お父さんからの伝言

夕食の食卓を囲んで、おとうさんが家族にするような話を書き残してゆくブログ。 家族の歴史。

Tuesday, April 27, 2010

お父さんたちの失業

まわりの知っている人が2人、失業した。
社会から切り離されたことでできるこころの空白、中年には痛い。
必要とされていないと思ってしまうと、お父さんたちは弱い。

崖っぷちから離れるばかりの日本の大学生

高校まではそれなりに部活など、忙しくわき目も振らずにチャレンジする時間が続いた。
大学になるとレールから離れて自分で道を探し、歩いていかなければいけない大きな切り替えの時期。
ところがみんな似たような、楽な方向へ流れてゆくような気がしてならない。楽な方向というのは、真剣に物を見て理想をつきつめ、考えることをせずに過去の成功事例だけを追っているという意味での手抜きな態度を言う。
なにもない明るいどぶを探す。宝の埋もれているくらいどぶを探そうとしない日本の大学生。ますますお行儀良くなっている気がする。

大学時代はすべてゼロベースで考えて、なにもつかまるところが見当たらず、もがいて崖っぷちの自由の中に方向性を見出す経験をせよ。
答えのない時代を解決して進んでゆかなければいけない能力は、崖っぷちを歩くことで身についてゆく。

畑の真ん中の1本の桜

福島から山形へ行くローカル線の車窓から見えた。
きっとおじいちゃんが、孫娘のために植えたんだろう。
いいなあ。

満開で風に流れる桜の花びら

じーんとくる。感動で力が抜ける春。
なぜかいつも子供のころに見た「無法松の一生」の最後のシーンがよみがえってくる。

Tuesday, April 20, 2010

「何を言ったか」と「誰が言ったか」

誰が言ったかより、何を言ったかが大切。

お礼の手紙

身につけておきたい習慣。人生豊かになる。

「ひと言教えてくれれば」とレベルアップと入り口

タイトルを思いついた時、何を言おうとしたんだろう。忘れた。

たくさん勉強してやさしく伝えなきゃ片手落ち

本を読んだから偉いんじゃない。勉強して点がいいから偉いんじゃない。
形にするために、必要な手順、材料、組み合わせを知るために勉強するんだ。
まわりに伝えて、役に立ってもらうために勉強するんだ。
本末転倒するな。

メモもデッサン

アイデアを拾ったメモは、デッサンと同じ。
ながめていろいろ組み合わせて、なんども書き変えて形にしてゆく。

自分がおかしいのか、理想を明確にしていないからか

人で悩むな。

熟成を忘れて知恵が浅くないか

材料を混ぜれば、すぐ出来上がるというものではない。
材料同士が微生物などの力を借りて、発酵したり時間をかけて熟成して変化するから、深い味わいが出る。
すぐ結果を求める時代。熟成ということを忘れている。

Friday, April 16, 2010

尊敬されてるか

お父さん、自分のことだけしかやってないのではないか。家で君たちに大切なことを伝えたり、自分が努力する態度を示しているか。
尊敬されているかというのは、自分が思っていることを形にすべく努力をしているかという自分自身に対する問いかけ。

「水持ってきて」より「どこを操作したら絵を貼り付けられるの」

受ける側より作る側。

アイデアの小川

流れてくるアイデアをすくう。
もっと様子を観察しようと、小川の中にはいる。

いつもそのことばかり考えていると、何かがつながる。

アイデアはいつ流れてくるかわからない。いつもすくいとれるよう、メモを用意しておくのが大切。

メッシの笑顔

新しい時代を予感させる。

受ける側に立つか、作る側に立つか

習う側にいるか、教える側にいるか。
鑑賞する側にいるか、発表する側にいるか。
評論家か、作成者か。
応援する人か、プレーする人か。
食べる人か、料理する人か。
受ける側か、用意する側か。
もらう側か、与える側か。

