お父さんからの伝言

夕食の食卓を囲んで、おとうさんが家族にするような話を書き残してゆくブログ。 家族の歴史。

Saturday, July 31, 2010

仕事がヒットしたら

「ブレイクした秘訣は何ですか」
と聞かれたら、多分答えはこうだろう。
「やったことは、ただ小さな問題解決の積み重ねです」

歩みがのろいだけ

だめと切り捨てる前に、注意して観察しなければいけないこと。
本質はわかっているかもしれない。

自分の考えをまとめるって大変

お父さんも海外へのメールやこのブログでも訓練してきたけど、自分の考えを構想してまとめるのって大変。でもこれができないと、ソフトの設計や作ってもらうこと、お客様から出た意見を反映することが形にならない。
そう、形にする苦労。

まずはなぜこんなことをやりたいのかという理由と背景、具体例やコンセプトの説明(WHY)から始まる。
そしてどこにボタンを配置すれば、直感的に操作できるかという詳細イメージ(WHAT)。
その裏には「何を応用すれば実現可能か」という基本的な技術の理解が必要(HOW)。
それから、やりすぎないようにすっきりさせるデザインへの配慮も。

建築家が頭の中で、その建物を使っている人の動き(ストーリー)を想像しながら、設計するような感じ。
質問されても具体的に指示できるまで煮詰めないと、とてもじゃないけど海外のエンジニアと渡り合えない。

たとえばちょっと技術とは例が違うけど、よくあるでしょ、日本の営業部長。
「売り上げを10%あげろ」とラッパを吹いて、部下からどうやってときかれたら「そんなこと自分で考えろ」とか「訪問しろ」。ライバルより高いといわれたら「安くしろ」「だけど利益を確保しろ」みたいな。
根本原因チェックからの遠回りになる王道を行かずに「なんとかならんか」
こんな万能薬さがしみたいなことでは進まない。多分もっと全体を見渡した上で、きめの細かい対応の積み重ねが必要。

仕事って、こんな段取りの塊みたいなことと、決まりきったことを繰り返すルーチンの作業に2極化されるんだろうね。

未来の家族のための留学か海外ボランティア

お父さんが君たちに、留学か海外ボランティアに行くのが我が家に生まれた子達の決まりといっているのは、君たちの未来の家族のためでもあると考えているからなんだ。
子育てをするようになると、自分で道を決めたり、子供の特徴に合わせて見守ってやらなければいけない場面に遭遇する。
そのときに次の時代を考えずに、無意識のうちに自分の習った(古い)常識を振りかざさないようにするためには、若いときに異文化で生活する体験が必要だと思う。これは身にしみさせなければいけない。つまり体得しなければいけないこと。

これからは内なるモチベーションがなによりも大切な時代になる。
君たちがネットでのバーチャルをきっかけに、実際の現場に行っていろいろな刺激を受け、より自分の中のコマをまわしてゆけたら本望だ。

よそよそしい本社

協力隊は帰国して事務所に行くと、OBが多いためか、現地事情に興味を持ってくれていろいろ話を聞かれる。
日本の会社は海外支店から本社に行くと、ちょっと居場所がなくて落ち着かない。地方支店から上京したときも同じ。みんなも忙しそう。
この違い、どこから生まれるんだろう。

受け入れ態勢って特別なことではなく、いろいろなところに住んだことがあるOBがたくさんいて、自然に迎えてくれる環境かな。
ある意味昔のユースホステルみたいで、常連ものさばっていないようなところ。
お父さんの理想は、いろんな国の人で構成されている会社。居場所がなくて落ち着かないこともない会社がいい。

町内会の応援

昔商店街の床屋さんに、化学オリンピックを目指すとてもできのいい息子がいた。
やおやのおじさんや魚屋のオバちゃん、うなぎ屋のおかみさんは集まっては言った。
「たいしたもんだねえ。ここはひとつがんばってもらって、うちらも応援しようじゃないか」
息子さんはがんばったけど、初出場ということもあって10位だった。
「いや、それでもたいしたもんだよ。俺たちじゃ、逆立ちしたってむりだもん」
こう言って、その息子の努力をねぎらった。

今の時代だったらどうだろう。
もしかしたら「なんだ10位か。たいしたことないな」
「大騒ぎするほどのことでもない」
「国は何をやってるんだ。なぜもっと養成できないのか」
となるかもしれないね。
案外さめた意見を吐いていた人も、実際に息子さんに会ったとたん
「よくがんばりましたね。ずーっと応援していましたよ」なんて言ったかもね。

