お父さんからの伝言

夕食の食卓を囲んで、おとうさんが家族にするような話を書き残してゆくブログ。 家族の歴史。

Saturday, September 30, 2006

追求しつづけ世界に出るまで

お父さんが今やろうとしていることは世界が相手。大手の会社もやれることだし、小さな会社が踏み込む分野ではないかもしれない。でもやってみたい。
売れるか不安だけど、はじめから世界を相手にやってみたい。
もう歳だし、若いときに世界中で経験した、物語のような自分にもどってみたいなと考えたんだ。
ITの経験を生かし、世界に受け入れられるかを見るのも楽しい。商売を通して、眼鏡屋さんみたいに、アフリカのこどもになにかできたら。

自分探し

夢中になれるものを探すということかな。限界が見えてきても視点を変えれば、夢中になってやってきたことがまた生きてくる。

夢中になれるものがない?そんなときは何もするな。死ぬほど退屈で、まわりにゲームもマンガも音楽もなにもないところでじっとしていろ。そういう場所がまわりになかったら、旅にでも出て、そんな場所見つけてじっとしてろ。
ふつふつとエネルギーが湧いてきても、たまるまでじっとしてる。

なまじっかじっとしていないと、自分探しがいつまでも続くような気がする。ほんとうは「自分探ししている状態が心地よい」みたいな。

Thursday, September 28, 2006

さぼる演技力

苦しい練習のさなか、いかに苦しそうにするかで、腕立て伏せの回数を少なくごまかしたり、厳しい先輩の相手をしなくて済むように目を付けられない演技力。研究したなあ。でも逆に先輩になると、後輩の演技がよくわかる。これじゃ見破られて勝てないよな。

実は先輩も練習は苦しい。だから特別な立場に立ちたくなる。指導という形。そんなとき、しつこく後輩から挑戦されると対応せざるを得なくなる。これは大変だ。
相手も苦しいということに気がついて、こちらから仕掛けてゆくほうが勝ち。

人間関係が苦手と思っても、たいていは相手も苦手な部分を持っている。そのことは自分と同じだということに気がついたら楽。なあんだ、君も人間関係が苦手だと思ってたのか。
「開き直る」ということは、自分とあまり変わらない相手の姿が見えるということ。

オニヤンマとギンヤンマ

小学校の頃、近所の家の庭にあった小さな池でやごを見つけた。飼っていたらどんどん大きくなってきた。水から出ようとしたので、いちごパックにいれてガーゼでふたをし、教室に持っていった。そうしたら授業中に脱皮、ギンヤンマになった。こんな身近にいるとは、驚きだった。それは田舎で偶然、弟の振り回した網にぶつかって死んだギンヤンマを見て以来、初めてのことだった。
オニヤンマはずっと見たことが無かったが、温川キャンプ場でルカが幼稚園のときに捕まえたのが初めて。こんな大きくて速く飛ぶやつが、幼稚園の子に捕まえられるわけが無いと思っていたのだが・・
それからしばしばオニヤンマを見るようになった。先月はクララの運動会で飛んでいるところを見た。さすがにギンヤンマはあまり見ないが。

大人になって行動範囲が広がったからかもしれないが、カブトムシやオニヤンマ、蛍やタガメなどに出会うことが多くなった。近所の池でカワセミを見たときも感動した。自然が戻ってきてるのかもしれない。
オニヤンマとギンヤンマ。お父さんの子どもの頃の憧れ。今でも出会うとわくわくする。君たちがディズニーランドに行く時のようなものかな。

レゴとCG

ヨセフはElearningでCGを習っている。はまっているね。
ちょうど君が小さいとき、レゴにはまっている姿を思い出した。CGはパーツを組み合わせて、飛行機や基地やロボットを作るわけだが、これってレゴと同じだね。
もっとはまって、構想を形にしていってくれ。

先日お父さんは新しい事業の構想を練った。紙にこんなソフトがあったらいいなというのを書いていった。画面も書いた。機能も書いた。見える形にしてみたのだ。ちょうどそれは建築家が建物のデザインをするような感じ。
建物では実際の柱の強さとか、空調の機械の選定、窓の取り付け方などは、構造計画の専門家、空調の専門家、建設会社などに詳細を検討してもらう。
お父さんも紙に書いた画面や機能をソフト会社に持ち込んだ。詳細を検討して、作ってもらうためだ。
建設会社も大切だが、夢をどういう形にすればいいかという絵が始まり。後は専門家の力が欠かせない。専門家は絵さえあれば自分の力を発揮できるが、絵がなければ何をやればいいのかわからない。見える形にならなければ、お互いに協力も出来ない。

ヨセフがつくっているCGは単なる遊びじゃない。最初の絵を書くことにつながる。
学校の勉強は専門家になるため。あとについてくるもの。まず構想力ありき。

もちろん実現するためには、専門家の知識も持っていたほうが、可能性が高くなる。まったく今の技術で実現が無理なことを、切り分けて考えられるからね。

ラケット命

大学に入って、テニス部に入った。あこがれだった。
初めての夏休み、ラケットを持って一人旅に出た。木曾の中津川。
なにも持っていく必要のないものだった。むしろじゃまだけど、連れて行きたかった。
ラケット命だったなあ。

そういえばペルーの国境を旅していたとき、柔道着を肩にかついて、ほこらしそうに歩いていたひげもじゃの、いかつい体をした2人の若者(アルゼンチン人あたりの旅人かな)がいたなあ。肩で風きって歩いてた感じ。アジア系のお父さんに気がついて話しかけてきた。
「俺たちは柔道をやってるんだ。」
お父さんも「柔道をやっていたよ」とさらっと答えた。
そして帯の色を聞かれたので「ブラックベルト」といったら、ちょっと彼らの顔が引きつっていたのを覚えている。彼ら、茶帯か何かだったな。

ペルーでのもうひとつの柔道にまつわるお話。
夜に小さなホテルに泊まろうとしたとき、一緒に旅したアルゼンチンのフェルナンドとアレハンドロが、盛んに値段交渉をしてくれた。ペルー人のフロントの若者は、値切ろうとするアレハンドロに「よそへ行ってくれ」みたいな態度だ。そこで、「ここにいる日本人は柔道が強いんだ。大変凶暴なんだ。」とお父さんをだしにして値段交渉を始めた。
お父さんは打ち合わせどおり、胸を張ってボディービルのポーズを作ったりする。「ためしに技を見せてやる」とアレハンドロ。お父さんはフェルナンドと組んだ。ちょっと小内狩りをかける。がちがちに力を入れていたフェルナンドはもんどりうって倒れるが、しろうとなので手を離さない。お父さんも一緒に乗っかる形になったのだが、そのときお父さんのひざがフェルナンドのみぞおちに。苦しそうなフェルナンド。
「なんて危険な技なんだ、冗談じゃない!」みたいなフェルナンドの大きな身振りと声。実際、ひざ蹴りはリハーサルになかったんだけど。
笑いながら一部始終を見ていたペルー人のフロントの若者は、お父さんたちに部屋のカギを渡してくれた。値段交渉成立!。

