お父さんからの伝言

夕食の食卓を囲んで、おとうさんが家族にするような話を書き残してゆくブログ。 家族の歴史。

Saturday, June 18, 2011

ハングリー精神はその国を訪れてみるとわかる

お父さんの今回の旅はタイ、シンガポール、インドネシア。
タイやインドネシアでは、まだ貧しい地方から、都会にチャンスを求めて若者がやってくる。
渋滞の道を見ればわかるけど、ごっちゃごちゃになっている中で、少しでもチャンスを見つけ、前を目指す。
シンガポールは小さな国。世界の人とお金を呼び込んで、自分の庭を舞台に使ってもらうことで生き延びるという知恵に満ちた国。そのための自分の変化を惜しまない。

そんな人たちが、それもトップクラスの人たちが、チャンスを求めて世界中から集まるニューヨーク。そこで生き延びようというのだから、丸腰では生き延びれない。
貧しさから抜け出したいということをばねにしたハングリー精神は強い。だけど、たとえ安全で苦労しなくてもやってゆける中に育ったとしても、より道を究めていきたいという強い動機をエネルギーにしたハングリー精神はもっと強いと思う。
たとえば、お釈迦様もはじめは何不自由ない王子様だった。道を究めようとした強さは、時代を超えた。

歌っているとき

歌っているときは、ほんと、楽しそう。誰でもわかる。
みんな気持ちは同じ。
延長線上が楽しみだ。

若いころの自分を見ていた

年配者は自分も若いころがあったから、若い人の中に自分の昔を見ることがある。
そんな年配者でも反対に、自分より年上の人の中の世界を想像することは難しい。
クララが先生方の気持ちに気づかなかったのも当然だろう。
「もっとビルドアップしなさい。」
「もっと口をあけて。」
シリアスにアドバイスしてくれる先生。なぜ変わったのか。

先生方は「自分の若いころの人生ドラマ」と今のクララの姿がオーバーラップしたとき、協力を惜しまないのだ。
国を超え、時代を超えて通じるもの。
そしてそれは舞台を通じて、人々の心に通じるものでもあると思う。
君の第2幕、第3幕が上がってゆく。

Sunday, June 12, 2011

よろしくって何が?

よろしくお願いしますって言われて、何となく話が進んで、あれっと思った事がないかな。
自分はこうだと思っていた。
お互い自分に都合良く解釈している。
現場で一緒に事実にもとづいて話をした方がいい。

甘い誘いで自分を汚す

わかっていても、相手が親切そう、悪い人じゃないと思い込み、落ち込む罠がいっぱい。
自分がどこにいるのか、注意深く生きて。
自分は一生かかって磨く作品。
次の世代への預かりもの。

やっぱりwhy what how

人にものを尋ねたり、プレゼンテーションをしたり、お互いの理解を深める黄金のパターンはやっぱりwhy what howの順。

「人に聞けばいい」は「場」に変わる

大学生のころ、今までは先生や先輩に教室で、誰かにレールを敷いてもらった事しかやってないなという気がした。
自分で判断して動けるように、本を読む習慣をつけようと思った。
社会に出るころ、おじいちゃんに「何でも人に聞くこと。知ったふりしないで聞けば、丁寧に教えてくれる」と教えられた。
物怖じせずに、聞くことを身につけようと思った。
就職して設計部に配属になって、機械の仕様でわからない事があった。電話でメーカーに聞こうとしたら「待て」と先輩社員に止められた。「ちゃんと隅から隅までカタログや資料を読んだのか。それでもわからない時に電話しろ」
自分で注意深く資料を調べる大切さを学んだ。
そしてそれは今、Q&Aサイトやネット上での場に移ってきている。
ともすると、お手軽に結果だけをコピペとなりがちだけど、そうではない。
考える習慣を段階を経て身につけた人同士の、スリリングな世界を味わえるようになれるのだ。

その後これらは、自分で作品を作って事業をしてゆくための、大きな力になっている。

質問のしかたを身につけよう

マナーの話ではない。
人を気付かせ、やる気にさせ、議論から創造的な流れの場に導く。
知っているか知らないか、差別判定するためのものではない。
一緒に見える世界を、共有発展させるような。

人形遊び

お父さんが子どもの頃、家には応接間というのがあった。
小さな石のテーブルと、長いソファーと一人掛けのソファーが2つ、向かい合っている。
このちょっと薄暗い部屋で、よくひとりで人形遊びをした。と言っても、おままごとではない。人形も大抵はプラモデルのロボットや自動車で、それを見ながら空想にふけっていたという方が正しい。