後者を選べば2倍の喜びを得る。
どちら側に立つかによって、人生は2倍変わる。

一見お膳立てしてもらえる前者が得のような気がする。時間の割にはきれいな形にならない後者は無駄のような気がする。その効率や損得を中心に考えると、本当の喜びを経験できなくなる。
後者に立ったことのある人どうしの、心の通い合いはなによりも深い。
後者に立ったことのある人の、得た自由の喜びは大きい。
この差は大きい。

もっとわかりやすいマニュアルがほしいの意味は

その人の必要なことが苦労なく探せなければ、このマニュアルはわかりにくいということになってしまう。探す労力をせず、すぐ手に入らないその人がわがままだとしても、マニュアルがわかりにくい、これを書いた人が悪いということになってしまう。

誰も自動車の運転を「わかりにくい」とか「マニュアルが悪い」と言わない。何十時間もかけて練習をするほど複雑で、事故も起こしてお金もかかるのに、それでもマニュアルが悪いと言わない。逆に文句をいう暇を惜しんで自分から一生懸命練習する。

すいか買っちゃった

お父さんの大学時代の失敗。部活で暑い夏の練習日に、皆で食べようと買ってしまった。ありふれた部費の使い方にあきて、道具代ではなく、すいかにしてしまった会計担当。

大切な最初の同調者になれるかな

リーダーシップも大切だけど、最初に勇気を出してついてゆく同調者がカギだという話を聞いた。君はそういったひとになれるかな?

公園で一人の男が立ち上がって、今までに見たことのない踊りを始める。
まわりの人は「へんなやつだな」としばらく見ているのだが、そのうちまわりで見ていた一人が立ち上がって、見よう見まねでそのヘンな踊りを真似してみる。だんだん様になってくる。ちょっと楽しそう。
それを見た他の人が、2人3人と立ち上がり、真似して踊りだす。
そのうちに大勢の人が立ち上がって一緒に踊りだすと、もう座っているほうがおかしいように思われて、とうとう大きな踊りの輪ができる。

コンサートや劇のスタンディングオベーションを思い出すといい。
誰か一人が感動して立ち上がって拍手を始めると、それを見た人が勇気を得て立ち上がり拍手をする。はじめはぽつぽつとそういった人が出てくるのだが、どんどん加速し、会場全体がスタンディングオベーションの嵐となる。

ヘンな踊りをやっていた人は、新しいことを世の中に問うリーダー。だけどそのままではただの変わりもの。同調して立ち上がる、最初の勇気のある人がカギ。どのようにしてリーダーについてゆけばいいのか、やり方をまわりに示すことで、はじめて大きな流れができるからだ。最初の勇気ある同調者の存在がなければ、リーダーはただのアホだ。
これはリーダーシップ以上にもっと評価されていい。見る目があったと。

別の組み合わせで喜ばれる

才能がなくても、画期的な大発見や大発明でなくても、ありふれたものを今までやられていない組み合わせて形にして、喜ばれることってある。むしろ世の中そのほうが多い。

後から人は「なんだ、そんなことだったらできるよ」っていうけど、それはコロンブスの卵、だったら君はなぜやらなかったんだということ。
そんな夢を語り合える相手がいることが幸せなんだ。そして形にして世の中に問い、反響を得ることができれば、こんなに充実した経験はほかにはない。

才能がなくてもやることいっぱい

まわりの同級生を見ていて「自分は才能ない」と、立ち止まってしまうのもたまにはいいだろう。
親には人と比べるなと言っている割には、自分は人と比べている。
髪型、容姿、お金の使い方、判断の仕方、やること。みんな友達とか、まわりに合わせようとしていないか。「ヘンなの」と言われないようにしているだけじゃないのか。結局自分でもっと他に道はないか、本を読んだり、学校以外の人の話を聞いたり、または深く自分と対話して理想を明確にすることもなく、まわりの人と比べてばかりいるのではないか。
才能なくても、まだ他の人がやっていない大切なこと、「簡単だよ」といいながら実現されていないことがたくさんある。それを形にしようとすればいい。
なぜそうしないのか。誰かがやってくれるのを待つだけか。待って一生が終わってしまう。

