お父さんからの伝言

夕食の食卓を囲んで、おとうさんが家族にするような話を書き残してゆくブログ。 家族の歴史。

Sunday, February 28, 2010

あと30分

大津波警報の出た三陸沖に津波が到達するまであと30分となった。
電車も海岸沿いを通る路線は運航を休止しているし、海岸沿いの高速道路も通行止め。交通機関に通行止めや運休があっという間に広がった。
津波も第一波より1時間後にくる後の波が高い場合もあるそうだ。
また、川をずっと内陸にさかのぼったところにある港も、海岸より高い水位になることがあるそうだ。
テレビを見ていて、いろいろなところのライブカメラが映し出される。
地震のように突然来る災害ではないけれど、なにか緊張する。

台風に備えた夜

昔台風が来るというと、雨戸を閉め、ろうそくを用意し、ラジオを机において「ヒューヒュー」という風の音を聞きながら不安な夜を過ごした。
雪国では秋に雪囲いをし、雪に備えた。
家の作りもよくなり、防災インフラも整備された。避難を呼びかける市町村の連絡網も整備された。それでも予想時間がせまってくるにしたがってあせる。
「なにかやり残したことはないか」
「忘れ物はないか」
「何をしておいたらいいのだろう」
「お隣の出しっぱなしの木材は、わが家にぶつからないだろうか」
旅行に出かける前、結局はぎりぎりになってしまう経験が誰にもあるだろう。
人が助かれば、後は何とかなるということを忘れないで。

津波の記憶

大津波警報3mと放送されている。
これを具体的に「どういう影響が身の回りに出るか」とか、「何をすればいいのか」などに読み替える必要があるが、その想像力、情報の活用力は大丈夫か。せっかくの警報だ。一番大切なのは人が逃げて助かれば、あとは何とかなるということだが。

南海地震とかチリ地震で徳島は津波の被害を受けた。1回の天井まで水が来たとのことだ。おじいちゃんから伝え聞いている。たぶん3mくらいだったのだろう。ということは、今回の三陸に出されている予想くらいだ。「3mか」と軽く考える数字ではないわけだ。
昔の汲み取り式トイレが部屋中にあふれて、掃除が大変だったそうだ。
仙台の知人は津波を経験したとき、塩釜の湾から水が引き空っぽになって、そのあと一気に水が押し寄せてきたといっていた。
今日も津波の警報が出ているけど、身近な人から聞いた経験談はよりリアルだ。

船を持っている人はどうするのだろう。
家から遠くのヨットハーバーに船を泊めている人はどうするんだろう。
コンテナはプカプカ浮いてくずれないかな。
海岸に近いところにとめてあるも水に沈むだろう。
ガソリンスタンドの地中タンクは浮いてくるのだろうか。
水が押し寄せる前に潮は引くのだろうか。
今日の満潮は何時だろうか(大潮と津波到達予想時間が重なるそうだ)。
一人暮らしのお年よりはだれが避難させるのだろうか。
地下の機械室に水が入らないだろうか。
なぜ三陸だけ大津波警報なのだろうか。
流氷のオホーツク海は氷が押し寄せてくるのだろうか。
東京湾横断道路のトンネルは水浸しにならないのだろうか。
徳島空港の滑走路は閉鎖にならないのだろうか。
海岸の工事現場で材料や重機が流されないだろうか。
木材やいろんなものが流れてきて、道路が閉鎖されないだろうか。
自分の家は海面から何メートルってみんな知ってるのだろうか。
電線や電話線は大丈夫だろうか。
1階の電気製品を2階に持っていくのだろうか。
自動車並みのスピードで押し寄せてくるって、どんな感じなのだろうか。
海岸沿いの2階建の家の人は、高台へ避難するのだろうか。
海岸沿いのコンビには店を閉めるのだろうか。
車で逃げる人は渋滞して間に合わないのだろうか。
海岸沿いの有料道路は通行止めになるのだろうか。
川の水位も逆流して上がるのだろうか。

地震より何倍もの広い範囲に影響が及ぶ津波。大変なことだ。
昨年11月からつい最近まで、石川県、福井県、新潟県あたりで深海魚が流れ着いていた。リュウグウノツカイのような大きなやつ。昨日ニュースでやっていたけど、チリの地震を感じてたのかな。地球の裏側で。