運動が苦手という訳でもなかった。走るのはえらく遅かったから、運動会は苦痛だったけど。
鉄棒は大車輪こそ出来なかったけど、蹴あがりから回転コウモリ、何でもできた。塀を登ってその上を忍者ごっこで歩いたり、自分の背の高さ以上の2m位の壁をよじ登ったり飛び降りたりはザラ。ぞれが出来ないと、野球をやっていてフライが塀を超えると、大切なゴムのボールがドブを流れていってしまう。大抵は拾ってきたボールを後生大事に使っていた。

セミ捕りは弟の得意な分野。とにかくセミの鳴き声が近所から聞こえ出すと、網を持ってすっ飛んで行く。
「セミとらしてください。」
人がいようといまいと、大声でこう叫んだら、ズカズカ人の家の庭に入って行く。
こんな具合だった。
誰に言われて練習した事でもなく、ルールも自分達で作り、目標や厳しい練習なんて気はサラサラなかったけれど、いろんな事ができるようになっていった。

いつも小さな特別の空間に生きていた。人形遊びも忍者ごっこも、野球もセミ捕りも、子どもだけが見えるワンダーランドで遊んでいたのだろう。

音楽にシーンが浮かんでこなくなった

音楽を聴いていると、かつてはいろいろな旅などの場面が浮かんできた。目に見えるように。
今あまりそれが出て来なくなった。
淋しい限りです。年かな、頭がにぶくなったか。

考えても仕方のないことが襲ってくる

ヨセフに。
考えても仕方ない事が君を悩ませ始めたらどうするか?
考えても、解決しようがない事かを判断する事。
堂々巡りはいらない。

議論とツイッター

つぶやきにフォローのコメント。議論へと頭が助走を始めるんだな。
そう考えると、ツイッターはわざと議論を進めやすくするために作ったのではないかと。

緊急対処できる?

防災教育で小学生に「君から一番に走って逃げろ」と教え続けた人がいた。
大人は「この程度なら」とか「もう少し様子を見よう」といった、悪い事態であって欲しくないという思い込み、バタバタするのがみっともないという意識が働くそうだ。周りを見ると、みんな余裕。それじゃやっぱり大丈夫だろうと思い込み、逃げ遅れた人がたくさんいたと言う。
周りで小学生が走って避難しているのを見て、「これは大変だ」と逃げて助かった人がいる。小学生がいなかったらどうなっていただろう。

「君から一番に走って逃げろ」

貯めるのと投資とどちらを考える?

投資するために貯める。

一度出たら戻ってこない工場という職場

東北で電力不足は痛い。
ならば海外にと移転が進んでしまう。

議論は共同設計作業

「コンセプトを固める」「詳細を詰める」

誰かが「売り上げxx億達成しろ」という。
「どうやって」と聞くと「自分で考えろ」「足で稼いで来い」
前提条件があってるかどうかも議論しないから、「できるわけないよ」って部下はてきとーに繕う。

前提条件の確認で積み重ねて具体的にすること、それも現場でやらないと、イメージの違いから歩み寄れない事も出てしまうよ。

訓練のコストが高くつくからやめちゃった

アメリカ海軍も、空母に核兵器を積んで動くのは、ちゃんと扱えるように訓練するのが高くつくからやめちゃったと聞いた。
何も言わなければ、まだ積んでるかもしれないって抑止力にもなるし、ノーコメントだろう。

強力な武器や、設備や資産でも、持て余すコストを考えないと。

「何はやらない」とはずしてゆける人

自分を、会社を変えてゆかなければ、生き残れない。
だから何でもやってみるという意見。
同時に社長の資質の中には、「これはやらない」って消去できる人っていう事も言われている。
「儲かりそうだから何でもやる」というスタンスも、いつか立ち行かなくなる。
どういう信念を持って外してゆけるか。
ちょっと上手く行けば、甘い誘いが一杯あるからね。

同情票を得るための井戸端会議

「オバサンって、意識しないで何かを差別している人種」って言うキャッチコピーに、なんか真実を言い当てている気がした。
話題にする相手は「常識はずれ」で、自分は被害者って前提での会話。

都合のいい便利屋さん

ちょっとしたことに困る事がある。
パソコンのソフトで、どうすればこのちょっとした印刷のズレを直せるかとか、
ホームページで2つ3つの商品の説明の入れ替えをしたいとか、
遠くのマンションの中にあるものを捨てたいとか、
このパソコンもついでに、ワイヤレスLANに接続させたいとか。