まわりの人がやっていて自分がやらなくてもいいことに向かって、意味も考えずに突き進んでいないか。その競争の流れについていけず、「自分は才能がない」と思っているだけではないのか。

いやなことについていくぐらいなら、自分で作ればいい

大学に入って、長年慣れ親しんだ高校のクラスメートとはまったく違う人たちとどう接すればいいか、新入生にとっては大きな戸惑いの時期だ。
育った環境の全く違う地方の人もいれば、考え方の想像もつかないような人もいる。クラスといっても強制されることもない。逆に単位制なので、お任せのメニューがない。外国のレストランに一人で入って、メニューが読めず、読めても料理が何だか想像もつかず、どうしていいかわからないような状態に似ている。

大学生になった時から、今まで与えられてきたことをこなしてゆく(指示されたり、覚えたり、答えたり)態度を、自分の意思で人生を切り開いてゆく態度に切り替える時期なのだ。レールの上を走る列車に乗っていたのを、自動車に乗って自分で運転してそれぞれの道を走ってゆくのと似ている。

新しい人間関係を早くなんとかうまく作りたいというあせりから、なじめないサークルに入って無理してついていこうとするより、自分で理想を明確にしてサークルを立ち上げたほうがいい。他の人に呼び掛けて、一緒に道を歩んでくれる人を募るのだ。
そんなの難しそうって思うかもしれない。それは違う。自分の中で理想を明確にイメージしていないだけだ。もし目に見えるように明確ならば、それは苦労じゃない。形になってゆく変化が喜びになる。そういう考えに切り替えなければいけないのが、大学生という時期なのだ。

自分がやるべきなのか

それは自分がやるべきことなのか。他の人がもっとうまくできたり、すでにやっていることなら、そちらに任せたっていいんだから。

Friday, April 09, 2010

2段階だよ

ものを買ってもらうには
「ほしい/ほしくない」と「買える/買えない」
のお客さんの決断2段階をクリアして、初めて売れるということになるそうだ。
舞台では
「見たい/見たくない」と「上手い/上手くない」
かもしれない。
やとってもらうにはその人を
「必要なスキルを持ってる/持ってない」と「合意条件で雇える/雇えない」
なのかな。

最初の段階は社会とつながれるか、魅力的か、必要性の問題でもある。これが大きな壁。開発するのに時間も、技術も、人のネットワークも、時代にあってるかも、そして広告(ひと言で表現できる)も必要。

ただ学校で習って、「そのとおりできる」「うまくやれる」だけじゃ身につかない部分だ。作って発信して初めて身につくんだとおもう。
これが地を這うような時間、苦労の時間だ。
だけど好きなことで社会に貢献できるテーマを選んで、時代に乗って自分らしく、相手の反応を想像してわくわくしながらやれば、楽しく乗り切って、新しいものを形にしていくことが出来ると思う。

先に言う、先に言わない

インドや中国の人がタフネゴシエーターといわれているけど、昔の商人タイプの人、1対1の交渉がうまい人のかわし方を知っておくといい。秘訣は「こちらから条件を作って、1対多に交渉の場を移す」こと。1対1では口車に乗ってしまう、たぶん勝てないと思ったら、1対1でないようにする。オレオレ詐欺やいろんな勧誘、身近なところで言えば強引な友達、上司の対処法も原則同じ。ただし、相手は1対1から逃げられないようにいろいろ仕掛けをするから、のこのこ入っていかないこと。

交渉の上手い人は大概1対1の交渉に持ってゆこうとする。そして条件は先にいわない。「いくらぐらい?」「そっちから言ってくれ」相手に言わせて相手の出方を見る。
まず「買いたい」と相手に言わせて、自分の言ったことに縛られるようにする。「絶対買わなくちゃいけない」「期限までに買わなくちゃいけない」こんな風に後戻りできないようにしてから、それから有利な条件に持ってゆく。例えば高いものを売りつけるなど。
「ほしい/ほしくない」「買える/買えない」2段階の壁を逆手に取り、最初の壁を乗り越えさせ、交渉相手が自分で作った壁のおかげで逆戻りできないようにしてしまうのだ。仮契約にサインさせるとか、とりあえずお試しで渡してしまうとか。
気をつけよう。