Saturday, February 27, 2010

どこまでもずうずうしい

スリランカやインド、中国などの海外で交渉したり、されたりするときに感じる瞬間がある。
生き残ろうとする力か。
日本でかかってくる勧誘の電話なんてかわいいもの。
深く、魑魅魍魎とした世界を感じることもある。

何を信用していいかわからなくなることもある。だまされるかもしれないという緊張感の中で過ごす時間。わざと出なくても、結果的にだまされることがある。
いろいろなことに対するリスクヘッジや、経験してきた事実から正しいことを判断する探偵のようなスリル。前提条件が不安定な環境での仕事は、自分のロジックで考えることや嗅覚を鍛える。
海外での旅も同じ。
こんな経験もして、仕事を広げてゆくんだなあ。

実際にやりたくなる

考えているだけなく、実際にやって反応を見たくなるんだな。これ、性分かな。

なかなか手をつけられない

なかなか宿題をはじめられない、仕事に手をつけられない。こんな経験ってあるよね。やっていることを切り替えるのは、結構エネルギーがいる。ストレスになる。だけどもたもたしていると「なにやってるの」と怒られたり、期限がせまってもっと苦しくなる。いやだね、ほんと。
お父さんの場合、マイブックが分散処理を手伝ってくれている。いつでも手元にあって、いろんな手がかりになることを、気が向いたときにちょこちょこ書き溜める。切り替えの手がかりになるように。
切り替えてすぐ集中してなにかをスパッ、スパッとはじめられないよね。アイドリングに当たるのがマイブック。何でも書く手帳。
電車の中やコーヒーショップでいちばん書き込んでいるかな。
人間マルチタスクじゃないね。
そこへいけばするっとはじめられる場所を作っておくことも有用だ。そういう意味では神聖な場所。たとえそこが近所のコーヒーショップでも。

不安は記憶に定着しやすい

ヨセフは怖かった経験を映画のようによく覚えているという。
脳は、恐怖や不安などの負の感情に関する感覚を、寝ている間に無理やり引き出して記憶として定着させやすいそうだ。夢の正体は、その日にあった断片的な情報を物語に創作して記憶定着させるという、脳の働きによるものだそうだ。

物語にすると記憶しやすいんだなあ。

なぜローテクを使うのか

構想するときは紙と鉛筆。なぜだろうと自分でも不思議に思っていた。感じていたことは、思いついたイメージをペンでコンピューターに書こうとしたら、アプリを立ち上げたり保存したり、ひと工程余分に手間がかかること。それに、前をぱらぱらめくってゆけないこと。

もうひとつ、ある人の言葉に「PCは人間の注意を散漫にさせる特徴がある」とあった。これは奇才のSF作家:コリイ・ドクトロウ氏のインタビューにあった言葉。
集中力を求められる構想中には、たぶんPCは使い勝手が悪いのだろう。
紙と鉛筆で頭の中のイメージを書き写す。そう、書き出すというより書き写す感じ。これを見ることにより、さらに触発されるアイデアが生まれるんだ。こんな空間的な広がりの連鎖。それをまたすかさず紙に書き込んでゆく。

じゃ、なぜブログに文書を書くことはPCのほうがいいのかな。
たぶん文章は空間的な広がりを写すことではなく、シーケンス(順番に並べるもの)だからだろう。
ブログを書いていても、よく読み直して修正する。言葉のイメージとロジックがあっているかどうか考える。
使うのは左脳かな。それにはPCのほうが使いやすい。

言い寄ってくる人に翻弄されない方法

人間弱いし、先輩とか紹介された人にも義理があって流されるし、だまされても自分が悪いと思ってしまったり、自分のした約束は守りたいと「泥棒に追い銭」状態になることがある。
うつになりやすい人を知ることは、こういった魑魅魍魎(ちみもうりょう)とした世の中を生きる知恵になる。
さらにはたくさんの人の声援を力にするヒントにもなる。

防波堤をどのように作るか、これも考えておいたほうがいい。
「取締役会議にかけないとだめ」
「お父さんがうんと言わないとだめ」
こんな一言も防波堤になる。

自分でコーチを決める人生

結局は経験しないとわからない。
失敗しないとわからない。
前向きにチャレンジしてみての失敗の数が大切。
チャレンジするには価値を感じる好きな分野でないと楽しめない。
ある意味楽しんで続けるから、プロといわれるようになる。
屈折せずにはいりこめて、世間体とかの価値に心乱されない分野に飛び込んでゆけるか。
長くやっていても苦にならないような好きなことで、まだまだ伸ばしてもらえるコーチを見つけられて、コーチを雇うだけ稼げる分野を見つけられれば幸せ。
浅田真央さんのように、自分でコーチを決める人生が理想的。