会社の跡継ぎ

オーナー企業の場合、会社の後継ぎは息子がやるという風に見られる。事実、中小になかなか人はこないし、銀行などは担保の問題からも「会社=オーナー」と見られる。

でもね、産業が突然死する時代だ。後継ぎというよりも、チャレンジする気持ちだけを継いで欲しい。そして今お父さんのやっていることにとらわれず、その時代にあった、世の中に価値のあることにチャレンジして欲しい。会社を継ぐなんてちっぽけなことを思うな。それに守りの気持ちじゃ、産業突然死の時代は生きてゆけない。
会社をやることでなくてもいい。あこがれることに価値観を感じて欲しい。

会社を継ぐんだと思っていると、守りの気持ちが自分を縛ってしまう。君の人生にくいが残るようなレールを、お父さんは敷きたくない。全くの白いキャンパスに、自分の形にしたい夢を描いていって欲しい。だからヨセフやルカには会社を継がせるつもりはない。チャレンジするのに役立つ、事例を残したい。お父さん自身でやってみることだ。

もし会社を大きく出来たとしても、たとえば上場できたら会社は社会のもの。価値ある会社は子どもと一緒で親から離れる。独り立ちさせるのが親、つまり経営者の仕事だ。

学習してるルカ

マリアはルカについて心配しているところが3つある。
1.お金の使い方に我慢ができないのでは。
たとえばお菓子を買って千円単位でお小遣いがなくなる。ケータイ料金を使いすぎてしまう。
2.すぐ暴言を吐く。
「塾に遅れるなら電話しなさいよ」といったときなど、「るせえなババア」とかいう。
3.返事をしない。
授業でも座って聞く態度が悪い。食卓でもひざを上げる。

でも進歩しているところもある。
1.ケータイ料金は毎日のように料金をチェックし、固定料金の枠を超える有料サービスや通話にいつも細かく注意している。貯金箱に小銭を入れてる。お小遣い帳をつけだした。これは進歩した。
2.「死ね」とか言わなくなった。だけどまだ甘えてるな。

後は返事をしないを改善することかな。
夢中になっていること、たとえばマンガを読んでいるとか、メールを見ているとか、ゲームをしているとかを中断するのは、「はやく答えてあげなきゃ」と相手のことを思いやることができなければ、返事をすぐにはできない。
それにペースの切り替えには、エネルギーと自己コントロールできる精神的な強さが必要だ。
「返事」に人間の成長ぐあいをみることができると思っている。

夜の運転

特に雨の夜は横断中の人が見えない。危ない。
また遅くなることで食事の遅れ、寝る時間の遅れが疲れをためる。
運転する時間が多いほど、事故のリスクは高くなるんだ。
メガネをかけ始めてから、視野が狭くなったよ。
最近は注意力が落ちた。ヒヤッとする回数が増えたんだ。
長いドライブは楽しいけれど、家の周りをよる運転するのはだんだんいやになってきた。
「事故は自分の家の周りで起こしやすい」という統計があるそうだ。

収集家

何かを集めるのは、お金と時間と情報収集の熱意と整理整頓が必要。お父さんも切手、酒ぶた、はと、プラモデル、レコードを集めたことがあった。
切手はいつも新しい記念切手の発売日をチェックし、切手の値段と種類はカタログで見てチェックしていた。
絵や刀を集める人もいる。このレベルになると、日本の文化を継承していることになる。博物館でも大学でもないけど、立派に伝統文化を後の世代に伝える役割といえる。

つまらないと思われるものでも、集めて整理すれば、それは力になる。

秋晴れ

今日は空が高かった。空の青が、北海道を思い起こさせた。
こんな日は、早起きしないともったいない。

家庭学習の習慣

つまり、没頭する時間を習慣として持つようにすること。
またはぼーっとして、今日学校であったことを順を追って、映画を見ているように思い出す。
そういった、じゃまの無い自分だけの時間を持つことじゃないかな。

Wednesday, September 27, 2006

斎藤家に近づきたい

ハンカチ王子の斎藤君のお父さんについて、週刊誌に書いてあった。
どんな家族なんだろう。もっと知りたいと思った。

ヨガしたい

お父さんは身体が硬くなった。可動部分が少なくなった気がする。
柔軟体操を心してしなくちゃ、頭まで固くなるようだ。

誰かと支えあえばいい

ひょんなことで、ずいぶん感謝されることがある。うれしい出来事だが、逆にどうしても世話になりっぱなしの人もいる。なかなかその人に恩返しできない。
また甘えられてばかりで、ちょっとお世話しすぎかなと感じる人もいる。うまくいかないものだ。

できるだけいろんな人の喜ぶことが出来たらいい。得意なこと、自分ではあまり大変だなあと感じない分野のことで、人に貢献できるのが理想。
迷惑をかけないことも大切だけど、生きている限り、誰かに迷惑をかけてしまうだろう。自分ではそのつもりが無くても、相手がそう思うときもあるだろう。
それから好きになったり、好意をもたれたりすることで、うまく合わないことも多いのが世の常。小さなたとえで言うと、相手は飲むのが好きだから一緒に飲みたいけど、こちらは飲むのが苦手という例もある。

苦手なところは思いやって、お互い苦労なく共感できる点で認め合うのがいい。

Tuesday, September 26, 2006

はまる時期

何かにはまる時期があると思う。没頭すればいい。
さらに、必要があることがおきたら、すぐに切り替えて止めることができればなおいい。

埋めていく第一歩

とっかかりというのは大切。なかなか手がつかない場合は、書き写すだけとかの単純作業からはじめるのがいい。
没頭するまでの手順は、なるべくパターンにのっとったほうが楽。

Monday, September 25, 2006

洋楽三昧

英語の勉強に一番役に立った。英語の歌詞を覚えて歌うこと。

ユースホステルで学んだこと

たまたまその日に同じ宿に泊まったという縁。見ず知らずの、全国から集まった、ただ旅の好きな同年代の若者。もう2度と会わない人がほとんどだろう。
恥ずかしがらずに無視せずに、こちらから話しかけてゆくこと。そして話を聞くこと。初めての人同士でも共感しあえることのすばらしさを感じた。
出会った人のおかげで陶芸にも興味を持った。いろんな境遇で一生懸命生きる、人間の魅力も知った。斜めに生きている人ばかりではない。まっすぐな人もたくさんいる。

自分でどこに行くかを決める。何時の列車に乗って、次はどこに止まるかを決める。うまく乗り継いでゆけるよう、計画を立てる。不安なときは誰かに聞く。調べてわかっているつもりでも、誰かに聞く。時々よりよいルートを教えてもらえる。急な変更にも対応することができるようになる。