すべてフィクションでした。

そういえば協力隊でアフリカにいたとき、両面を見た気がした。

さぼっていると思われてもいいよ

昔の言葉で言えば「段取り八分」。
うまく段取り(手順を考え、必要な人や材料をタイミングを考えて手配すること)できたら、仕事の8割は終わったも同然という意味だと思う。
「こうしたらこうなるでしょ」
「あいつに頼んだらちょっと時間かかりそうだから、早めに言っておこう」
「これはどうすればいいかわからないな。誰に相談すればいいか見当がつかないから、見つからなかったときのために次善の策(別の方法)も考えておこう」
「こんな資料を見たらヒントが出ているんじゃないかな」

段取りを考えているときは、たぶんまわりから見たらボーっとしているように見える。実際は、旅行の計画や彼女との日曜日のデートの計画を立てているのと同じ。真剣にストーリーを考えている。(だから旅やデートの計画は、テスト勉強以上にとてもいい頭の訓練だと思う)
「なにぼーっとしてるんだ」なんて怒らないでくれ。もしかしたら「まわりからさぼっているように見られると困る」などとへんな考えがでて、ボーっとすることに集中できなくなったら、よけい困る。

もっていない強み

デジハリが新しい大学で生え抜きの教授がいないことを逆手にとり、その時代の第一線で活躍しているひとをどんどん講師に迎えることで、並み居る有名大学を押さえ、CGなどの最新技術教育ではトップを走っている。
なぜ今までの大学にできないか?
教授は昔の技術は知ってるけど、新しい技術の現場を知らない。第一線で活躍している人が来ると、自分はお払い箱になってしまう。当然暗黙の抵抗が起きるだろう。

かけだしの中小企業が、資金でも人材でもかなわない大企業を差し置いて、お客様からの支持を得るにはこれが参考になる。また、新人が業界で活躍している先輩を越える方法もこれしかないだろう。

あとは従来どおり、大企業の下請けになったり、先輩の言うことをおとなしく聞いたり、権力のある人から特別にかわいがってもらえるよう、何かするしかない。ただし自由度は減るし、順番が来るのに時間はかかるし、そのうち卑屈にならないようにしないと曲がっちゃう。
もちろん大企業や先輩も今までの秩序を乱されないように、言うことを聞かない新参者をたたきに来る。

だけど、しばらくしたらどうなるか。
第2次大戦のころ、世界の工場といわれたアメリカの製造業の例を思い出す。今はみな、アメリカから中国へ工場を移してしまった。工場労働者の雇用が減り、困った政府は中国バッシングをはじめた。
ところが、アメリカがどんなに中国へ出て行った製造業を呼び戻そうとして為替に文句をつけても、企業は中国がだめならインドへ行ってしまうだろう。日本の例も含めて、一度出て行ったものは戻ってきたためしがない。昔はよかったといっても元へ帰らないのが定め。あくまで未来志向で新しいものを考えなければいけない。

何が大切か。
未来の姿を構想する力。答えを知っているよりも、その先を組み立ててゆく手順(フロー)を大切にするという考え方。つまりいろいろな組み合わせを試して、新しいものを生み出してゆく教育。
持っていないことを強みにして、未来志向で次代を作り出してゆこう。

Friday, July 30, 2010

他の人が真似出来ないことはかっこいい

学生時代、一人旅したり、山に行ったりした原動力は
「他の人にまねできないことが出来るのはかっこいい」
「どうせなら今しか出来ないことをやる」

お父さんのかっこよさの基準は、髪形やファッション、持ち物ではなかった。
何ができるか。

どちらかというと、スポーツ選手や今のお笑い芸人に心情が近かったかも。
サッカーがそれほどうまくなくても、山にはいける。アホもやれる。ちょっと安易だけどね。
そんなもんだった。

いかにリスクをほかに持ってもらって実をとるか

だいたい中小企業で商売やってる人は、こんなことばかり頭にうかんでくる。いかに自分でリスクを持たずに、相手に乗っかれるか。
そうは問屋が卸さないんだけど、相手の気がついていないことにつけこんで、しつこく迫ってくる人もいる。
中には悪い奴もいる。
地味な長い努力は嫌い。
短期的な損得に関心が強い。
「だれだれをよく知っている」が口癖。
すきあらば横取りしたいと願っている。これはいいすぎかな。でも大企業も同じ。アイデアを横取りされた中小企業はたくさんいる。

リスクを持って、実もとろう。
弱肉強食の世の中。何が要か、自分のことも相手のこともよく知ろう。

お互い何とかしたいと思っている

製品を入れたのに、原因不明のことが起こって使えない。
持ち帰ってテストをするとちゃんと動く。
せっかく買ったのに使えない。
せっかく買ってもらったのに役に立っていない。
お客さんの環境に何かいままで気がつかなかった原因があったとしても、確実にそれを直したら使えるようになるとは言い切れない。
事前にわかっているものでもない。この現状で使えるようにしてほしいというだろう。それが難しい場合。
悩ましい状況。
便利だけど万能薬はないように、何でもできると思ったら大間違い。
こんなパソコン関連、ネットワーク関連のような状況が、日常的に起こる時代になっている。
実はそんなリスクのある、つながる相手次第で不安定だけど、どんどん進化している時代に生きているんだ。

どうしたら台湾の会社と一緒にやっていける?