なぜか誰でもできそうに見えるので、自分で出来ないにもかかわらずに「ついでに」「ちょっと」でくくられるから、お金を払うほどでもなく、技術を持ってるなら「ついでにちょっとやってくれ」で終わり。本当は段取りに時間がかかるのに。
頼んだ方はあまり相手の事情は考えない。自分の仕事が間に合わなくなりそうな時なので断ると「非協力的」って、逆に怒られるし、マニュアルを渡すとふざけるなって言われそう。調べるのは私も同じ。
あいつは言えばホイホイやるよって、価値を評価もされない。アッシーみたいな差別的扱いに追い込まれることもあるよね。
頼む相手次第だな。
あなたにとって、頼もうとしている相手が、今どれだけ時間当たり価値のある事をやっている人間か、認識されるようにするしかないよね。社長にものを簡単に頼めるほどなのかい、みたいな。

都合のいい便利屋さんにされるな。

インドでよく見る何でもできますの商売人

ついたのんでしまって、満足なものが得られずに困ったことがある。
建設とか、受注産業ほど多いよね、こういうパターン。

困難をただ人にやらせることで押し切ろうとする人

将来的には、求心力が落ちてゆく方向のような気がする。

現場の鬼軍曹が辞めたら

現場には時々、鬼軍曹のような仕事に厳しい人がいる。
いい作品に仕上げるために妥協しない。何度もダメ出しする。
だからといって、上層部にへつらうわけではない。儲けのためだけの厳しさでもない。あくまでも自分の信念にもとづいて、お客様に最高のものを届けるためにやっている。
だからおかしいと思ったことには、上層部の命令でも聞かない。または辞める事を選ぶ。
もし彼を上層部が辞めさせられたら、「そんなバカな会社にいられない」って、部下の多くも辞めてゆくだろう。

ちょっと違う例だけど、クララのバレエ教室の事を思い出した。
お客様の方をいつも向き、自分を信じて、最高の作品を届けることを忘れないようにしたいね。

ブロッケン現象

お父さんが22歳の時、世界一周のチケットを買って旅に出た。成田空港から最初に向かったのはグアム。言葉もよくしゃべれないし、ずっと一人で知らない国を放浪するこれからの日々を思いながら、不安な気持ちで飛行機の窓の外を見ていた。
グアムの空港に着く直前、下はもくもくと湧き上がる雲に覆われていたのだが、あれっと思った。飛行機の影が写っている。そしてその周りに後光がさすように、まわるい虹がかかっている。飛行機の影を虹が囲っているのだ。
登山している人が時々稜線に立った時、雲に自分の影が写り、虹がかかっている姿をブロッケン現象とかブロッケンの妖怪とか言っていた。
今日10年ぶりにバンコックへ到着する直前、飛行機の窓からブロッケン現象を見たよ。22歳のあの日以来初めて。お父さんの乗った飛行機の影をまわるい虹が囲んでいた。
新しい出会いの時がまた始まるという知らせなのかな。何もかもが強烈だった南米の旅を思い返している。

Tuesday, June 07, 2011

残念ながら20年ジリ貧

残念ながら日本だけがこの20年間、伸びていない。貯蓄率も落ちたし、所得も落ちた。ほかの先進国も成熟して伸びていないとおもいきや、少なくとも2倍以上になっている。

「寄らば大樹の陰」という安心病で、ゆで蛙状態になったと思う。
「白黒はっきり」病で、複雑なことを条件に応じて深く考え、判断してこなかったんだと思う。
大きな政府や大企業の下請けに甘んじていたのだと思う。
厳しいといわれ続け、ほかはもっと大変だよと脅かされ続けていたのだと思う。
少ないけれど、ついてくればごちそうが入ると、飼いならされ続けていたのだと思う。
広い開拓する余地のある場所を目指すリスクも、とらなかったのだと思う。
いつも日本が一番いい、ほかのリスクばかり話して「あーよかった」と言っていたのだと思う。

静かに大海原へ出港しなければいけない。

Sunday, June 05, 2011

別の理由で

なんでみんな、商店街ではなくスーパーで買い物するのかな?
言われている事は、「安い」「新鮮」「なんでもそろう」
じゃお父さんはなぜスーパーに買い物に行くのか?
実は自分でお金を立て替えなくてもカードで済んで、マイレージもたまるから。

なんでみんな、コンビニで買い物するのかな?
言われている事は、「遅くまでやってる」「ちょっとした欲しいものがある」「近い」
じゃお父さんはなぜコンビニで買い物するのか?
実はめずらしいカップラーメンと乾電池と肉まんがあるから。

「あそこのうなぎやは、添えてある漬物と山椒の粉がうまいから・・」みたいな、ちょっとした副次的なものが、勝負の分かれ目ってことも多いんじゃないかな。AKB48のCDの握手券みたいな。