そういうわけで、お父さんは雲水の生き方に興味しんしんだ。

営業と企画と技術とサポート

どの部門に就職したい?
その部署だけの損得を考える上司の下なら不幸だけど、そうでなければどこも面白い。
それより選ぶのに重要な点は、下請けの会社か、中間業者か、受注してから動く商社なのかなどを見て、その会社が最終ユーザーとのインターフェースを持っているかどうかだ。

「対人折衝に向いていない」
「人に会わないで黙々と作業するほうがいい」
「ルールどおりきちんとやる事務のほうがいい」
「退屈な仕事はいやだ」
「休みが多く、給料がいい仕事がいい」
「安定している仕事がいい」
「出身校が建築学科だから、建築関連しかとってくれないだろう」

こんな理由で会社や部門を決めてしまうのがいいのかな。
大学選びもシゴト選びも、自分で製品を構想できる好きな分野を中心に、雲水のように考えたらいいのではないかな。

後出しじゃんけん

世の中、人のふんどしで勝負しようという人が多い。
ちょっと売れてきたら擦り寄ってきて、いいこと言ってとりいろうとする。
かげりが出たらさっさといなくなる。
道なき道を開拓したら、その後をまねしてついてくる人がいる。横取りされた気がする。
まるで後出しじゃんけんだ。

だけど悪いことばかりではない。グーグルを見てもわかるように、初期のころとは仕組みが大きく進化している。それは脚光を浴びたことで真似する人も出てきたけれど、新しい力になってくれる技術者もたくさん入社してくれたからだ。昔の技術を真似されても、それ以上を進んでいる。それは自分で道を開拓してきたから、だれよりもその分野に打ち込んでいて、いいところも悪いところも知っていて進化ができたからだ。

真似してくる人を恐れるよりも、自分だけのものにしようと閉ざしてしまうことを恐れたほうがいい。

独立した友達も言ってたシゴトの喜び

お父さんの北海道の友達も言ってた。
「お客様に喜んでもらった喜びは、なにものにも変えがたい感動」
やっぱり仕事で独立した人は、同じ喜びを経験するんだなあ。
やらされているって感覚がいちばんもったいない。そんな仕事や環境、さっさとやめたほうがいいよ。

君たちにはぜひ、世間体とか、お父さんやお母さんの影に「こうすべきだ」といった固定観念を持たずに、お客様の喜びのために精進していってほしい。そしてこの感動を体験していってほしい。

なんちゃって家の電話

休日に家にいるときにかかってくる電話は売り込みの電話ばかり。
電話に出るのがいやになる。
「なんちゃって家の電話」ってできるかもしれない。ダミーの家用電話。
電話機はセンターにあって録音転送のみ。転送先はメールで携帯電話へ。
お父さんも携帯メール以外、電話はあまりいらない。用があるときはポケットベルでもいいけど、運転中などに公衆電話を探すのがストレスだった。メールがいちばん。なれたらツイッターでもいいかな。

お父さんの小学校の先生は実際、お父さんが何度家に電話しても出てくれなかった。後で聞いたら「保険の売込みがうるさかったので」といっていた。お父さんからの電話も、勧誘の電話だと誤解されていたようだ。それからは直接携帯に電話することになったけどね。

自分で決められない

自分はそういうタイプ。そう思ったら旅に出ること。

車間距離をとって走る生き方

渋滞は流れの詰まり。もっとも有効な渋滞対策は「車間距離を空ける」

この考えは「負け組」ではない。
余裕を持って確実に実行できる計画と、質や量より継続性にポイントがあるとのこと。
「他人の真似は渋滞させるので、どんどん動いて失敗する」
それよりは継続性と慣性で先を行く。
アイデアは「ヒット狙い/ホームラン狙い」の2方面から検討する。安定、分散化ということだそうだ。

渋滞学が専門の先生の書いた「シゴトの渋滞、解決します」という本があるそうだ。興味深い。
考えてみれば、バブルのころの石屋の工場は渋滞を作るようなことばかりしていたなあ。今の中国も同じだけど。

交通渋滞解消の法則

みんなが車間を一定に保って走行することだそうだ。
だから渋滞に巻き込まれたとき、いちばん左の車線を走っている車が、いちばん速く目的地に着く。右側の追い越し車線は割り込みが多く、実際は遅いのだ。