ビジネスで相手と一緒にやってゆこうとしたら役割分担が必要。つまり相手にないものを持っているとか、相手のできないことをやれるとか。

誰と組みたいから「何を伸ばしておこう」とか、「得意になるように努力しよう」と考えるわけだ。そしてそこに集中する。

友達でも夫婦でも同じ。
相手を理解し、自分も楽しんでやれるような相手に役立つものを見つけ、それを相手の魅力に相当する自分の魅力として磨き、役割を分担できるようにしなきゃね。

人に合わせて友達を作るタイプと自然に人が寄ってくるタイプ

「仲間に入れて」と人の集まっていく中に入ってゆくタイプと
「彼はなにやってるのかな」と人が集まってくるタイプ
友達の作り方は2つのタイプがあるだろう

濃い人間関係

旅の空とか、海外で住んでいるときのほうが
本音で共感したり、さらけだして話すことができたり
充実した、濃い人間関係になることが多いような気がする

なぜそういえるのかというと、
そんな仲間とは25年たった今でも、会えば昨日の事のようにリラックスして話をしているから

海外で働いてみたいという若者が減っているという記事

「今年の新入社員の半数は「海外で働きたくない」-産能大調査」
Yahooのこのタイトルの記事につけられたコメントが気になった。
「正直言ったらそうでしょ」
「わざわざ言葉も文化も違う国で大変な思いをしながら働きたいと考える人は、そりゃ少ないでしょうよ」

だけどマイコミジャーナルでこの記事を紹介したときのツイッターのフォローでは逆だった。
「おれは行けるなら行きたいけどそんなチャンスあんまりなさそう」
「俺は海外で働いてみたいなあー。どんな国でも挑戦してみたい」

28年前にお父さんが新入社員だったころはシンガポールの工事現場があったけど、行きたくないという人が多かった。
理由は
「第一言葉もできないのに、現地の人と仕事ができるだろうか」という不安。
「きっと後釜が見つからず、ずーっといなければいけないんじゃないか」という不安。
そうなったらお嫁さんを見つけられないという連想。
仲間はずれになるのではないか。
みんな忙しいから気にも留められず、ほおって置かれるのではないか。
出世コースからはずれちゃうのではないかという数々の不安。
事実、ときどき本社に帰ってきてもよそよそしく感じる。
当時大手商社の人も「商社といえども、ほとんど日本勤務希望。1割くらいが海外支店転勤回りをしている」といっていた。
転勤は仮の宿、いつも日本や本社のほうを見ている。そこで地元の人と交流し住むことを楽しまない。こんなビジネスマンは多いようだ。

反対に、海外で子育てした経験のある若い奥さんは、日本に帰ると海外に戻りたいという。
夫は遅くまで帰ってこない。
家族で一緒に何かする時間もない。
地元の交流や濃いつきあいも薄くなってしまう。
なんだかゆとりが消えてしまう。
途上国ならお手伝いさんもいただろうから、小さな赤ちゃんの子育てなどはもっとラクだったろう。
日本に帰ったとたん、いままでの家族単位で行動していた充実した時間との落差を感じる。

海外で生活した人にしかわからないことがたくさんあるのになあ。

説明してもらえばわかる?

「一言いってくれたらよかったのに」
「説明がなかった」
「説明責任を果たしてない」
だからお前が悪いという風潮?

じゃ理解責任ってあるのかな
「わかんない」って投げておいても説明者の責任?
どの段階まで理解しているか、質問してお互い確認しあっているかな

チャンスは平等に与えるけど、そこからは自己責任って考え方は
人種も違う、言葉も違う、文化も違う、理解するベースも違うという中で、スムーズに行き渡るために出てきたのだろう
文化の違いは、いくら英語ができても「なんかへんだな」という理解の壁を作ることもある
だからといって後の人が待っているのに、一人へ説明するのにずっとつきあってられないし
理解の早い人と遅い人に付き合う時間コストは差があることが公平だろうし

ある状況下では力の差があって、「説明すらする必要がない」と切り捨てられているだろう
これは直すべきだろう
ある状況下では「お金を払ってサービスを受けているのに説明してもらえない」というものの
ちゃんと聞いて理解しようとしているか、自分のことばかり話していないかという疑問もある
困ったお客さん