その先の接点に

社会人になって自分で働いて稼いで暮らす喜びは、「社会と繋がることができた」「自由も得た」というものだろう。仕事をしていても「社会と繋がっている=喜んでもらっている」という感覚が得られないと、これまた問題。つまらない。
クララの友達もどんどん活躍し始めて社会と繋がってきているけど、日本の未来に必要なのは「世界と繋がること」だね。いろんなプロになってきても、世界の舞台に繋がれないと、それはコップの中の嵐。ステップを上がった人は「どうやったら世界の舞台に繋がることができるか」で行き詰る。力はあっても世界の人とのつながりが出来ないんだ。やり方もわからない。
そんなときが、クララの出番、本番だ。
君はもう世界のプロたちとクラスで関わり始めて、いろんな刺激でぐんぐん伸びているだろう。ふと日本の友達の活躍や、まだ社会に出ていないことに落ち込むことがあったとしても、「その先の接点」と言う重要な役目を負っているんだ。
あせらず、今を固めてゆけ。

Sunday, April 04, 2010

幸福な無名時代

1歳。和室の仕切り棒に捕まって何回もスクワット、大きな泣き声。
2歳。お父さんの足の上で高い高い。ゲゲゲって笑う。パツパツに筋肉のついた子。ちょっとの物音ですぐ夜鳴き。夜の街をだっこして散歩。
3歳。大汗をかいてすだれ頭。仲良し3人娘。お菓子のシルクハットを楽しみにお昼寝。
4歳。お漏らしをして「ま、いっか」の名言。むにゃむにゃ英語で回り爆笑。
5歳。数秒前から両手を挙げてゴール1等賞の運動会。おっぱいの力。
6歳。男の子をひっぱりまわして遊ぶ。伝説のトラ退治ごっことピーターパンごっこ。お父さんはひも。大きなキス。
小学生低学年。ランドセルが歩いている。ちょっと内気。
小学生高学年。新体操やピアノ。覚えられずに本番で繰り返しミス。あがり性か。
お弁当を誰と一緒に食べるか、抗争に巻き込まれる。
中学生。群れない子。中学生の女の子の人間関係はむずかしい。うまく人前で話ができるようになると誘われて演劇部へ。先輩が恐かった。あこがれてバレエを始める。お嫁さんにしたい候補NO1。だけど劣等感も。
高校生。早弁、部活、バレエの繰り返し。つかずはなれずマイウェイのスタンス。行動をウォッチするファンもクラスに出現。
発表会ではスランプの高3。暗い9月。才能について考えているのか。お父さんにざわわはすごく良い出来に見えたが。
毎晩遅くまで練習。ラケットを振りながら駅までお迎えの日課。家族の安全を毎晩祈ってくれた。
4度目の受験失敗。日本に道が無くなる。追い討ちをかける出来事。バレエの先生との決別。学校での呼び出し。なぜ責められなければいけないのか。
アルバイト開始。演劇学校でであった働きながら舞台を目指す人たち。夢をあきらめない。
唯一赤点の英語だったけど留学へ。
大学1年。授業の最後に宿題が出たかどうかを先生に確認に行く。英語が分からない。でも、確認に行くだけすごい。
途中から転校してきた子の英語力、友達をすぐ作る社交力に落ち込む2月。ひとりで過ごす時間。自然が美しい。バレエと少し離れる決心。
1月からの学期が終わり、なんと良い成績。お父さん、驚く。
帰国せず、友達と暮らす5、6月。エネルギーを貯める。
ひとりでバレエの修行に出た7、8月。そこで見たのは日本からバレエを習いに来て、アメリカで舞台に立ったという女性。すごいな、そんなことが出来るんだ。新鮮な驚きとあせり。
学校に帰ってみると、友達の英語が自然に聞こえる。この武者修行の旅が、その後の流れを変える転機になる。
9月新学期。バレエカンパニーに入る。ピアノが楽しくて深夜まで弾く。どんどん吸収する。赤丸急上昇。苦節10ヶ月。全てが好転へ。バレエカンパニーでも初めてアメリカの舞台に立つ。
3月、ピアノコンクールも優勝。彼氏、親友にも恵まれる。楽しい日々。でもそれでいいのか。不満というよりエネルギーもたまり、次のステップに上りたいという意欲が強くなる。ここへ来た理由へ原点回帰。
5月、ふたたびバレエの武者修行へ。もっとダンスをやれる環境を目指す。自分で学校を探し、受験。大学の先生にも相談して転校へ。住むところもすべてひとりで探す。
またしてもアップルハウスで人に恵まれる。力を貯めて独り暮らしへ。
「そんな非現実的なことできっこない」と言われても、淡々と舞台への憧れを形にしてゆく気持ちのゆとりが出来始める。できっこないと思っていたことをやってしまう人、まわりでたくさん見てきたし、一緒にやる機会も持てるんだとわかってきたから。
9月、世界中のプロが集まるクラス。出来ないと思い込んでいたレベルがどんどん上がる。やはり異文化の中で先入観をなくすことの力は想像以上。地に足をつけた考え方になってくる。
あせったりあきらめるというのではなく、より力強く進むための安定感が出る。やるべきことがわかっているから。そうすると不思議、文化を超えた親友も生まれる。オーラが出始めてるのかな。
雑音も無く、生活のリズムと気持ちさえしっかり持てば集中も出来る。
まさに幸福な無名時代。力を貯めて、飛び立つときの方向と距離をかせいでいる今。