失意の底から

クララ、ヨセフ、ルカ。
みんな程度の差こそあれ、失意の底から這い上がってきている。
求めてもなかなか手に入らないものがある。
そのことですべてをあきらめていない。

きっと人間、そういう風にできている。
目線を上げていれば、きっとあとでいい思い出になる。

先生が憧れる才能って

あるんだよ。
本人は他の人と比べて「なんで私なの?」と思うだろうけど。
あなたじゃない、あなたの中に宿ってるもの。
先生と一緒に、宿っているものが自由に動けるようにしてあげよう。
君のものだと思ったとき、消えてしまうかもしれないから気をつけて。

若いときand年取るとますますフリーハンド

家族の時間は楽しみだけど制約のある時間でもある。
それをはさんだ「若いとき」と「年をとったとき」は、どんどん夢に向かってゆこう。

開拓できる場を持つことの幸せ

時々思う、お父さんのブログに付き合ってると疲れちゃうんじゃないかと。
できるできるって期待されても、現実は長く地味な時間と、ほんの少しのチャンスと、山ほどの失敗。
私はそんなんじゃない。
あきらめなければ必ずできるって歌やマンガの風潮、それは何万人に一人できることだから、あきらめたほうが良いよって言ってくれるのも必要じゃないかって。

お父さんが言いたいのは、「開拓できる場を持つことの幸せ」。

草原の中での暮らし

遠くに山を見渡す草原の家で、うねる広い畑を持って暮らす。
近くには小川が流れていて、ときどき小さな魚を見つけに子どもや孫と散歩する。
憧れるなあ。

作品発表するか、誰かの世話するか

人が生きてゆくのに、社会の中で役割を果たすのに、習うだけでは不十分。
ちょうどすごい技術を開発して、高い技術力は持っているのだけど、マーケティングがうまくできない会社がつぶれそうになるのと同じ。

方法は二つ。
作品を発表するか、誰かの世話をしてその人のつながりの中で生きてゆくか。
就職試験を受けるのは、どちらかというと後者かな。
昔お嫁さんになることも後者。
建築業界の下請けなども後者。
入りやすい代わりに相手次第、そこから出られない不自由さや、取り入るしかない場合の曲がった手段に人生を使ってしまうリスクもある。

作品を発表し続ける。今はネットの時代で場が広くなった。面白い時代だ。
世の中に問うて、お金も知恵も集まる時代。
だけどそれには形になってはじめて伝えられる。作品というかたち。最初は苦労する。でもそれは苦労と感じないかもしれないよ。

本物に触れる場に身をおいて、磨き続け、発表し続けるエネルギーの流れを身につけよう。

縁を切る

ここにいたらよくないと感じる場なら、そこを離れる。
納得できないしがらみで、引き戻されそうなら、縁を切る。
誰も何も言わなくても、自分の心が勝手に苦悩するなら、そこを離れる。

人間のできることは
「場所を変える」「お金や時間の使い方をかえる」「付き合っている人をかえる」
ヨセフで証明済み。

ステージを選ぶ自由

自分を輝かせる場というのは、それぞれの人によって違うだろう。
合っている場もあれば、そうでない場もある。
出会いの偶然もある。サポーターの力もある。

憧れと、静かで強い思いと、継続的な努力で自分の実力をつけていけば、ステージを選ぶ自由が出てくると思う。

どう化けるか楽しみに

わくわくしてる。「絶対やってくれる」と安心して楽しんで見てる。
まわりはそう思ってる。

ところが本人はそれどころじゃない。
スーパーマンは自分のかっこよさを味わえない。必死だよ。

流れを作る予感を感じさせる人

そういう人になりたい。
そういう人になってほしい。

憧れと希望と流れの中の安定

幸せな日々には必要な事。「憧れ」「希望」「流れの中の安定」
被災地にも、これらがもたらされますように。

そのままの力

クララが高校のクリスマスに歌ったOh holy night。
うまく歌おうとしてビブラートを入れることも無く、そのままのストレートな力が先生の印象に強く残ったと思う。
同級生にも話せなかった夢を追い、卒業前にいつやめる事になっても良いように、誰かに取り入る事もなく後ろ指差されることもないよう、学校生活を送ってきたよね。
そして孤高のアメリカ生活。