自分を見つめる。見たもの聞いた物を観察する。静かな時間。長いローカル列車の時間。
日記に思ったことを書き出したり、本を読んだり、いろんなことが思い浮かぶ時間だった。

田舎がほしかった

お父さんがいろいろ旅をした理由。
田舎がほしかった。
失われ行く自然と人情。楽しかった田舎での夏休みの思い出を、自分の家族にも経験させてあげたかった。

一人旅をした理由。
自分で判断して、世の中を渡れる強さを身につけたかった。
経営者のように、判断すること、決断する者は孤独だと思った。孤独でもしっかり歩んでゆけるようになりたいと思った。

お父さんの受験勉強

昔のことだけど、役に立つといいな。お父さんの経験談。

高校2年の夏まで柔道部があって、2学期からぼちぼち引退ということになった。それまで週6日練習で、帰ってきたら疲れて寝るばかり。そんなわけで、柔道部の練習に出なくてよくなったときはうれしくて、友達の家に寄り道するのが日課となった。
この状態は3年生の夏休みまで続いた。そろそろ受験ということで、予備校の夏期講習を1科目とって見たのだが、まったく理解できない。その頃学校で行われた模擬試験の数学の結果も0点とか15点。さすがにあせった。
結局あせって人のペースで勉強するより、自分のペースで基本的なことから積み上げるしかない。それから、家では勉強できる雰囲気ではない。まわりが勉強している雰囲気の中で、なおかつ自分のペースでやるしかないと思った。

学校が終わって、近所の図書館へ通いだした。
苦手は数学だったが、得意の英語から始めて勢いをつけようと考えた。7-20行の英語の文が載っていて、それの翻訳を解説している参考書を最初のページから読み、自分で訳し、解説を読んで間違いを修正していった。実はめざすのは理科系の学校だったけれどね。
日曜には朝9時から、できるだけ7時の閉館近くまでいた。疲れて最初の頃は4時か5時で帰ったが。家は休むだけ。
幸いそこではいつもきている小学校の同級生などを見つけた。疲れて目を上げると、その女学生は参考書に向かって真剣に勉強している。「よし、彼女ががんばっているんだから、もう少しだけがんばろう」彼女の存在は、ちょうどマラソンのペースメーカーのようなものだった。
こうして1日10ページずつとかの進み具合だったが、400ページ近くあった分厚い英語の参考書は、すこしずつ手垢で汚れていった。ただただ図書館にいることのできる時間いっぱい、集中することを課題とした。
そして12月も終わりに近い頃、やっとすべてのページが書き込みで真っ黒になった。うれしかった。
それから1ヶ月は物理、2週間くらいの間は数学をやった。不思議と「もう間に合わない」などのあせりの気持ちはなく、充実感が残った。
だめだと思った入試も、受けた試験問題を覚えていた大学が合格だった。

お父さんの弟も、お父さんの受験の1年前に高校受験をした。12月から集中して勉強し、希望の高校に合格したことがあった。そのときも簡単なものから始めて、集中する時間を長くしていく勉強だった。それを見ていたから自分もできると思ったのだ。合格できたのは弟のおかげでもある。

周りが勉強している環境に身を置く
ペースメーカーを見つけ、自分を励まし、できるだけ長く没頭する
まず、ひとつの参考書だけを選んで制覇する

君たちの参考になるかな。

アイデア倒れ

いろんなアイデアは沸いてくる。具体的にするのがしんどい。
こんなことしたらどう?ってアイデアは会議でもよく聞く。でもその後だ。もしアイデアを出すだけですべて準備もそろうなら、こんなに楽なことはない。
たとえばバレエで「もっと足をピンと伸ばせばいい」とアイデアを出されたとしても、その後時間をかけて練習を重ね、やっとできるようになる。しかし、それだけでは優れた表現にならない。まだ足りないうちのひとつだ。
たいていのアイデアは、実現するのに足りないものだらけだ。検討してつめてゆくうちにしぼんでしまうか、面倒になってそれ以上調べたり深く考えたりしなくなる。
粘り強く、足りないピースをひとつひとつ組み合わせるような、根気の要る作業だ。その上、壁にぶちあたることが必ずある。そのときどうするか。決断するための考え方、方向性も大切だ。
唯一、好きなことであって、さらに仲間がいると何とかして行けそうだ。
形になった後はどう続けてゆくかだ。これはいつか書いたけど、記録することからかな。そして、最後はひとりになっても、「自分のために、応援してくれた人のために続けるんだ」という気持ちか。

アイデアすら出ないって?気持ちがしばられてるね。

読みすぎると書けなくなる

本を読みなさいとよく言われるけど、読みすぎると自分で書くことが出来なくなる。読んで刺激を受けたら、自分の体験を思い出して自分の言葉で書く。食べたら動くとか、出すみたいに。

北海道へよく行ったけど、はじめはカメラを持っていかなかった。写真をとっておわり、いったつもりになるのでは・・と思ったから。おかげで思い出すことで浮かぶイメージができてきて、次に行ったときにいい写真が撮れた。

学校の勉強ばかりしていると、与えられることに慣れすぎる。吸収しているつもりになってしまう。
自分で世の中を作っていく力が弱くなるような気がする。
夜思い出して心に残っていることが、身になる、役に立つことかな。日記に書くようなことが。

ボケ防止の純情きらり

「今日の純情きらりはどんな話だった?」
思い出してしっかり話せる人はぼけない。やってごらん、なかなかむずかしいよ。
食事のときにみんなで話すと、ぼけない家族でいられるんじゃないかな。
「今日はどんな一日だった?」
ストーリーを話せて共感を得ることが出来るということは、とても貴重な能力となる。ただし、みんな親に話すのはちょっと抵抗があるかもね。

思い出すなあ。お母さんはお父さんが会社から帰ってくると、クララの面白いエピソードを山ほど話してくれた。てぐすね引いて待っていてくれた。それはそれは楽しい食卓だったよ。

Sunday, September 24, 2006

押すか待つか引っ張るか

お父さんやお母さんがいつも考えていること。
君たちの背中を、今は押すときか、待つときか、引っ張るときか。
家族が幸せになるためには、どれがいいか。

どこまで手を貸すか

どこまで手を貸せば君たちのためになるのか?
一度言えば済むことを何度も聞かれたり、寝坊して遅れそうになったのを車で送ったり、自分でもできることをやってあげて、その間本人はマンガ読んでたり。部屋をきれいにしたり、本や教科書、宿題のプリントなどの探し物をしたり。
君たちも分かっているだろう。これは時間の無駄。第一、君たちが友達にこの話をすることができるかい?恥ずかしいと思ったら正常だ。
その時間をもっと困ってる人のために使えば、世の中にもっと貢献できるのに。
お父さんやお母さんの、稼ぐために調べたり、勉強したりする時間も消えてゆく。だけどお小遣いだけは要求される。
聞いてておかしいと思わないかい?