「常識だろ」という構成メンバーによる無言の圧力も注意が要るよね

前提条件と相互の確認の大切さ。
外国などでの生活を通して、こんなことが見えてくるんじゃないかな。

Thursday, July 29, 2010

万能薬を求めている間は進歩しない

1.過去は復活し得ない。昔はこうだった、よかったといっても、昔のやり方に戻ることはない。未来志向でいなければいけない。
2.青写真と万能薬をあきらめ、目の前の問題に対する有効な解決策をみつけるという、控えめで地味な仕事に満足することを知る。医学にしても、万能薬を求めている間は進歩しなかった。
3.使えるものはすでに手にしているものだけであることを知る。理想的な道具を新たに発明しようとしても無理。

ドラッカーの著書「産業人の未来」から。

お父さんの解釈は「現実にあるものを基盤として組み合わせ、具体的に対象をケースバイケースで絞って解決策を考え、過去に戻るのではなく、未来志向で地に足をつけてすすめ。」

安くなるのを待ち、よくなるのを待つうちに

「株を守る」(「くいぜをまもる」と読む)みたいに、空から落ちてくるのをずっと待っているような感じ。デフレ時代だからもう少し待ってみよう、技術はどんどん進歩しているからもうちょっと待ってみようと模様眺めしているうちに、年取ってしまう。
そんなことのないようにしたい。

アップデートし続けるって集中力いる

マスタリーとでも言うのか、超一流のプロ選手でも「まだまだうまくなれる」「よりうまくなりたい」って努力するのはよく聞く話。
アップデートし続けるって、常に関心を払って集中する必要がある大変な作業だ。

涼しいと思ってたけど28.9度

新しいエアコン。自動運転だと意外と温度が高い。でもなぜか快適。ここがすごい。

チラシデザインは絵だけでなく大きな流れを描けるか

デザインって、絵がうまいことじゃない。
たとえばポスター。
それによって引き起こされる流れと、売りたい物や来てほしいイベントがイメージどおりに連動すること。
製品のデザインなら使いやすさ。
持ちやすさなどの人との感覚的な境をなくすことだけでなく、「こうやったらこうなるだろう」という直感が働く流れ。
背景のイメージの流れに乗れることが大切だ。

素材と流れと動的平衡

道具や材料を集めるだけではだめ。
どう手順が流れるかを構想して、訓練して、走りながらそれによって起こったことへの対処を身に着けてゆく。
頭の中では簡単そうに思えることも、流れに乗ってバランスをとって、実際に対処してみないとできないよ。

緊急連絡網作りすら苦労するようじゃ

ルーチン以外の仕事をやるときは、なぜか人は腹が立ったようになる。
大騒ぎにみえることもある。
なんだこんなことぐらいでと思うけど、それだけ普段作る側に立っていない人が多いってこと。
だけど意見はある。たぶんにこれは建設的ではないわけだ。このわずらわしいごみを何とかしたい程度のこと。あるいは他人事。
作る側の人は貴重な人。

小さなことでも常に作る側にいることが大切。子供の遊びでも本質は同じ。それをとめてはいけない。

WHY 経緯を忘れてしまう

なぜそれをやっているか、なぜそれが役に立つか。
それを忘れがち。

王道の最初はいばらの道

批判は簡単だけど、王道を行くのはいばらの道を歩くことに似ている。
仕事でいかに高い給料をもらうかということから離れられなければ、短期的なことに振り回されて終焉を迎えるけど、いかに喜んでもらえる価値を付け加えるかに集中すれば、地味な訓練や知恵を積み重ねる過程が楽しい。
認められて収入もバランスするまで、その間の雑音(そんなんでいいの?みたいな)からは逃れられないけどね。それがいばら。

