お父さんたちの失業
まわりの知っている人が2人、失業した。
社会から切り離されたことでできるこころの空白、中年には痛い。
必要とされていないと思ってしまうと、お父さんたちは弱い。
夕食の食卓を囲んで、おとうさんが家族にするような話を書き残してゆくブログ。 家族の歴史。
高校まではそれなりに部活など、忙しくわき目も振らずにチャレンジする時間が続いた。
本を読んだから偉いんじゃない。勉強して点がいいから偉いんじゃない。
材料を混ぜれば、すぐ出来上がるというものではない。
お父さん、自分のことだけしかやってないのではないか。家で君たちに大切なことを伝えたり、自分が努力する態度を示しているか。
流れてくるアイデアをすくう。
習う側にいるか、教える側にいるか。
その人の必要なことが苦労なく探せなければ、このマニュアルはわかりにくいということになってしまう。探す労力をせず、すぐ手に入らないその人がわがままだとしても、マニュアルがわかりにくい、これを書いた人が悪いということになってしまう。
リーダーシップも大切だけど、最初に勇気を出してついてゆく同調者がカギだという話を聞いた。君はそういったひとになれるかな?
才能がなくても、画期的な大発見や大発明でなくても、ありふれたものを今までやられていない組み合わせて形にして、喜ばれることってある。むしろ世の中そのほうが多い。
まわりの同級生を見ていて「自分は才能ない」と、立ち止まってしまうのもたまにはいいだろう。
大学に入って、長年慣れ親しんだ高校のクラスメートとはまったく違う人たちとどう接すればいいか、新入生にとっては大きな戸惑いの時期だ。
ものを買ってもらうには
インドや中国の人がタフネゴシエーターといわれているけど、昔の商人タイプの人、1対1の交渉がうまい人のかわし方を知っておくといい。秘訣は「こちらから条件を作って、1対多に交渉の場を移す」こと。1対1では口車に乗ってしまう、たぶん勝てないと思ったら、1対1でないようにする。オレオレ詐欺やいろんな勧誘、身近なところで言えば強引な友達、上司の対処法も原則同じ。ただし、相手は1対1から逃げられないようにいろいろ仕掛けをするから、のこのこ入っていかないこと。
社会人になって自分で働いて稼いで暮らす喜びは、「社会と繋がることができた」「自由も得た」というものだろう。仕事をしていても「社会と繋がっている=喜んでもらっている」という感覚が得られないと、これまた問題。つまらない。
1歳。和室の仕切り棒に捕まって何回もスクワット、大きな泣き声。
「苦しいあのときに、たった一人だけ認めてくれた」