お父さんからの伝言

夕食の食卓を囲んで、おとうさんが家族にするような話を書き残してゆくブログ。 家族の歴史。

Sunday, August 19, 2007

お盆と奴隷船

お盆と言えば阿波踊り。この時期に徳島へ渡るのは大変だった。
大阪のなんばから南海電車の急行に乗る。和歌山港まで1時間半くらいだったか。電車にのるときも、たくさんの人が席を確保しようとしているので、小さい子供は電車がつくなり窓から放り込まれる。そして家族の分まで席をとる。
和歌山港駅に着くとすぐさまダッシュ。連絡船の乗船口まで何百メートルかある。いかに先に着くかで、船の中で確保できる場所の広さが違ってくる。もちろん2等船室。ここでも子供が活躍する。
乗船名簿に名前を書く。いつ沈んでも身元がわかるようにと言うことだけど、ちょっと気持ち悪い。そしていよいよ乗船開始。桟橋をわたって2等船室のひろい部屋に着くと、場所を確保。からだをすこし斜めにして、できるだけ面積をとるように寝転がる。それでもあとから来た大人に(とくにおばさんに)侵食されるので、荷物もあわせて壁を作る。また、なるべく船の中心に近いほうがゆれが少ない。そこをめざす。
寝転がった場所が悪いと、前の人が気分が悪くなってもどしたにおいが床に残っている。そのときは最悪。
きい丸という船の名前を覚えている。2500トンだか3000トンくらいのフェリーだ。そのうち出航のドラがなり、蛍の光のちょっとのびたテープがひびきわたる。あとは3時間あまりの航海だ。船室内では高校野球のテレビ放送が、船の向きで画像が乱れながら放映される。
こうしてちょっとひどい言い方だけど、奴隷船のように満員の乗客を乗せた船が、紀伊水道を越えてゆくと、そこはちくわ売りのおばちゃんたちがたくさんいる小松島港。もうすぐいなかだ。

今では橋が出来て、連絡船は廃止になった。
途上国のような光景だけど、なんだか楽しかった。こんな時代にお父さんは子供時代をすごしたんだ。

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