才能に悩む必要は何も無い。何が伝わるかは技術だけではないから。

そろそろ初舞台が終った頃かな。
花束の代わりに、ネットの向こうからコーヒーで乾杯。

じき辞めるのがわかっている人ならスルーするのか

「アメリカでは期待されないと急に興味が薄れて、まわりから人が遠ざかってゆく」と、留学していた人に聞いたことがある。
ドライな感じを受けるけど、日本のビジネスでも同じ。
たとえば新入社員で九州にいたとき、お父さんが勤めていた会社をやめて協力隊へ行きたいと申し出たときから、上司はよそよそしくなった。
「あの人はやめる人だから」
大会社を定年退職した人が、しばらくして働いていた職場を訪れても、よそよそしさを感じるという。1年たてば、すっかり過去の人だろう。
海外に転勤した人は、同じような疎外感があると思う。だからいつも日本の本社を向いている。

本流にしがみついていなければと思う気持ちもわかる。
でも、なんだかネットワークの社会では違和感があるなあ。
答えの無い時代、違った見方や人とのつながりのある人が重宝がられる時代だよ。
なんか国会も含めて、日本って内向きな感じ。

父との時間 一緒に受験勉強

ルカと夜ファミレスへ。
ルカは受験勉強。お父さんはやり残した仕事や、構想。今はブログを作るソフトの応用を目指して、解説書を読んでる。お父さんもおかげで充実。晩酌もアルコールフリーのドリンク。

ときどきルカから英語や数学の質問。なるべく社会でどう利用されているか、実例に即して解説。勉強する意義、目的を事例とつなげてあげるようにこころがけている。
分からない事も多いけどね。
なんの役に立つ事だよって応用されている具体例がわからないと、その場だけの受験テクニックになって、青春の大切な時間が浪費されちゃうよ。

家族を持ったらほしいものいっぱい

家族を持ったら、欲しいものがいっぱいだった。
家具などはほとんど買わなかったけど、ビデオや無水鍋、キャンプ道具やカメラにパソコン。
車でしょっちゅう公園へ。出かければ時間がもったいないから外食。
デザインのいいものにも憧れ、たくさん遊べるディズニーランドも特別な場所だった。
家族のことばかりでなく、自分にもお金を使った。
本もたくさん買った。気になる事はみんな勉強したくなった。
テニスもやった。壁打ちでひたすら研究。
ビデオもたくさん借りたし、昔の人から見れば、毎日がお正月みたいなもんだ。
その反面、くつも服もヘアスタイルも興味なし。自分で年に1、2着買ったくらいかな。今もルカの着なくなったものを着てる。

一人で暮らしているときはあまり想像できないだろうけど、経済の活性化に貢献したよ。
家族を持つと自分だけのお金の使い方じゃ終らないから、稼げるように準備しておきなよ。
貯めておいても減ってゆく。動的平衡が保てない。
入りが多くなるように、自分に投資しておきなよ。

お空を浮遊する夢

何回も見たような、1晩だけだったのか、印象的な夢。
お父さんが庭に立って気持ちを集中すると、体がふわっと浮いてくる。
でもなかなか屋根の高さを越えることができない。
息を止めているような集中。
周りに気をとられた瞬間から体が重くなって降りてゆく。
それを必死にどうすればもっとあがれるのかと、心のみだれをコントロールしたり、足を動かしてもがいてみたり、上に引っ張られるようにイメージを強くしたり。
そうしてしばらくやっているうちにコツがわかってきて、力をいれずに池のうえをふわふわ移動したりする。
こんな夢。
電線や屋根を下に見る、リアルな感覚だったよ。

Wednesday, June 01, 2011

イメージをもってるか

すばらしいといわれる人と、そうでない人との差について考えた。
まずは「イメージを持っているか」
次は「しつこく完成させてゆけるか」
それに「フィードバックを共有できるか」

だけどしつこく

何か作品を完成させようと思ったら、自分に対しても、製作に協力してくれる人に対しても、いらいらしたりすることもあるだろう。心血を注いでいるほど、成り行きに任せてほおっておけないから。
こちらからすれば「うまくイメージが伝わっていない」といういらいらだろうし、協力する側からすれば「何をすればいいんだ」「そんなディテールは聞いてない」ということになるだろう。「要求以上に集中して、高い技術をもってちゃんとやってるのに」と不満も出るだろう。だいたいチームで動機と目的が共有できてるのだろうか。

だけどしつこく。

これは1対1の戦いではない。
対象のお客様にとって、どう思うか、使ってもらえるか、消化してもらえるか、楽しんでもらえるか、ひと言で言えば「満足してもらえるか」だ。
自分と協力者の問題ではない。協力者も同じ目的に向かって苦労してくれている仲間。ありがたい存在だ。
あとはそのお客様の満足してくれるレベルのイメージが、自分と協力してくれる人で同じかどうかということ。これを確認しあい、お客様のフィードバックを持ち出して共有することだ。
これがないと「うるさくやらされてる」でおわり。