サムライスピリット

これをもって毎日を過ごしてくれ。

ハイパーインフレの時代

昔南米やアフリカで経験した。

奨学金のモチベーション

これってすごく理にかなってる。

いいと思うんだけどやらない

きっと自分のまわりにあるよ。
目をつぶってること。
腰をなかなかあげることができないこと。
どう助走をつけるかを考えることだね。

初めてベッドが来た日

子供用の3段ベッド。みんなよろこんだね。
かくれんぼしたし、秘密基地にもした。
ごくろうさま。

Thursday, July 15, 2010

いろんな書き込み

「要は何が言いたいの」と言われたり、うまく人とのコミュニケーションがとれないと思っているなら、こんなことを考えてみてはどうか。

【意見】:自分の思ったことを書く。言いたいことを決め付けて、時代が変化しているという前提条件にあっていない建前を言うものと、常識というあやふやなものを前提にして文句を言うものと、前提条件を確認した上で根拠をあげて言うものがある。
【評価】:自分の感性で判定するものと、観察を元に判定するもの、基準を先に決めて判定するもの、やってみて都合によって変えるものがある。おいしいレストランのような個人の感性に依存する判定、みんな持ってるから買ってというおねだり、テスト、就職試験やオーディションなど。
【提案】:やってほしいことを書く。または聞かれたことへの返事。売り込み、プレゼンテーション、お勧め情報など。
【お願い】:やはりやってほしいこと。なぜ奏してほしいのかの理由WHYと条件も忘れずに。
【質問】:これもやってほしい(解決してほしい)ことかな。
【報告】:質問に対する答え。
【たあいもない話】:人間関係の円滑な地ならしのため。相手も同意しそうなことや、興味のありそうな話題をさがしあてること。どれだけ相手の反応が得られるかで価値が決まる。
【感情の表現】:悲しい、うれしい、好き、嫌い、痛いなど。

自分は何を言いたいのか、まずは上のどれに当たるものなのかからチェック。
それからそれぞれの抜かしてはいけないことを押さえる。順番とか、項目とか、前提条件とか、根拠とか。

遠い夜明け

20年位前の映画で「遠い夜明け」というのがあった。
内容は南アフリカのアパルトヘイトの悲惨さを描いていたものだけど、今でもいろいろな国で遠い夜明けを待っている人がいる。また歴史の長い国では大抵戦争を経験して、同じように遠い夜明けを待っていた時期がある。それは音楽の深みになったりして、今に名残を残している。その後何度か揺り返したりしながらも、遠い夜明けを見るために犠牲になっていった人たちに感謝しながら、幸せな国作りを目指していくわけだ。

個人でも同じ。なかなかかなわない夢があっても、遠い夜明けを信じて、力になってくれた人たちに感謝しながら生き延びてゆく。この歴史を忘れないようにしたい。そしてできれば家族にも伝えてゆきたい。

Wednesday, July 14, 2010

引き戻す

その時に気になっていることが災いして、道を外れることがある。
自分で書いたものだけど、お父さん自身も引き戻してもらえるよう、ブログに願いを込める。

ぶっちぎり

ぶっちぎりですごいものって、なかなか作れないなあ。
似て非なるものなら、なんとか磨いてゆけそうだ。

ただの主張

お父さんのブログは家族のためのもの。もしもっといろんな人が読む価値のあるものにするなら、たとえば学問的な拠り所をもっと充実させないと。つまり証拠というか、事実に基づいた主張。
問題提起WHYからはじめることが大切。それに続いて、理由と前提条件を確認して解決策となるものは何というWHAT、プロセスをどのように行うというHOW。そうでないなら、ただの酔っ払ったおやじの説教。(今はちょっと独り言か説教に近いかな)

WHY→WHAT→HOW

チラシを作るのもプレゼンテーションするのも、メールを書くのも議論するのも、たぶんみんなこの順番。
今はただ、思い立ったらブログを書いてるかならあ。
ツイッターとかが流行るように、断片的な情報が氾濫する時代。流されないようにしなきゃ。反省。

ぼけてきた

お父さん、なんだかぼけてきた。たくさんのことを頭が一度に処理できない。せいぜいひとつのことに集中するけど、その深さも助走時間がかかる。頭がボーっとしている。年かなあ。

やることリストを何度も見直して消しこんで、瞑想して思い出してまたリストに追加して。
以前メモに書いてきたものを見直して、新しくピックアップして、ときどきカフェで3時間くらい集中して、飛行機や電車の移動中に思い返して、ペンを動かして、関連の本をめくってみて、人と会いにいってあわてて準備して、話の中でヒントを得て、またメモに戻る。

なんというか、いろいろ広げてきた材料を集約して作品を作る集中した時間が少なくなっている。ただいろいろ学んだり、あちこち広げている時間は増えているのに。
具体的にちょっとたりないのが、頭をクリアにする瞑想の時間やまともな議論の時間。余分なのはニュースなどからのWebサーフィン。

台湾出張でちょっと町に出ても、初めて訪れる場所のような緊張感がうすれている。なんとなく地下鉄に乗って目的地に向かっている。頭が活性化されるには、初めての場所に飛び込まないとだめだな。

Tuesday, July 13, 2010

食の安全と就活

「何が材料に入っているんだかわからない」
へんな農薬を使っているんじゃないか。化学肥料漬けにしてあるんじゃないか。鮮度をよく見せる薬をつけているんじゃないか。みな歩留まりがよくなり、利益が出るための禁じ手、ごまかしだ。買ったらすぐしおれたり、まだ農薬が残っていて食べた虫が死んだり。これで自分の健康と安全が維持できるのか。信用できないから買わない。
加工食品はもっと見えなくなる。衛生的なプロセスを踏んでいるか。怪しい混ぜ物は入っていないか。きれいな包装と宣伝やうんちくが、本質を見えにくくする。
「安いからというだけで選んで買ってしまう消費者が悪い」
こう言い放った加工食品会社の社長もいた。