もっと根本的なこと。
手を貸すことで、目的を達成してしまった君たちは工夫しないだろう。子どもを世の中へ送り出し、自由に活躍できる人になってもらうというお父さんやお母さんの使命から、はずれてはいないだろうか。

掃除や洗濯、食事のしたくや後片付けといった、家族を維持する仕事は誰がするの?誰が恩恵を受けることなの?
さてどうする?できることと仕方のないこと、準備を計画的にすれば済むことと突発的なこと。これを切り分けて考えてみてくれ。

Saturday, September 23, 2006

今はワン切り

月3万円台から1万6千円、8千円台へと携帯料金が減ってきた。遅ればせながら導入したリミットで、半月近く電話を止められたことも経験した。今はお父さんにはワン切り。電話は自分の携帯からでなく、家の電話を使い、極力通話を減らしている君。パケットは相変わらず40万パケット台と信じられないものだが、毎日料金チェック。
すごい変貌ぶり。しっかり学習しているね。
その調子で、こんどはお小遣いの使い方も学習してくれ。

毎朝かっとび

クララへ
毎朝駅から学校まで全力疾走だってね。君に追いぬかされたら遅刻・・って判断する子がいるとか。ぼろぼろのかばんと色のはげた靴。名物になりそうだ。ふだんの鍛錬の賜物か、最後の運動会の障害物競走はぶっちぎりの一番。いいね。
何年かたって学校時代の話をするときにはきっと、早弁とか、朝のかっとびとかが懐かしくなるだろう。

どんな物語にチャレンジ?

短い考えを書いてきたが、次のステップも考えてみたい。それは実話とか物語を書いてゆくこと。説得力もあるし、残しておきたいこと。

田舎で親戚がよく集まって、大人の話を聞くことが出来たお父さんのこどものころは、物語というか、世間話の宝庫だった。ちょっと下世話な話だったかもしれないけど。
大学生になって、旅先のユースホステルで見知らぬ若い人同士で話をしたときも、旅の情報交換だけでなく、よくそこに来た人の消息や、どんなエピソードのある人だったなんて話も出たね。これも刺激になった。こんなことを実際やってる人がいるんだなあって。
また初めて会う人だから、まったく普段を知らない遠くの旅人だから、心の奥底まで話せることがあるっていうのは、新鮮な体験だったよ。
中学や高校のころが、一番こういった環境からはなれていた。必要な時期なのにね。

囲炉裏端での、おばあさんの言い伝えや民話はもう聞けないけど、テレビでは体験できない身近な物語の刺激。
ブログに書いてみたいね。

文句を言う

お父さんは商売を自分でやっているから文句が言えるようになった。
自分で仕組みを組み立てていく側を経験したから。
君たちだったら、後輩に教えて初めて身につくものがあるだろう。

Friday, September 22, 2006

紙との対話

考え方を深めるには、他の人の見方を聞かなくては。対話がそれを深めてくれる。酒の席で、講釈ぶっても進歩がない。お父さんにとって、マリアは貴重な存在。深める対話をしてくれる相手。
それから、お父さんは紙と対話する。思ったことを書き出して、おかしな筋をたどってないか見直す。自分で書くので、自分を反映する鏡のように思えるが、なぜか新しいものがでてくる。対話なのだ。コーヒーショップの充実した時間でもある。
そして、対話の次にくるものは物語だと思う。

ひらめきとど忘れ

「思い出すこととひらめきは似ている」とソニープラザの展示にあった。似たようなものを思い出そうとするプロセスは、ひらめくプロセスと同じだという。また、ど忘れしたことを一生懸命思い出そうとするのは、ひらめきを得ようとするのと同じ。創造的な頭の使い方というわけだ。
ひらめくとは、そうして考えの中に沸いてきたことを、しっかり脳に定着させる、つまり記憶させることだそうだ。そういえば、しょっちゅういろんなアイデアがわくけど、ちょっとすると忘れちゃうんだよね。だからお父さんはすぐメモする。マイブックに。
ど忘れは、どこに記憶をしまったかを脳に問い合わせても、その番地が消えている状態かな。脳のどこかにあるという感覚は残っているのだけれど。

何度もマイブックを眺めていると、また別の組み合わせや似たものを思い起こさせる。これが新たなひらめき。相乗効果だ。そしてマイブックを元に、ブログなどに文を書いていると、リズムが生まれてくる。このリズムがまたほかの事を呼び起こす。そんな感じだ。

クララもヨセフもルカも、みんな家族だからいろいろな共通の話題や体験がある。お父さんの書いているブログを読んでいると、いままでのいろんな体験と結びつけることができるだろう。
メモと日記やブログを書くことは、ひらめきや喜び、創造のエネルギーにもつながる。みんなにお勧めする。

下水管を組むように

水は高いところから低いところに流れる。仕組み、つまり運営のルールを作るときは、自然に逆らわない仕組みが一番実行されやすい。たくさんの人との共同作業が必要なら、仕組みは必要だ。いろんな違った背景を持つ人が一緒ならなおさらだ。もし一時的に出来ても続かないとしたら、この原則を見直そう。
一番低いところで待っていよう。
高いところにある泉を見つけよう。
急すぎず、ゆるすぎず、物を押し流す勢いを保つ角度。無駄のない傾斜をつけよう。
そうすれば長く広い範囲をうるおせる。

家族でも、なかなか決めたことが続けて守られない。お手伝いとか、毎日必要なことにその傾向があるね。こうあるべきって通したパイプに、きっと逆勾配があるんだろうなあ。

毎日お見合い

毎日お見合い。世の中すばらしい人がいる。
小さな世界でよどまないように。

心の声で立ち止まる

自分の心の声を聞け。
相手のペースでだまされるな。
おかしいと思ったら、いったんその場を離れよ席を立て。そのまま続けていたら、消耗してしまう。君はひとり、向こうはたくさんか百戦錬磨だ。

Thursday, September 21, 2006

引きずってしまった

見積書を持っていった会社で、受付に出てきた女性に「総務部長さんいらっしゃいますか」とたずねた。一度訪問した会社だ。その女性はお父さんの名前を覚えていてくれた。
部屋に案内されている途中、「よく名前を覚えていましたね」と感心したのだが、だんだん思い出した、この人この会社の社長さんだ。この間会ったっけ。急にあせってしまった。
あとはこのことを引きずってしまったのは、言うまでもない。

名前と顔を覚えようね。

返事がない

仕事の関係でお金を払って、お父さんが仕事をお願いする場合でも、相手から返事が無いときもある。いつもすぐに連絡の返事がくるわけではない。すぐに返事をするということは、それだけ努力が必要なことだ。やっていることを中止して、すぐに返事をしなくてはならないからね。