巣立ってゆく君たちに身に着けてほしい8つのこと

お父さんは学校の勉強以上に、我が家の子供たちには身に着けてほしい8つのことがある。


◆自分の言葉で話す習慣
人の受け売りも、自分の経験と照らし合わせて自分の言葉で話す。何かの例にたとえるとき、自分のまわりのことにたとえて話す。たとえば落語で長屋のくまさんはっつあんがご隠居と話すように。
いろんなできごとを身近な他の事象にたとえてみて、ブログに書くことが具体的な訓練法。
◆「そう考えた理由はなぜ」「なぜならば」と自分でいつも問答する習慣
うまくいかなくても、前提条件や、考えの分岐点までもどって修正できる。問題を解決する助けになる。ロジカルシンキングとも言われている。
お父さんのマイブックにすぐメモする習慣は具体的な訓練法。なぜ?なぜならばの絵がいっぱい書かれている。
◆事実を理由に付け加える習慣
「どうしてそうかんがえたか」「なぜそうしてほしいか」の理由に具体的な事例を一緒に付け加える。「みんな持ってるからほしい」「前からやりたかったから」みたいな考えを排して、「こういうことがあったから、この機能が必要だと思った」といつも言える様にする。的確なアドバイスももらえるようになる。
その件にかかわっていない人へ、物語のように話してみることが具体的な訓練法。
◆変曲点をいつも注意してみる習慣
風がどこで変わったかを感じる嗅覚。プロ必須の条件。
かたづける、記録する、日記をつけることなどが具体的な訓練法。
◆方向性を決める習慣
どの分野を掘ればいいか感じる臭覚。考え抜いた結果なら自信が深まるし、飛び込む勇気も出る。
観光ガイド、デートの企画など、人を案内することが具体的な訓練法。
◆お客様に喜ばれる感動
受け入れられる、満足してもらう喜び。あらたな努力をする力になる。
誕生日プレゼントを選んだり、作品を作り発表するのが具体的な訓練法。
◆あちらの世界の仕組みを知る武器
あちらの世界とはインターネットを通じた世界であり、英語を通じて接する異文化の世界
異文化に飛び込むには丸腰では不安なので、理解のための語学の習得と、ITの仕組みを知る必要がある。
まずは旅してみること。列車や飛行機で隣に座った人に、ちょっと話しかけてみること。その土地に住んでみること。日本人以外の人と一緒に創作する仕事してみること。異文化を意識して構想したホームページを作ってみることなどが具体的な訓練法。
◆車間を空けて運転する習慣
車だけでなく、急加速や急停車をせず、ペースを保ち人生を歩んでゆくことで、いちばん価値ある場所にたどりつく。緊急事態に対処するゆとりも、何が起こるかわからない世の中では大切なこと。

前人未到アスリートとかわらない

前人未到の荒野を行く人は、水先案内人も自分で探さなければいけない。

フィギュアースケートの浅田選手も、自分でロシア人のコーチを探し、変えた。すごいよね、そんな大変なこと、19歳の少女が決断しなければいけないのだ。だけどほかの人では決められない。
ちょうど雲水が、師と仰ぐ僧侶を探す托鉢の旅を続け、めぐり合った師に入門を請い、師の下で修行し、悟りを開き、また次の師を探して旅に出るように。

パナソニックの創業者松下幸之助も、社運をかけるような新しいプロジェクトを始めるとき、何人もの人の意見を聞き、「あんたにまかせる」とプロジェクトリーダーを決めた。そうしたら自分が後悔しないですむという。

「よりうまくやりたい」ので水先案内人の実績を重視するというより、「この人の嗅覚や考え方に魅力を感じる」「選んで後悔しない」といった感じ。一般的に言えば、学校を変わることも同じ。偏差値はない。他人の評価で決めてはいけないのだ。
探すのは大変だろう。雲水の旅と同じだから。それに入門を許してもらうために、すべてをなげうって打ち込まなくてはいけないし。
だけど、これはトップアスリートにかかわらず、大人はだれしもやらなくてはいけないこと。
だれもが前人未到の道なき道を歩いている。果実を得る人と得ない人の違いは、その自覚があるのか、ないのかだけなのだ。

