いてもらえたらもっといいけど。記録したらきっと、それを見た君自身を現実の中にひきもどす。
ネットの匿名の掲示板やサイトじゃ逆効果。ますます広がってしまう。なぜか匿名は自尊心を弱めてしまうから。もう一人の自分になってしまう。後味が悪いかも。

プロは変局点の予兆を変化量に見ようとする

お父さんがお酒をつくっている蔵の社長兼杜氏さんから聞いた話。40歳代の人だけど、いい麹つくりにとても研究熱心な人。
温度が微妙に変化するのを見て、次に何が起こるか、麹菌がなにをしようとしているのかを感じようとしている。15分に0.3度くらいの変化が起こると、「これから何かある」と神経を研ぎ澄ますそうだ。
プロはその変化が、これから状況が変わるターニングポイントかどうか、ちょっとの変化量に着目する。
君たちが何の道にせよ、プロとして貢献できるようになるためには、示唆にとんだ言葉だと思う。

朝の羽田空港は東京駅と差がついた

朝6時、東京駅はやっとひとつふたつのお弁当屋さんが店を開ける。
同じ時刻、羽田空港ではほとんどのお店が開いている。朝ごはんも食べることが出来る。
朝の羽田空港の活気はすごい。
駅は飛び乗る通過点。
空港は待ち時間を過ごす場所。

夜10時、東京駅はラッシュアワー。
同じ時刻、羽田空港は閑散とし始めている。

お父さんは朝型にあこがれる。

みんなの歴史の中の家族の時間

振り返ると短い時間だ。あとで十分に味わえるように、楽しいものにしよう。

子供に親と一緒の動機なし

ふと思ったこと。過去の自分もそうだったと思う。

「息子が親と旅」はほめられる

おじいちゃんを温泉に連れて行くと、お父さんはほめられる。レンタカーを運転するだけで、旅費を全部出してもらっていてもだ。
きっと息子や娘に旅行に連れて行ってもらうということは、多くの人の憧れなんだ。

もう会えないかものカウントダウン

君たちとのカウントダウンもはじまっている。
だから集中するのは何をなすかだ。

職人社会の魅力

江戸時代は職人社会。すごい機械がなくて、大量生産ができなかったせいもあるけど。技術をもっている人をお互い尊重しあう。口ではけちをつけあうかもしれないけどね。
なんかいいなあ。

満足させるしかない

下手をすると甘やかしになるのだけれど、お父さんが子供に対して思っていることはいい満足をさせること。
我慢ばかりではつまらない。考え方が偏ってしまう。そんな気がしてた。
できれば、もうちょっとがんばってみようと言う気になって、それが自分だけの満足になる日が早く来てほしい。「なかなかがんばれたでしょ」とちょっと自慢したくなったとき、「おお、よくやった」と、ためらいもなく言いあえる日が来てほしいもんだ。

観天望気

雨が上がる前の、たちこめたもやもやとした灰色の雲のかたまり。君はこれがわかるかい?
天気がよくなる前の雲は、何か気持ちが悪い。
天気が悪くなる前も同じような雲が出る。
この違いをわかるようになったらすごいよ。

なぜ人間関係に不安を覚えるのだろう

思ってもみないことを言われて傷ついたりしたら、疑心暗鬼になって人間関係に不安を覚えるのだろう。
自分の感覚がおかしいのだろうかと。
キモイなんて言われたら最悪だ。
相手は自分と人間関係を持つなんてことはどうでもよくて、攻撃に出ているということだ。助けてもらうことなんて絶対にないとタカをくくっているわけだ。

クララやヨセフやルカが、もしも「キモイ」と言われたとしたら、お父さんは思いっきり腹が立つ。お父さんは君たちの才能も見えるし、いいところもたくさん見てきている。お父さんにも出来ない才能でさえ、君たちの中に見ている。
特筆することは、「絶対人を傷つけたりしない」と言う、君たちの持っている最高の資質も知っている。だからよけいに攻撃してくるやつらに腹が立つ。君たちが彼らを傷つけたりしないと知っていて、それで言いたい放題言うのだから。そんなこと言われる筋合いはない。

お父さんの願いは、そこでくじけて逃げたりなげやりになったり、怠けてしまわないようにと言うことだ。それさえできれば、そのうちそんなやつを相手にしているのがばかばかしいくらい、人に恵まれる。いつの間にか人の輪が出来る。集まってきてくれる。
まちがいない。

介護見ると世話されるほうに自分を写す

だれも自分がしわしわで白髪のおじいさんおばあさんになる姿を想像できないけど、現実となる日がくる。もう人生半分以上を過ぎたお父さんだって、自分の歩くのがやっとになる姿は想像できない。君たちが思っている以上に若く、知らず知らず20代後半くらいの気持ちでいる。

よく若い娘さんが、お年寄りの車椅子をほほえみながら押している映像が放映されている。やさしさいっぱい、安心があふれている映像のようだが、たぶん60歳くらいになると、介護されている自分の未来を見ているようで不機嫌になりそうだ。映像を作った人は若い人で、愛や優しさ、安心を表現したいのだろうけれど。

お父さんは若いということだけが価値あるものじゃないと思っている。でも現実に体が動かなくなってきたらどう思うだろうか。
言いたかったことは、親切だと思ったことでも、高齢者相手のときには、若い人には思いもよらなかった反応が返ってくることがあるということだ。

いらいらがっかりを仏教で静める

自然への恐れが今は昔より少ない。どちらかというと、何をしでかすかわからない町の中で出会う人のほうが怖い時代。社会人になるとストレスもたまってくる。人が原因のいらいらや恐れ。
のがれられないのは病気や老い。どんな時代でも自分に降りかかってくる。これにはただがっかりする。