人についても言える。会社にとっては大切な構成要素。とんでもない人が仲間に入ったら困る。選ぶほうも注意する。
就活ではみんな服装や髪型に気を使い、マニュアルどおりの答えで繕ってくるが、みんな黒のスーツってのも目立たなくすることで会社への服従の姿勢を見せるようで、なんか気になる。リクルートスーツでアップルへ行ったら、合格するのか?服従の姿勢を見せて入る会社での人生が幸せなのか。
反対に企業は有名大学の学歴があればいいのか。それよりも中途採用の中小で先進的な実績ある人を選ぶ。学歴で決めるのは、ただ安いだけで野菜を選ぶのと同じになってきているようだ。

会社の大きさを聞かれる

日本では会社と会社で取引する場合、最初はかならず「従業員は何人くらいですか」「年商はいくらぐらいですか」と聞かれる。特に大企業と取引しようと思ったら、必ず。判断材料は会社の規模。学生で言えば偏差値や出身大学で判断されるような感じ。
台湾の会社との取引では、その度合いが下がる。長年の取引の中で判断される感じ。年商や従業員数で足きりされる印象はあまりない。だから中小企業にとってはすこしハンデが低く、チャンスが広がる気がする。

もしも偏差値や学歴で判断されるのがくやしいのなら、下請けの扱いで不満があるのなら、世界は広いということを思い出そう。君しだいでチャンスは広がる。やり直したいとぐるぐる思いが堂々巡りをして愚痴るより、心機一転飛び込んだほうがいい。

いずれにせよ、お客様に買っていただく限りは真剣勝負。適当に体裁を整えておくなんてことはできない。

こんな自分でも作れるの?

プロがいっぱいいて、まだ若い、技術も未熟な自分が、先輩を差し置いて作品を認めてもらうことができるのか。
心配ない。
技術は時代で断絶がある。
価値は時代で変わってゆく。
受け入れるお客さんが時代の流れで変質する。
それよりやってみることができるか。作る意欲、気持ちの問題が技量や才能以上に大きい。
「だけど才能がない、へたくそだ」
そう思ったら、「俺たちはへたくそなんだから、泥臭くやっていかなければいけない」を思い出そう。

海外に住んだことを価値に変換するためには

たとえば就職の面接で「こんなものを日本のよさを生かして作れば、きっとこの国では価値を認めてもらって売れると思います」「こんな作品を日本のよさを生かして演出すれば、きっとこの国の人は海外公演を高く評価してくれると思います」などと提案できること。そして実際に示してみること。具体的には「その国の人に評価を聞いて、受け入れられる理由を説明することができます」と言う事。
これができれば、日本の人達は君を認めてくれるだろう。
君にとってはこれが就活であり、日本の企業や劇団にとっては帰国子女を生かして国際化するポイントだろう。

できなければ通訳を期待される。ただし、日本人のもやもやっとしたニュアンスの、海外の人には理解されづらいことも、結果を出して相手に理解してもらわなければ「だめ通訳」といわれる。もやもやっとしたニュアンスのことは、言ってる本人も矛盾している場合があるのに。そのことを本人に納得させることができなければ、君はいつまでたっても不満の標的になる。

相手に合わせる通訳ではなく、自分の作品を発表して海外の人と仕事をし、価値を認められるほうがよっぽどラクだと思う。

TOEFL

難しいよね。いろんな場面を想定してのレベルの試験。高得点をとるのは、試験対策の成果だろう。手段ではなく、目的にしなければ高得点は望めないかもしれない。
これで挫折しちゃいけない。作品を発表して評価を得ることのほうが本質。語学は自分の作品を説明したり、異文化にヒントを得て高めるための手段。自分の新しい価値を作るための、異文化を吸収する手段。自分を売り込むための手段だと思ったほうがいい。

構える

防衛本能なんだろう。

日本に帰ったら

留学して日本に帰ったら、みんな君を「英語ぺらぺらなんだ」と扱う。日本語的なことも、英語に直して通訳できると思っている。海外では違うといっても言い訳。その先は、その違いを埋める方法を提示できる人になることだ。実は結果を求められている。