君は始めから才能に恵まれてすごかったわけではない。こうしてステップを登ってきている。それを見てきた家族や幼なじみや親友がいる。
君の幸福な無名時代を、お父さんもいっしょに楽しんでいる。

Thursday, April 01, 2010

審査員特別賞がいい

「苦しいあのときに、たった一人だけ認めてくれた」
「大変だったときに、ひとりだけ味方になって助けてくれた」
こんな経験で一生の友達が決まる。ほんの瞬間の出来事だ。

美人コンテストでも「大賞」よりも「審査員特別賞」がいい。
コンテストの大賞は、概して「ほかの人もいいと思うような人」つまり「多数決でも決まりそうな人」が選ばれる。言ってみれば平均的な美人。だけど、「ほかの人は違うかもしれないけど、私はこの人いいなあと思う」というような候補者は審査員特別賞になるわけだ。好きな人はめちゃくちゃ好きという感じ。

世界的に有名なコンサルタント会社の採用担当は、5人全員が○をつけた候補者を取らないという。そういう人は平凡な優等生タイプ。答えのない社会でやっていくのは大変。それに対して誰か一人、「この人は絶対とりたい」と◎をつけたら、ほかの採用担当がどうであろうと内定となるそうだ。

お父さんは審査員特別賞が取れるような製品を世の中に送り出したい。

地を這うような時期

なかなか芽が出ない時期ってある。ちっとも上昇できず、地を這うような時期。つらいよね。まわりを見るとどんどん活躍している。だけどこの時期は非常に大切なんだ。
いわゆる幸福な無名時代。この時期にもがいて、悪戦苦闘、試行錯誤して知恵の蓄積をどれだけ作るかがその後を決める。
いい流れになったら、どんどんよくなる。その代わり後戻りできない。だからいかに幸福な無名時代を過ごすかで、たぶんその後の流れてゆく距離と方向が決まる。
これは渋滞学の先生の書いた本に載ってたことだけど、お父さん、よくわかるなあ。
幸福な無名時代。いい言葉だ。