喜んでもらった感動を味わってもらいたい

お父さんが仕事を始めたころ、業者さんのオーダーで形や種類が決まる製品を扱っていた。自分で作るのではなく、オーダーが入ったら仕入先工場に注文するという商社の仕事だった。
そのころはバブル時代で、次から次へと注文の電話。でもそれは喜びではなく、苦痛が増えるばかりのものだった。
「見積もりはまだなの」
「もっと安くならないの」
「いつまでに送ってくれるの」
「もっと早くできないの」
注文を受けてから作る仕入先を探したり、そこからの見積もりや連絡を待ったり、それがなかなかこなかったり。何一つ自分で即答できるものがない。仕入先の答え次第。ただ待つのみ。そのうち業者さんからせかされる。
「なんで連絡くれないんだ」
答えようがなかったからなのに。やらされておこられて、正直、業者さんからの注文の電話が苦痛になった。お客様とは感じられなかった。

時代は過ぎて、お父さんが企画した商品を自分で売るようになった。
ほかにないユニークな製品。ただし、いままでとは違って、新しいお客様を開拓しなければならない。それも取り扱ってくれる業者さんではなく、最終的に自分で使うユーザー。

こちらからDMを出して案内する。どんなことをアピールしたら注文をくれるだろうか・・考えに考え抜く。
そしてやっとかかった見知らぬお客様からの問い合わせの電話。どんなことで興味をもってくれたのだろうか、なにが知りたいのだろうか。満足してくれただろうか。
後日お客様を訪問すると、「いやあ、製品のおかげで助かってるよ。」の一言。

この喜んでもらった感動を知らずにいたら、人生もったいない。
子供たちにぜひ味わってほしい、教えたいことなのだ。そんなのうそ臭い、リップサービスだよと思うかもしれない。大人の世界はもっとドライだと。ちがうんだな、これが。お父さん、心から言いたい。
「ほかの事では味わえない、こんなに大きな喜びが世の中にはあるんだよ」
「この喜びを知らないと人生損してるよ」

「勉強しなさい」
「なんで行かなかったの」
こんなことを聞かされてばかりでうんざりしているなら、昔のお父さんと一緒。やらされて、おこられて。
自分で好きなことを始めるしかないよ。業者さん(先生や父母)ではなくお客様(自分の作品、価値を見てもらいたい人)を相手に。勉強はその過程で必要と思ったときにはじめればいい。

お客様に喜ばれた、受け入れられたときの喜びを味わいなさい。
そしてその体験を話してくれ。
共有できたら家族として、これ以上の幸せはない。
親と子、養うものと養われるものの関係でなく、未知の世界を切り開いたもの同士としての共感。

Sunday, February 21, 2010

土俵と稽古場

土俵と稽古場、まはた試合と練習という言い方でもいいかもしれないが、さてどちらが相手を見ることに重点があるでしょうか。
お父さん流に言えば、「土俵は自分を見る割合を多くする場所」「稽古場は相手を見る割合を多くする場所」

自分を見るというのは「バランスとタイミングを見る」という感じ。
相手を見るというのは「目的のためにはどの方向へ進めばいいか」とか「こんなリスクがありそうだ」とか「この前提条件のときはこんな変化が起こる」とか、よく知らない相手を理解する嗅覚のようなものを磨く感じ。「道なき道を進む嗅覚を磨く」

稽古場のほうがむずかしい。本質は道なき道だから。よって時間もかかる。
自分に置き換えてみる(自分でまねしてやってみる)練習も必要。
条件別のパターンを試したりすることも必要。
漫然といわれたとおりやるのは、稽古をしていないのと同じ。本番の土俵であわてる。

Sunday, February 07, 2010

図書館・スタバ・列車の中

まわりには人がいるんだけど、干渉されず、静かでいられる空間は考え事に集中できる。
そんな微妙なバランスの場所が「図書館・スタバ・列車の中」
そこはお父さんの実質的なオフィス。
だれもいないひとりの部屋よりも安心して集中している。そしてまわりに人がいるから、だらっとしないでがんばれる。
やる気が出ないなと思ったときはそこへ行けばいい。自分なりの、そんなエネルギーをもらう場所を持つといい。

夢を語る

かっこよくなりたい、魅力的になりたいと思ったらいい方法がある。
それは「夢を語ること」

人間って大体希望を聞かれたら、
「このちぢれた髪を何とかしたい」とか、
「はやく片づけを終わらせたい」とか、
「寒いのを何とかしたい」
などの、身の回りのずっと気になっているネガティブなことが口から出てくるんだけど、そんなことは相手にとってはどうだっていいこと。
このタイミングで遠い希望に満ちた言葉が出てくるとすごく魅力的に感じるわけ。映画でもそうでしょ、一番感動するシーン。夢を語るシーンでバッチリ決まるよね。
ただしタイミングを間違えるとKYだけどね。