制度の違いや文化の違いになんとかついていって、自分を変えて適応した海外での学生生活。君の得たものはこんなところだと思う。この苦労は帰国するとまわりの日本の人にはあまり評価されず、日本に帰ってしまうと日本流になぜできないのかというまわりの怒りを招きやすい。通訳してくれという裏にある暗黙の了解は、君をとんでもないレベルの期待に追い込んでいる。
ここで構えちゃいけない。「外国ではこうだ」と上から目線になるのも構えることと同じだ。「何で日本はこうなんだ。おかしい。」と話すのも、同じところからきていると見抜かれる。

レベルを上げること。海外でも、ひとり世界中の人相手の舞台で、ちゃんと仕事ができるようになること。受け入れてもらえる価値を出すこと。これが一区切りなんだ。

プライドを捨てた

どん底でワールドカップに臨んだ日本代表が、選手だけのミーティングを開いて激論を交わし、「俺たちはへたくそなんだから、もっと泥臭くやらなければいけない」というトォーリオの発言からチームがひとつになり、必死に戦う姿勢に変わったという話。示唆に富んでいた。
そう、日本代表に選ばれたということは「代表なんだ」というプライドがでるということ。練習のときから「かっこわるいことは出来ない」という構えた姿勢になってもおかしくはないわけだ。

ましてや日本代表でもなんでもないお父さんや家族のみんな、それでも構えてないかな。
お父さんがみんなに海外で暮らす経験をすることを勧めたり、お父さん自身もいつもひとりで海外に仕事に乗り込んでいって、かならず1回は言葉の通じない地元のレストランに入るのも、構えないでなんとかやってみるという姿勢を忘れないためなんだ。自分の知っている分野を外れて、何もない人間の力でどこまでやれるか、この姿勢を忘れちゃいけない。海外組の問題意識を持たなければいけない。

先輩といわれるようになると特にえらくなったような気がする。経済大国といわれるようになるとえらくなったような気がする。注意しないと、必死についてきたころより構えてかっこつけてしまう。言い訳が先になる。
組織の中では、先輩の時期のほうが長いもんだ。先輩といわれると、これで自分ではわかっていてもだめになる。必死だった自分は、年がひとつ上がったというだけでどこかに置き去りにしてしまう。いつの間にか立場が変わって染まってしまう。就活もいいけれど、このわなが待っている。君をもっと磨きたかったら、姿勢を忘れなくなるまで、最初は別の道を選びなさい。

生きる姿勢の問題。
孤高の人であれ。作る側に居よ。

Saturday, July 10, 2010

中国の故事

クラシック音楽にしても、中国の故事にしても、味わい深い複雑なもの。
絵画にしても、工芸品にしても同じ。
ただ退屈なだけと思うかな、それとも味わうことが出来るかな。

Friday, July 09, 2010

君たちは今どのフェーズ?

心の糧になって、活力や意欲や情熱をかきたてるにはどうすればいいか。どうすれば標準的なテストでいい点が取れる勉強が出来るかではなく。
「どうすればテストでいい点が取れるか」を「どうすればおいしい作物を収穫できるか」と言い換えることが出来るとすれば、まずは「どうすれば発芽するか」「どうすれば病気や害虫にやられても強く復活するか」「どうすれば乾燥に耐えるか」「どうすれば伸びすぎないか」ということだろう。

大きく3つのフェーズにまとめられそうだ。
「どうすればいい環境の場所と時期に発芽するか」
「どうすれば乾燥や、病気や害虫にやられても復活する強い茎や葉が育つか」
「どうすれば伸びすぎないか」

最初のフェーズは「何の実がなる種だかわからないけど、それに合った環境は何か」「どの時期に芽を出すように植えるか」みたいな。どんな分野を掘る(磨いてゆく)か、大学卒業の年齢ですべてが決まるのではなく、遅咲きかもしれないとうこと。最初に目指したものでないものが、あとで花開くかもしれないということ。

真ん中のフェーズは「必ずしも環境のいい場所で育つことが、おいしい作物を収穫できることにつながらない」ということかもしれない。
無農薬、有機栽培で野菜を育てた人の話を思い出した。「最初は虫に食われてたけど、虫がいなくなるころに本番の茎や葉を力強くのばしていった」

最後のフェーズは「収穫を早くしようとした促成栽培は弱い」かな。カーネーションなどで花が咲く前に気温が高くなると、茎がひゅるひゅるって伸びて、背の高いのが出来るそうだが、花持ちが悪いということを聞いたことがある。日本酒つくりの麹も、早く温度が上がり過ぎないように調整している。早くあがると麹菌がお米の表面だけ糖に変えておしまい、中までじっくりと菌糸を張らないから、活性のある麹が出来上がらない。