ルカから返事が無いときは多いね。

静かに変わっていく

突然変わるもんじゃない。
人は静かに進化するもんだと思う。
いかに地味なトレーニングや努力を、工夫しながら続けるかだろう。

経営者の書いた本

ルカがいった。マザーテレサの言葉「愛の反対は憎悪でなくて無視だ」を話題にしたとき、「偉い人の言うことはちょっと違うよね」
昔は松下幸之助という経営者がいて、よく本を出していた。パナソニックの創業者だ。いいことを言うんだな、これが。考え方に筋が通っているというか、人を納得させる観察と比喩が書かれているんだ。
どういう方向に向かって判断したらいいかとか、常に考えていたんだろう。そうありたいものだ。
小さいながら、お父さんも家族の長。ブログで自分の考え方をみがいてゆこう。

売れたわよ

絵の展示会で、出品した自分の作品を買ってくれた人がいたというお話。それも見ず知らずの人だったということがポイント。義理でもなく、純粋に、作品自体の魅力にお金を払ってくれたということ。これはうれしい。
マリアがアレンジフラワーを喜んでもらえることに生きがいを感じるのもよくわかる。

いろんな機会を捕まえて、自分の作品を発表してごらん。テストを受けて答えが合ってるかどうかでは味わえない、感動と充実感がある。生きがいとも言える体験だ。好きなことを仕事に出来て、さらに仕事を喜ばれたら、その人は幸せだ。
また逆にいい作品に出会ったら、素直にほめたり、気持ちを表現するといい。幸せを与えることになるから。

学校を選んだ理由

クララへ
今君の行っているカトリックの学校を選んだ理由。
君の入学一年前の出来事。太平洋で漁船が遭難して、40日近く漂流したあげく、ついに救出されたことをニュースで知った。水も食料もない中、希望を捨てずに生き延びることが出来たのは、一人の船員の存在があったからだと聞いた。その年配のフィリピン人の船員は、敬虔なカトリックの信者で、明日をも知れぬ漂流生活の中、神様の助けを信じて祈り、他のフィリピン人船員の心の支えとなった。パニックにならず賛美歌を歌い、仲間割れもせずに希望を捨てないで、いつ終わるとも知れない漂流生活を落ち着いて切り抜けることが出来た。ちなみに船長は日本人だったそうだが、あまり役に立たなかったそうだ。

クララが学校生活を送ってゆくとき、いろいろな試練があるだろう。学校はたとえて言うと、社会の荒波から守ってくれる舟のようなものだ。そんなときに心の支えとなるものは、マリアの影響もあるけど、カトリックの教えかなと思った。
こんな父親の気持ちを親子面接の中で話したっけ。面接の先生はちょっとお疲れで、居眠りしていたかもしれないけど。

そろばん教室やろうと思った

アフリカでそろばん教室をやろうと思ったことがある。でも、お父さん自身がそろばんできなかったので、実現しなかった。
何もないところで貢献しようと思ったとき、あまりに自分が断片的なことしかできないものだなあと実感させられた。

カレンダーを書くおじさん

ラジオで言っていたが、ワタミの社長は手帳のカレンダーにぎっしり予定を書くそうだ。いつまでに夢を実現しようと考え、カレンダーに書き込む。30分単位だそうだ。
アイデアが出ないときはどうするんだろうと、お父さんは考えてしまう。時間になったらけりをつけて、いったんやめてしまうのかな。それもよさそうだ。
とりあえずお父さんは、「この本をいつまでに読もう」ということを書き出して、予定してみたい。

似て非なるもの

暴力教師と調教。
きれて殴るのは暴力教師だが、生徒がサルなら調教。弱みを見せずに押さえつけないと言うことを聞かない。秩序が乱れると、やり放題の危険な場所になる。内戦中のウガンダやソマリア、それにイラクみたいな。
しつけと児童虐待。
ちゃんと社会生活できるように育って欲しいから?親の都合に従わず、かっとなったから?
暴力団と警察。
どちらもピストルや力を使うけど、めざす方向は暴力団の「自分たちのため」に対して警察の「社会の秩序のため」。
カルト教団と宗教。
習って知っているだけと実行できること。
理解を示すことと無関心ということ。
「別にやってもいいんじゃないの」という意見は、物分りのいい大人なのか、無関心なのか。

まだまだ世の中にある「似て非なるもの」。心の声を聞いてごらん。変だなと思うなら要注意。

裏社会と表社会

おばあさんがものを売りつけられてしまう。だけど自分が悪いんだと泣き寝入りしてしまう。そんな勧誘や販売が横行している。いろいろきれいなパンフレットだけはそろえて、システムがどうのこうの言うけど。
表社会と裏社会がある。いいなりになるなよ。
外国でも、日本語で話しかけてくる人がいたら、とりあえず注意しなさい。
売り込みでも、以下のものは注意すること。
1.長い時間部屋から出してくれなかったり、車で連れまわしたりして拘束する
2.やたら「いいでしょ?」とか「どうでした?」といわせる
3.「おわかりでしたよね」「前にお知らせしてありましたよね。ご納得いただいてのお話ですよね。」と資料を送りつけておくだけで念を押す
4.「早く決めてもらわないと困る」と言わんばかりに、結論を出す日をせかしたり約束させようとする
こういったセールスマンは要注意だ。「そっちに用があっても、こっちに用がない。用があるときはこっちから連絡する。」これが基本。

Wednesday, September 20, 2006

さぼってる?

物事が進むときはパタパタ進んで、予定に追われる。物事が進まないときはなんかサボっているみたいだけれど、もっと考えて計画立てて、いろいろ調べなきゃいけない時期。
旅行などのイベントも終わったし、お父さんも次の計画を立ててゆかなければ。

構想を練って計画立てる時期
身の回りの片付けを実行する時期
約束に追われる時期
自分のことが進まないで、人のことに振り回される時期
出会いの時期
振り返って修正する時期

今はどれ?