このときお決まりのように「ばかばかしい」と仲間から否定されるシーンがあるけど、希望を捨てずに進んでゆく姿にだんだん動かされてくるというのがパターン。これだよ。

髪型や洋服など、見た目の課題を卒業したら、次は「夢を語る」。
さて、君の語る夢は何かな。

サービスがいいとは

今までの相手とのやり取りの経緯を、お客さんがその都度いちいち説明しなくても、スタッフみんなが知っている。例えば好みとか、大切に思っていることとか。

何かあったときにすぐにさかのぼって原因を突き止められること。起こってしまったことはしかたがない。いかに早く対処してくれて、また起こるんじゃないかという不安を取り除いてくれることだ。

それに加えてむずかしいけど、お客さんも気がついていない便利さを提供して「その手があったか」と喜ばせてくれることも。

「連携が取れた共有」
「すぐに工程をさかのぼれること」
「その手があったか」

この三つがカギ。

相手のあること

自分の自由にならないのは「相手のあること」
こちらの目論見どおりに行かない。相手にも意思があるから。うんと言ってくれない限り次の段階へ進まない。
「相手の進んでいる方向の流れに乗る」
「水が高いところから低いところへ流れるように、自然な流れのパイプをつなげる」
こんなことができるかどうかがカギだ。

物を買ってもらうこと。お客さんに作品を見てもらうこと。劇場に来てもらうこと。交渉すること。家族、恋人、お客さん、すべてに通じる。
うまくいかなきゃ、
「別の大きな流れのある場所に行く」か、
「パイプをつなげる相手を変える」か、
「時間の使い方をゆっくりに変える」
かだ。

逆に悪い仲間に入って抜けられないなんていう逆のこともある。自分の必要なところを握られている。相手によって自分の自由が制限されているということ。
本当はなにも握られていなくても、自分でそう思い込んでいる場合もあるけどね。

土俵とカンバン

お父さんの少人数の会社でも、お客さんから「もう頼んであったものは出来た?」って電話をもらう。電話を受けたおばちゃんはわからなくて、すぐ答えられないことが多かった。だから「カンバン方式」を取り入れた。

「カンバン方式」とはトヨタの工場で始まって世界中がとりいれている生産管理方式。たとえて言うと「逆バケツリレー」とでも言おうか。必要なときに前の人に言ってバケツをもらうような方式。
普通は前から来たものを後に渡すんだけど、後からほしいものが前に伝わる。
こうすることで、もういらなくなってもまだどんどんバケツが来るというような、作りすぎがなくなるんだ。
それとチームのみんなが今何をしなければいけないかわかる。
カンバンとは、「バケツひとつください」みたいなことを書いて前の人に貼る、いわば伝言用紙だ。

会社では、受けた注文をチームのみんながわかるようにカンバンに書いて掲示板に貼る。そうすることで「この注文はまだ材料が足りない。買ってこなきゃ」とか「あの注文はもう宅配便で送っている途中。」とか、どの段階までプロセスが進んでいるかがみんなわかる。
ちょうどすもうが土俵の上で行われていて、勝負の行方を見ている感じ。
カンバンには試合の行方がリアルタイムに書きこまれてゆく。「そろえるもの、これとこれ」「材料、そろった」「出荷検査、OK」みたいに。貼ってある掲示板は土俵。いろんな土俵がある。それを勝ち進んできたものは次の土俵に行く。トーナメントのようなものだ。

会社は国技館にたとえている。すもうの「番付表」や勝敗(結果)を見る「星取表」、「過去の記録」、「土俵」、「館内案内図」、「すもう四十八手解説本」などが国技館にある。
同じように会社でもそろえたものが以下のとおり。

「問合せ電話がかかってきたお客さんの一覧表」 →番付表
「製品を買ってくれたお客さんマップ」「問合せだけでまだ検討中のお客さんマップ」 →星取表
「お客さんごとのやり取りの記録ブログ」 →過去の記録
「カンバンを貼るコルク掲示板」 →土俵
「部品を入れてある棚マップ」「必要書類や顧客リストなどのデータファイルの保存ディスクマップ」 →館内案内図
「カンバン(作業の流れ順にチェックリストが書かれている)」 →すもう四十八手解説本