「どこをみすえるか」
「どんな環境を求めるか」
「どのタイミングまでじっくり待つか」

これらのフェーズを通って、流れの中で果実の収穫と成長の喜びを繰り返してゆければいいね。
充実した仕事の時間と、掃除や料理やまわりとの付き合いなどの生きてゆくために欠かせない地味な習慣の時間と、次世代に引き継いでゆくための時間と、夢を見る時間。たまには病気になったり、後ろ向きの時間もあるだろうけど。それも受け入れて流れてゆければいいね。

家計計画

収入をどう利用するか、家族の成長や自分たちの将来の生活のために考える。
同じように子どもたちを、どんな環境をつくったりどこへ放り込んでやれば、才能をのばし、いやいやではなく一生楽しく仕事をしてゆけるか考える。
お父さんとしてのしごと。

Thursday, July 08, 2010

本番を恐れなくなったようだね

スボティカの公演後、君は言った。
「観客の雰囲気を感じ、踊りをアドリブで変更したんだ」
お父さん、驚いたね。
以前なら本番ではよく間違えて、君の顔が見る見る緊張していくのがわかったんだけど。
そんな様子はちっともなかった。ましてとっさに変更しただなんて。ごく自然だったよ。
まったく驚いたなあ。作る側に立ったからかなあ。

すんなり組織(劇団)に入って先輩からしごかれ、伝統の技術を習得して早く見栄えがよくなって舞台に立っても、もしかしたら緊張のトラウマから抜け出せなかったかもしれない。ポケットに入っているのは、まわりのみんなと同じ材料だけだから。先に入った分だけ、古い引き出しが多い先輩にはかないっこない。そして出番が無くなる恐怖から、先輩ばかり見てお客さんを見なくなると最悪。さらには組織が硬直化すれば、お客さんからのフィードバックを都合よく遮断するようになる。

Wednesday, July 07, 2010

作ること優先

技術のキャッチアップは苦難の道に思えるときがある。「技術のキャッチアップ」つまり勉強。
しかし、こんなものできないかなと夢を追いかけてゆく途中で調べることは、あまり苦にならない。
トラブルがおきて困ったとき、いままでその技術の本を買っても読めずにつんであったのが、何かヒントはないかとページをめくるようになる。ちょっとでもかかわっていそうなことがあると、なんとか吸収しようと読み始める。いま困っていてプレッシャーもあるんだけど、身が入っている。そして少しずつ道が開けてゆく。こんなときも、技術のキャッチアップの勉強よりはいい。

習うこと(技術のキャッチアップ)より、作ること、夢を追いかけること(遊ぶことかもしれない)優先だよね。

塾や専門機関で技術のキャッチアップをしている同級生がいると、母親は「ああ、やっぱりレベルの高いところに入って鍛えてもらったほうが伸びるし差が出る」と思ってしまうもの。苦難の道を行った達成感もある。自己流でない基本が身につくと考えるのも自然だろう。

お父さんはあえて逆の道を勧めている。勉強よりも作ること優先。自己流大いに結構。そして壁に当たっては師を見つけよう。
自分で師を見つけられるようになるのが一番難しいと思う。

Sunday, July 04, 2010

まだ見ぬ世界へ

若い柔軟な頭の時期に、何を優先するか。
まだ見ぬ世界への憧れを強める。
道なき道を行く勇気とエネルギーと危険察知する感覚を養う。
教えられる側ではなく、創る側からものを見る。

山を登るにも、いろいろな道がある。
もしもよく書かれたガイドブックにしたがって、どんどん高度を稼いでる登山者と、サウンドオブミュージックのマリアのように、自分の裏庭のように遊びながら山を知ってゆく少女がいたとしたら、君はどちらを選ぶだろうか。

めざす頂上や目的が、周りの人に感動を伝える仕事だとしたら。
または流れる時代によって変わってゆく美しさの形だったとしたら。
ガイドブックは書き換えられなければいけないし、表現もかわってゆくものだろう。

まだ見ぬ世界を内に見て、現実の世界に形作ったり、組み合わせてつなげてゆくこと。ぶれないで追い求めていってほしい。

批判と賞賛

サッカーワールドカップの代表監督ほど、極端な批判と賞賛が繰り返される仕事は無いね。相手が強かろうと弱かろうと、運があろうと無かろうと、結果によって昨日までの評価が180度ひっくりかえる。ましてや選手や監督ではなく、審判の試合をコントロールする腕前など、よっぽどのマニア以外誰も評価しない。深くものを見ているつもりでも、有名な評論家の意見をそのままオウム返しにするだけのレベルかもしれない。

君もこれから、批判と賞賛の波にもてあそばれることもあるだろう。
きっと自分からその波に入ってゆく時期もあるだろう。
誰を見つめ続けて、誰のためにやっていることなのか、振り返ってみよう。