Tuesday, September 19, 2006

そこへは戻らない

そこへ行けば楽。でもそれでは解決にならない。部屋の前でうろうろする。だけどしばらく悩んだ末、教室へ歩いていった。
静かな決意がううっとくる。

家族思い

ルカが一番お母さんにくそババアといったりする。
ルカが一番ヨセフにちょっかいを出してけんかする。
ルカが一番家族のためにお土産を買いたがる。
ルカが一番家族でのキャンプを楽しみにしていたりする。

very special time

ベリースペシャルタイム。とっておきの時間。特別のおもてなし。ディズニーランドや外国のマンガでよく聴く言葉。

豊かな現代社会。安い金額でなんでも手に入ると、とっておきの時間が少なくなっちゃうね。我慢もなければ、とっておくこともない。
ほんとはまだまだ特別の経験や時間があるのに、いつでもなんでも手に入ると錯覚して傲慢になっちまう。または分不相応にお金を使ったりする。たとえばセレブなんて、創作の喜びや感謝されることから比べるとたいしたことない。

レッドロブスターで家族そろっての誕生会は、いつまでも特別の時間としてとっておきたい。

10年分お礼を言われた

おばあちゃんのお姉さんに会いに行って、おばあちゃんと一緒に車で温泉へ連れて行った。認知症でホームに入っているおばあちゃんのお姉さん。「じわじわとうれしさがこみ上げてきた」と、何度もお礼を言われた。そして、お姉さんと会いたかったおばあちゃんにも喜んでもらえた。

おとうさんのやったことは宿の予約と切符手配、それに運転だけ。それでも動きの取れないお年寄りや、ひとりではなかなか泊りがけで外出することができないおばあちゃんにとっては、旅行が実現したこと自体がなによりうれしいのだ。
いい敬老の日になった。お父さんもお母さんも、心からの笑顔を見ることが出来て、幸せな時間だった。

帰ってきてみると、オーストラリアからメールが入っていた。彼らが先日、日本に来たときに、人を紹介したり食事に招待したことへの丁寧なお礼状だった。またまた幸せな気持ちになれた。

その時だけ

昨日ルカに言われたんだけど、家族会議に代表されるように「やろう」といったそのときだけということが多い。続かない。理由としてみんなが集まらない、やる気ないなどがあった。
どうしたらいいか?
人が集まらない場合も議事録にそう書けばいいか。これが第一歩。
ルカの携帯に関係する約束は、そのつど書いてるよね。なんとか結果的には守ってるから。
書いて残す。家族会議ノート作ろう。昨日のお小遣い帳に続けて。考えてみれば、このブログがノートの代わりをするのが手っ取り早い。これは家族の日記。

Friday, September 15, 2006

クリエイティブな時間帯

プログラムのアイデアを考えている時間は、たとえて言うと釣りをしているときのようだ。急に潮の具合で魚がつれ始めるときもあれば、まるでだめなときもある。アイデアも同じ。時間をもらって一生懸命アイデアを出そうと思っても、一向に出てこないときも多い。
いい場所、いい時、いい雰囲気がそろって、やっと出てくる確率が増す。ねらい目は朝。コーヒーがあればいい。

夜行列車で始発駅を出てしばらくの間は、アイデアがたくさん湧き出るときだ。
飛行機が離陸するときは、いつもすごく眠くなる。その後はしばらく、考え事にいい時間帯。
モーニングコーヒーを飲むコーヒーショップの中もいい。
朝日が当たっているときはなおいい。お父さんのお気に入り。
ずーっと書きかけになっている、企画ファイルを見続けているとき。ちょっとすいてる電車の中。
それから、気になる本を手にしたとき。

君たちも、家では勉強やる気にならないでしょ。お父さんにとって、図書館はよかったね。
クリエイティブな時と空間、見つけて大事にしなよ。

お小遣い復活

アルバイト制だった君たちの収入源を、月ぎめのお小遣いに変更する。結局、家のお手伝いアルバイトがいろいろあっても、やらなかったね。家族の中のことでは、アルバイトといっても緊張感が薄かったかな。
お父さんにとっては実質、お小遣い値上げを飲んだようなもの。携帯代金が大きいからね。ためいき。
家族の週1回ミーティングも、夜にそろわないことが多かったね。

お小遣いに戻したので、こんどは小遣い帳をつけてないと払わないよ。お金の動きを把握する習慣から出直そう。しっかり計画的に使うことが出来るようになったら、また稼ぐアルバイト制がよくなるかもしれないから。

君たちとミーティングをしていなくても、まあとりあえずは、みんなとざっくばらんに話をしてきているので、悪い道に進むんじゃないかなどの心配はしていないし、信頼してるよ。大きくなって、精神的にもたくましく変わってゆく様子が楽しいよ。

Thursday, September 14, 2006

家庭教師が来た日

我が家に初めて家庭教師のお姉さんが来た。面接だ。
ひととおり面接が終わった。なるほど、こういうものか。
でも、初期設定料ってなんだかへんだ。人材派遣業と考えているのに。

見た夢へのコメント

ルカへ
お父さんが朝見た夢を話したとき、君が「僕だったらこうする」というコメントをしていたね。なんかうれしいね。家族って感じで。
他愛もない見た夢の話で、心が通じたような暖かい瞬間だった。

ぼくはよわいんだ

ヨセフが小さい頃に言ったこと。
お父さんははっとした。よわいということを知っていることは強いということだ。
力まずに、こつこつやってゆく。怖いこと、いやなことにも、力まずに、参加してゆく。結果は受け入れる。あるがまま。
よわいから力まない。これが強い。
強い人はちょっとのことでバランスを崩す。本当に強い人は、上には上がいることを知っているので、強がらない。弱そうに見える人の中にも、きっと強さを見つけている。
君は強い資質を持っている。パニックにならず、力を抜いて。
心を開ける人は、つくろわないから強い。

詩人は成功する人

本で読んで共感した。こんな人になろう。

境界を自分で越えてゆく人
何か発明できる人
巧みな比喩が作れる人

やってみた回数だけ、憧れに近づける。
必要なセンスは6つ。
デザイン、共感、物語、調和、生きがい、遊び

自分で境界を越えていくというのは、専門分野がひとつじゃないということ。多くの人がまるで気がつかない関連性を捉えるということ。男らしさ、女らしさ、常識にとらわれないこと。自分の考え方の中のしばりを、力まずにぬけること。
発明ができるとは、既存のアイデアを新しいやり方で組み立てなおすこと。
巧みな比喩が作れるとは、核心をわかりやすく表現できて、「要はこういうこと」が言える。自分の言葉で表現し、考えられるということ。名前の付け方がうまいこと。

努力せず、遊んでばかりでうまくやるという意味ではないよ。何も作りだせない人は、だれも共感してくれない。まじめに人の敷いたレールの上を、ひたすら努力するというものでもない。人の敷いたレールの上での競争で遅れても、負け組みではないということ。