土俵は「クレーム処理中土俵」とか「新製品開発中土俵」とか「DM企画中土俵」など名前がつけられている。トーナメントの最後のほうは「出荷処理中土俵」だ。

会社と国技館が同じだなんておもしろい。

撤退戦略

たいていの場合、持ってるものを処分しなければいけない。誰かに買ってもらわなければいけない。つまり相手のあることだから難しい。
たいていの場合、自分は袋小路にいるわけだから無傷と言うわけには行かない。袋小路にいなければ、まだやり続けているだろう。

これは撤退戦略なんだと意識して行わないといけない。
そんな場面を経験したことがあるかい?

Saturday, February 06, 2010

ハイテクとローテク

iPhoneを持っていて、Gmailのカレンダーにスケジュールをつけている。昔は手帳を持ち歩いてスケジュールを管理していたがよく家に置き忘れる。そのとき発生した予定はなかったことになる。電子手帳も同じ。だからスケジュールの置き場はいつでも手元に持ってこれるWeb上。
心にあることを整理して、文章にして残すのはブログ上。海外のホテルなどでも書き込めて便利。いつ書きたくなるかわからないからね。だからWeb上。
打ち合わせや仕事のやり取りは、電話じゃなくて、なるべくメールで相互確認できるようにしている。あとで自分の言ったことも検索できて便利。これもWeb上。

でも構想する時は、まいぶっくに絵や言葉を殴り書き。矢印であちこちつなげたり、まるで囲んだり。足りない言葉をあとで行間にうめて付け足したりするからぐちゃぐちゃ。それでも何度も見直す。
歩いているときふと思いついたら、すぐにまいぶっくにメモ。あっという間に忘れちゃうから。思いついたことが文字じゃなくて絵のときも便利。
なぜこれはWeb上じゃないかって?うーん、なんでかな。

ハイテクとローテク。こんな感じで共存している。

900回

「お父さんからの伝言」に載せたブログの文章、ちょうど900タイトルを超えた。その間約3年半。よくぞこんなにたまったものだ。

いろいろ思いついたことや、やらなければいけないことをすぐメモしていったマイブックも、メモをつけはじめて11年目に入った。毎年4冊から5冊になるから、40冊以上のメモが溜まったということ。

まだまだ解決できない問題ばかりだよ。
問題につぎつぎ直面してゆくことは、生きている限り逃れられないんだろう。
そう腹をくくってまたメモを積み上げ、ブログに足跡を残してゆこう。

寒波

寒波が来て、奥会津は大雪だろう。
雪かきをしてもまた雪が降って、せっかく通れるようにした道や階段をもとどおり覆ってしまう。それでもくりかえし雪をどける。
これって、人間の営みの多くに共通していることのように思えるよ。

ひざの動き

合気道の名人の秘密はひざの動きだそうだ。だから相手に見えないようにはかまをはくらしい。
古武道の秘密もひざの動きらしい。カクンって力を抜く動き。

聞けるのはラッキー

問題にぶつかったとき、解決策を聞くことが出来るのはラッキー。
そのとき聞くほうも、どういう風に質問するかは大切。
「こういう場合はどうしたらいいですか?」
「実はこんなことがあって困っています。ほんとうはこうしたい。」
やってほしいこと→理由となる出来事(物語)の順に質問する。
たぶん答えてくれる人は、君のやれるレベルとか、前提条件を聞いてくれるだろう。そしてアドバイス。

「さあ」「自分で調べろ」と言われるのが多いけどね。めんどうだから関心持ってくれなくて。だからアドバイスを聞けるのはラッキーなこと。

やっぱ整理しよう

ほんとうは似て非なるものを「できるはずだ」と一生懸命あれこれと組み合わせてみて、結局はうまくいかないことはよくあった。お父さんの場合、昔パソコンにいろんな機能をつけたくて、売っている周辺機器をつなげようとしてうまくいかなかったこと。

あの小さな箱の中で、どれだけのことが起こっているのか理解していない。だから表面的なことから簡単に考えて「ああ、それならこれでできるはずだ」と思ってしまう。ところがうまくいかない。いろいろ試して時間ばかりたってゆく。だれも答えを知っている人はいない。いい加減な助言ばかり。