心を静めて最高のパフォーマンスを維持するために、宗教の力を借りるのだろう。お祈りをすると落ち着く。それで最高の自分の心の状態を保てるのなら。

水の出なかった生活

ザンビアの住んでいた家は、乾季になると日曜日の朝1時間くらいしか水が出なかった。それもちょろちょろと。1滴の雨も降らない乾季は半年続くのだ。首都のど真ん中だったけど、お隣がホテル。きっとたくさん水を使うので、わがフラットは水圧が足りなかったんだと思う。
日曜の朝はちょろちょろぼこぼこという、水道管に水がじわじわ通る音で目が覚めた。大急ぎで水浴び。どっぷりバスタブに寝転がっても、腕がつかるかどうかぐらい。頭や体を洗い、バスタブをきれいにこすって栓をする。水をためるのだ。
10cmくらいたまると一安心。これで1週間分の煮炊きとトイレを流す水は確保。

ザンビアは高原の国。お父さんの住んでいたLusakaも1100mくらいの標高だった。乾季の始まる4月ころは、下の平らなコッペパンのような白い雲が、いくつもぷかぷか浮いていた。
そのときから3ヶ月くらいのうちに、だんだん草が枯れてくる。
明るく印象的な景色だった。

社会にお返しする人になってほしい

クララ、ヨセフ、ルカ。君たちが家を巣立っていったとき、そんな人になってくれたら誇らしい。

何をなすかだ

具体的な行動、かたがついたもの、形になったもの。
どっちに進もうかは十分に考えたし、心はきまっている。

世の中ほとんど解説本

本屋さんで見かけるほとんどの本が、なにかの解説本だという。もとになる情報をかみくだいて書いている本。参考書のようなもの。だから注意しないと、おおもとになる本に書いてあることとニュアンスが変わってくることがある。

大抵は書いていた内容を忘れてしまうのだが、なかには記憶に残る本がある。たとえばピラミッドの本。なかなか理解できないものだったが、あとで何度も読み返してしまう。この本に書かれていたことだなと思われる内容の本がたくさん出ている。原典とでも言おうか。

君たちにとっての解説本と原典は何かな。
さらには、原典を自分の経験とあわせて消化し、自分の言葉に出来たらすばらしいよ。

先生の暗室のお手伝い

小学校時代の先生は、モノクロ写真を撮るのが好きだった。自分のクラスの児童をよく写真に収めていた。そして自分で現像、焼き増しするのだ。
先生はよく子供たちを暗室に入れて、現像の様子を見せていた。真っ暗な階段の下の部屋。オレンジ色の電球がひとつついている。トレイに入れた酢酸のつーんとしたにおい。
そこは子供の世界ではなく、大人の世界だった。そんななかに招き入れてくれた先生のおかげで、機械や写真に興味を持ったのだ。

だからお父さんも、子供たちにビデオやパソコンは自由に使わせた。どんなに高い機械でも、好きに使ってくれ。興味が想像力を伸ばしていってくれたら本望だ。

がんばりを知ってるから感動する

クララの番組。一途に夢に向かって、時間を積み重ねてきた歴史があるから、その裏にある物語を感じて人は感動する。
そして見た人に力を分けてくれる。

君にとってはたぶん、がんばりはあまり意識していないかもしれないだろう。撮られなれていないカメラの前で、本当の自分だったんだろうかと思うかもしれない。
お父さんは普段の君を見ていたから、ただにっこりして「そんなことはないよ」と言ってあげられる。だってお父さんの目の前で、何人もの人が感動して涙を流し、力をもらったと笑顔をみせてくれたのだから。

自分で納得して、もっと人に感動と力を与えられるように精進してくれ。

そこにあるものの裏の深さを知ろう

知恵の積み重ねと、たくさんのエネルギーと、安定した社会と、それを守り受け継いできた情熱と。
今があるために、自分の知らないところで積み重なってきたたくさんのこと。だれかがゆずりあってバランスを保ってきたこと。

小さな鉛筆1本ですら、たくさんのつながりでできている。

矛盾に生きた協力隊生活

真面目にやろうとすると大きな矛盾を感じてしまう。現地の人と一緒の食事や一緒の寝具という生活レベルではとてももたない。同じ場所にいるけれど、自分は何倍もの生活費をもらって、いい物を食べているアフリカでの暮らし。自分のものを分けあたえたら、最初にまいるのは自分。だからあげられない。せめてまわりの人たちが協力的で、貧しい中でも明るいのが救い。
飢餓で緊急援助に来ているのではなく、長いスパンの国づくりの手伝いに来ているのだとわかっていても、なんだかわるいなあと思ってしまう。

もうひとつの理由。高校、大学と教育を受け、会社で技術を身につけてやってきたアフリカだけど、ないものだらけ。あふれるほどの材料とエネルギーと協力してくれる業者と、お客さんができたものでお金をもうけて循環する仕組みがある中では、自分の仕事も少しは役に立てた。でも、そんなものはまわりにないとしたら。

だけど決して暗黒の大陸ではない。気楽にやっている。ゆるゆるの自分でも、一緒に楽しめる。無関心と言う砂漠は無かった。そして学ぶことは多かった。かえって都会のほうが、身を守るのにきゅうきゅうとしなければいけないんだろう。これも逆の意味での矛盾。

今の学校で、もし無関心といじめと疎外感とを感じるなら、途上国へいけるといいね。君を必要としている場所があるはずだ。君がその場所を見下さない限り。

仕事を通して夢を実現へ

これが一番幸せな生き方。一緒に組んで、1+1が2以上になる組み合わせに恵まれれば、もっと幸せ。

出会いの場は勇気を与えてくれた

場を求めるものには、与えられる。インターネットでの話ではない。一人旅の話。