全体像を理解して、関連性をつかむ能力を磨いてほしい。一言で言うと、詩人のような。

Wednesday, September 13, 2006

力を入れない声の出し方

クララへ
歌の教室から帰ってきていってたね。
「今日は声の出し方がわかったの。力を入れないで出すことを。」

お父さんもテニスでそのことに気が付いたときがあった。
それまでは腕で力まかせに振っていたラケットを、振り出すときにはだらりとさげ、ちょっとタイミングを早めに振り出す。たとえていうと、紙飛行機を風に乗せて飛ばしてゆくように振ってゆくんだ。できるだけゆっくり。そうするとラケットの先が、くるりと回るように手首よりも前にとびだしてゆく。力は出来るだけ抜く。
ここで気をつけることは、関節が自由に動く方向とラケットの進んでゆく方向が同じということ。つまり、障害物がないのだ。これでしっかり握っていなくても、ラケットがボールを打ち抜いていってくれる。
またゆっくり振り出すことで、どちらかというと手の動きが押さえ気味になり、反動でラケットが前に行ってくれるという感じだ。むちを振るような。力を抜くという感覚は、同時に、どこか押さえ気味にする部分があるという感覚でもあるんだ。
変なくせがつかないようにするためには、壁打ちをしているときのように、リズムと自分の体の動きの感覚と、対話することに集中してゆくのがよさそうだ。
しばらくやり続けると、だんだん疲れてくる。うまくいかなくて、我慢が限界になってくることもある。でも、疲れてきてからはじめて力も抜け、感覚に集中できてくると思う。余計な左脳の考えが、疲れて出てこなくなるからかな。
毎回ではないけれど、一度つかんだ感覚は、3回に1回とかの割合でよみがえり、それが2回に1回となり、次第に自分のものになってゆくんだ。

お父さんの壁打ちに当たる練習方法を、君も見つけてくれ。

Tuesday, September 12, 2006

学校の授業とは

ヨセフへ
高校へあがれるかどうか、なるべく中間まで授業を聞いて勉強するしかない。ペーパーテストだからね。

学校の授業は「避難訓練」みたいなものだ。社会人から見ると、いざというときのためにすべて網羅してやっておくというもの。試験のときだけしか役に立たないこともやっている。

社会人になると、好きなことや得意なことを中心に、プロとして経験を磨くことが中心だから、ほとんどの大人は仕事に中学の古文を必要としない。だからおとうさんもちんぷんかんぷん。
たとえば好きでない仕事に就いたとしても、お客さんはプロとしてのサービスや製品を買うためにやってくる。それに繰り返し対応するわけ。いやでもプロになる。
いやな勉強をしなくていい反面、仕事では厳しい言葉も浴びせられる。出来て当たり前。それから考えれば、学校は守られていて、いろんなことを試すことが出来る場。
学校は失敗を大いにしたほうがお得な場。失敗をしないと、そのときどうなるかということがわからない。慎重になりすぎて冒険も出来ない人になってしまう。未来を開拓するには困るわけだ。

いくら勉強しても死なないから、自分が集中できる場を見つけて、集中できる方法で勉強してみなよ。お勧めは中央図書館だ。

Sunday, September 10, 2006

あこがれの人に近づきたい

こんな人になれたらなあ。お父さんにも憧れる人がいる。本でその人の考えに触れるだけではもの足らず、会いに行ったり、その人の主催する新規事業コンテストにも参加した。
君たちも、そんな憧れの人を目指してくれ。
迷ったときには、その人ならなんていうだろうと考えてくれ。

トランプができるようになった

ヨセフへ。
トランプゲームは負けるのがイヤだからやらない。昔君はそうだったよね。
今はトランプをやりたいという後輩のために、付き合ってゲームをする君。彼は勝つと、うれしそうにするんだろ。うるさいくらいに自慢もするかもしれないね。それを聞いてあげれる君は、大切なものをつかんでいるんだ。

思いやりは、自分をあるがままに受け入れることでもある。怖いと思う、イヤだと思うものを、そのまま受け入れる。思いやるエネルギーがなかったら、トランプは昔みたいにやらなかったろう。イヤだったりするけど、相手のためにとりあえず受け入れる。怖いこと、行きたくないことや、やりたくないこともきっと同じだ。

小さいことだけど、大きなことに通じる変化。
次は、誰かの共感や感動を生むようなことに集中できればいいね。

愛の反対は無関心

テレビで政治家がマザーテレサの言葉を引用していた。「愛の反対は無関心」
そうだよなあ。相手を喜ばそうとか共感することが愛だとしたら、憎悪よりも無関心のほうがタチが悪いなあ。

いつも家族は、あなたのことに関心を寄せているんですよというメッセージを君に送っている。先生もそうだ。
君はそんなメッセージを誰かに送っているかな。クラスのみんなの視線は、無関心に映るのかな。それとも、もっとさげすまれているような視線に感じるのかな。
年寄りや病気の人、アフリカの子供たち、内戦をしている国の人々。自分たちは恵まれた国に生まれながら、共感する力が衰えてきたような気がする。
守ろうとする物が多すぎるのかな。いいや、やはり無関心なんだ。別のことには関心があるのだけれど、安っぽいものにとらわれているんだと思う。

身近な人から、もっと相手を喜ばそうとする。そうして共感する力を鍛えなおそう。誕生会のプレゼント選びから始めていくのもいいと思う。

Thursday, September 07, 2006

ドリルをやることと設計すること

訓練と教育は、自分で自由に設計して作り出すことが目的の練習だ。
人によっては最初にやってみて、もっと理想に近づけたいから、ヒントを得るために訓練や教育を受ける人もいる。お父さんはそれでも間違いではないと思う。お父さんが本を読むのも同じような気持ちだ。

君の好きなことを一生懸命やる。設計し作品を作って、たくさんの人の共感を得ることができたら、それが正解だろう。
その時のキーワードは、「デザイン」「物語」「調和」「共感」「遊び」「生きがい」だ。

はるか遠くへ行ってしまった

続けることで、経験のなかったことも本物になってゆく。富士メガネという眼鏡屋さんのお話。

お父さんがはじめてその眼鏡屋さんにあったときは、タイの難民キャンプにメガネを贈りに行って2回目の秋だった。
その年からお父さんはアフリカへ住み込んでボランティア。同じレベルの生活はできないし、貢献するのも長い道のりだし。一生懸命にやっても実を結ぶとは限らない。現地で生活しながらのボランティアは、葛藤と心のバランスをとることが大変だと思った。
それから比べると、眼鏡屋さんの年に1回やってきてプレゼントしてゆくという活動は、たいしたことではないと思っていた。それに、長い間自助努力が大切だと教えてきた難民キャンプに日本の政治家が来て、お金と食べ物をばらまいていったと、UNHCRの友達が嘆いていたこともあったからね。
でもその眼鏡屋さんは、その後23年間も難民キャンプにメガネを贈る活動を続けたんだ。もちろんUNHCRにちゃんと相談しながら。誰の世話にもならないで会社も立派に経営し、その上ボランティア活動を続けた。

その間お父さんは何をしていた?自問自答したよ。
お父さんがアフリカへ行ったのは、きっと旅を極めたいという自分の興味のためだった。それから老後また、ボランティア活動を偏見なく再開するために、若いうちに経験しておこうと思っていた。そのためには仕事に成功しなくちゃと考えたんだ。技術だけではボランティアはうまくいかない。マネジメントも大切だというのが、若いときの経験で得たもの。
そして今思っている。「今からでも遅くない。」