振り返ってみると、勉強や練習、仕事、話し合いや作品を創造するのも同じこと。確実に物事を整理して考えて、条件を確認して組み立てていくことが大切なんだなあ。

その時点ではわかっていなかった

「なんだ、そんなの簡単だよ。いつでも出来るよ」
そういって実現しないことってたくさんある。簡単だよって思った時点では、必要な条件がそろっているか、リストアップしないで構想して失敗することがある。

あとから「なんでこうしておかなかったんだ」と文句を言う人も同じ。その時点で条件がそろっていないこと、その後状況が変化したことを認めない人。
言われたほうは悔しい言葉。「なんでやらなかったの」
そのときどんな条件がそろっていなかったかを意識してないから反論できないし、大概は今の結果や状況を前提にワーワー言われるだけ。

だから思い立ったら実際に少しでも手がけて見ないとだめ。そこで初めて目が覚める。

プールを作るお父さん

庭にプールを作るお父さんの心境、わかるなあ。
子どもたちの喜ぶ顔をみたい。これがいろんな行動の原動力になる。
子どもが大きくなっちゃうと、やる気なくなるなあ。
驚かせてあげようとか、喜ばせてあげようとか。
きっと小さな子のような反応があれば別だけど。

Friday, February 05, 2010

まよったら基礎の本へ

お父さん、今「ネットワークはなぜつながるのか」という本を読んでる。仕事で不思議な現象が起きたから。なんでそうなるんだろうと思って解決したいとき、知ってるつもりでも基礎が抜けている場合があるので、基礎の本に戻る。

「へえー、そうだったんだ」
昔は意味がわからなくてさらっと流した部分もよくわかる。自分にとって困っている問題点(現象)があり、なんとか解決法を探したいので、ぼんやり立てた仮説と結びつけて読んでるから思い当たるところがあるんだ。
勉強って、本を読むことに抵抗がなければ後付で身についてゆく。最初に全部覚える必要はない。
見過ごしていたことを再発見することが血や肉になること=勉強かな。

作品でもサービスでも、自分で買ったりしてもらったりするだけじゃなく、実際に作ったり自分で動かしてみないと切実じゃないから、勉強は身につかないんだよ。

Thursday, February 04, 2010

これも修行

禅は座禅するだけが修業じゃないって聞いたことがある。食事を作るのも、歩くのも、サーカスも、職人がひたすら仕事に打ち込むのも禅の修行。近寄りがたいオーラを発する行為が修行と言う解釈だ。
きっと雪かきも修行だよ。

分解して切り分けよう

自分で努力すれば自分の意思で自由に出来ることと、相手の判断によって決まり自分の意思で自由にならないこと。
あそこに頼めば確実にこうなるだろうと安心できることと、ぴったりのサービスや機能がなく、たぶんできるんじゃないかなというリスクのあること。
こういう表現をすればこんな風に反応してくれると予測できることと、どんな反応が返ってくるか予測できないこと。

教えられている側やサービスを受ける側にいるとこの感覚は磨かれないけれど、作る側やサービスを提供する側になると身にしみる。旅での「道なき道」の察知能力とでもいうのかな。
切り分けたら「この部分までは自分で努力して、この部分はリスクをとれば、なんとかなりそうだ」と自分の来た道を安心して進める。うまくいかないとき、どこまで戻ればいいかもわかるから。
リスクをとった決断の分かれ道に戻ればいいのだ。

相手に伝わるように

わからないことがあったら専門家に聞けばいいと簡単に考えるかもしれないけど、何でもすべてわかる専門家はいない。ついスーパーマンに出会ったと思って気持ち的に頼り切ってしまうが、相手もちょっとある分野の経験を持つ普通の人だと思えばいい。これは重要なポイントだよ。それから詐欺に引っかかるのも、同じポイントを注意することで避けられる。
要求することを「どういうことがあって、こうしたいのにうまくいかない。こんなことが関係あるんじゃないかと思う。だって今までとこう違う。証拠はこれ。」みたいに構成できていないと、物事は進まない。これが大人の社会。特に世界中の人とやり取りする上で必要なこと。

たとえ専門家相手に話をするとしても、少なくともやってほしいことの具体的な分解をしなければいけない。そうでないと「売り上げを上げろ」「なぜ目標に届かないんだ」とはっぱをかけるだけの上司と同じ。

お父さんは2つの経験でこのことに気がついたんだ。ひとつは海外の技術者とのメールのやり取り。もうひとつはおじいちゃんたちの旅行の案内(企画~ナビゲーター)で。