地道に続けることで、はるか遠くへいくことができるんだ。

Tuesday, September 05, 2006

お母さんの育児日記

お母さんは育児日記をつけていた。クララがお嫁に行くときに渡そうと思ったのかな。ヨセフの小さい頃も。ルカの小さいことは時間がなかったようだ。
お父さんもこのブログが育児日記の代わりになるように、書いてゆきたい。

ホリエモンがなんでたたかれるのか

「ちょっとコップとって。おねがい。100円あげるから。」
もしこれが口癖になっていたとしたら、ホリエモンと同じ。友情は友情で返す。愛は愛で返す。お金はお金で返す。混ぜるな危険!
君が誰かを好きになったとき、「家まで送ってあげるよ」と一緒に家まで行ったとする。一緒にいてしゃべりながら楽しい帰り道を過ごすわけだ。家に着いて「ありがとう。じゃ100円。バイバイ」といわれたら・・好意に対してお金払って終わりという感じはいやだよね。もしその女の子が「別に、送ってもらったお礼だから」と悪気なく言ったとしたら、デリカシーがないんじゃないのと、急にきらいになっちゃうかも。そういう人だと、ちょっと何かしてもらったら「1000円くれ。当然でしょ」といわれる不安がでるよね。すぐ離婚、慰謝料でどろどろにもめる・・なんてね。

お金を稼ぐ大変さを知るために小遣い制をやめた。お手伝いも何もしないで、毎月こづかいはもらえないということを通して、お金の価値を知ってもらいたかった。
だけど同時に「混ぜるな危険!」という、お金と気持ちの問題も整理して理解しよう。

それから、世の中みなお金を持ってる人ばかりではない。
小さいときはみんな、お金を払う必要がない範囲のことで付き合うから楽しい。大人になってそう思うはず。大きくなって飲みに行こうと言われても、お金が無いこともあるし、一生懸命ためている途中なのに「付き合い悪いな」なんて言われて、毎日無駄なお金を使わされるのもくやしい。断る勇気が無かったら君の夢もどこかにいってしまうし、「付き合い悪いな」といってる何人かと同じように、まただれかの夢を壊す側になってしまう。被害者がいつのまにか加害者だ。
「このぐらいかかるけど、いっしょに水族館に行く?」と聞いてあげる子になってくれ。
高級なすし屋や飲み屋みたいに、あとで「3万円です」と言われるより、一皿100円とはじめからわかる回転寿司になってくれ。
稼ぐことと同時に小遣い帖つけて、予算を立てられる子になってくれ。

Monday, September 04, 2006

蹴っちゃ負けだな

「これで言うのは最後だぞ」といってもゲームを続けるルカに、お父さんはきれて背中を蹴ってしまった。人の話をきいてんのか、こら!大人をおちょくるのもいい加減にしろ!
だけど、背中を蹴ったお父さんの負け。手加減しても。君の「飯はいらない」なんていうのは2の次の話だが、手を出したほうがやはり負け。特に大人と子どもだから。

ただし、子ども同士だとそうはいかない。気をつけろよ。

自由研究のまとめ方

実はこれは、会社に入って一番大切な能力である「問題解決法」と同じ流れなんだ。だからこの流れ(まとめ方の手順)を知っていると大人になっても役に立つし、いつもこの流れに照らし合わせて物事を考える癖をつければこわいものなしだ。
さて、オシムの考えるサッカーでも利用できる流れとはこんな具合だ。

1.「こんな現象が起きていてこまっている。この問題を解決したい。」または
「こんなことに興味を持った。その中で見つけたことをみんなに伝えたい。」
こんな風に、まずテーマの設定をする。解決したいこと、伝えたいことをはっきりさせる。研究の目的をはっきり書くということだ。
このとき注意することは、原因と現象(起こったこと)を混同しないこと。たいていはひとつの原因で色々ないくつかの現象が起こる。現象をなくそうとしても、元の原因を解決しなければ、いつまでも繰り返して別の現象が起こる。
原因は原因の原因があるし、また原因の原因の原因もある。しつこくなぜそれが起こったかを深く考えて追ってゆく。
また、いつも「こういう状況になったら、こう動く」ということを考えておくことが、解決方法を見つけるのに重要な態度だから、ふだんから心がけて訓練すること。オシムジャパンに求められていることだ。「こういう場合はこうなるし、こういう場合はこうなる」という条件を考えることは、次の質問と関係している。

2.原因を切り分けるための質問をしてゆく。自分自身に質問をしていい。「それは男?、それとも女?」みたいに、片方でなければ必ずもうひとつの方という風に、びみょーという答えが出ない質問にする。「こういう場合はどうなる?」みたいに、色々な角度からの質問を考える。

3.質問で切り分けてゆき原因の原因がわかってきて、「どうやらこれが原因で、こういう現象がおこるらしい。」という仮説を立てる。

4.その仮説が正しいことを証明するデータを探す。考え方を説明する図やグラフを書くことで、考え方を深くすることができる。図は、いろんな出来事をひとくくりにできる時のタイトル(要はこういうこと)を書いたり、質問の切り分けがトーナメントのように深く分かれてゆくものを書いたりする。雑誌によくある「Yes、No」で矢印のほうへ進んでゆき、性格診断をするような図のイメージだ。

リーダーは答えを知っている(覚えている)必要はないそうだ。答えを導き出すステップを考えることができればいい。理論的に考えるということはこういうことだ。

よその家に泊まれ

子ども達はなるべくよその家に泊まらせてもらうのがいい。他の家庭の様子を知ることは大切だ。考えてみればお父さんも、夏休みや春休みに田舎に泊まることが、どれほどいい経験になったか。
その後一人旅でいろんな出会いがあったが、いろいろな人から学ぶことが出来た。一度だけ泊めてもらった家から追い出されそうになったけどね。
稲刈りのお手伝い、楽しかったよ。

Friday, September 01, 2006

フランスとドイツの歴史教科書

フランスとドイツで、共同で歴史教科書を作ったと、朝のラジオで言っていた。フランスとドイツはプロシャの時代から戦争ばかり。でも第2次世界大戦後にドイツがナチの行いを謝罪し、フランスがそれを受け入れてからこのプロジェクトがスタートしたということだ。
お互いの歴史学者が意見を出し合う。どうしても違うときは、それぞれの意見を併記したそうだ。そしてこのプロジェクトがうまくいったもうひとつの理由は、歴史学者が20代30代という戦後生まれの人たちだったから。戦争体験している時代の人同士では、きっとうまくいかなかっただろうという。

みんな論理的に考えよう。自分の意見を持てというと、わがままや偏見が自分の意見だからと、対立が解けないこともある。