散り際の美学
このごろケルト音楽に興味を持ったけど、津軽三味線なんかもいい。
白と黒の世界。雪景色の吹雪の平原、荒れた海に海岸の猟師の小屋。風に揺れる窓を覆うビニール。
自然の厳しさに耐えている風土が、じっと目をつぶり、正座して淡々とリズムを刻んでゆく美学をはぐくんでいるよう。内に秘めた力というか、龍のように駆け巡る音というか。
ストイックなサムライ的な美しさなど、いろいろ日本的な美学ってあるよなあ。
風に流れる桜の花びらとか、熊野古道の苔むした石段。
散り際の美学って感じ。
夕食の食卓を囲んで、おとうさんが家族にするような話を書き残してゆくブログ。 家族の歴史。
このごろケルト音楽に興味を持ったけど、津軽三味線なんかもいい。
出会いは一生心に残る友達を作るけど、一瞬が大切みたい。
過去の経験から「あ、それだったら・・」とすぐ自分のことを話す。
直線の多いガンダムのほうが、描く人は仕事しやすいだろう。ひょっとすると、下請けや弟子に仕事を出しやすいかもしれない。
デッサンを見ていると、何度も書き直している。一筆書きのように、一度ですまないのか。
「どうしたら、より役に立つものになるかな。」
会社も生き物のようだ。
お父さんはなぜこのブログを書くのか。家族に伝えたいとても私的なことを、なぜ誰でも見えるブログに書くのか。
決められたことをこなすのも大切だけど、できれば早いうちから「新しい価値を世の中に問うことの出来る人になろう」と、そんな場を求めチャレンジして欲しい。
お父さんは動的平衡って言葉は知らなかったけど、スキーのように、流れの中で斜面に対応してゆくようなことが、生きることだとは感じていた。
美しいパスの美学に酔うよりも、がむしゃらにゴールを目指す。
人は何万年も飢えていたから、なるべく食べられるときに食べて、エネルギーを蓄えようとするようにできている。環境が変わってしばらく獲物が取れなくても大丈夫なようにと。だから食べるものに困らない先進国はダイエットが必要になってしまう。根本にある欲求で、つい食べ過ぎてしまうんだよね。
親になると子どもに対して言いたい事がたくさん。
春の息吹。見ていると力が抜けるほど美しい。
部屋は、ほおっておけば散らかる。
さまざまな刺激に遭遇すると、神経回路が太くなる。これでうまく動けたり、早く反応できたり、記憶できるようになるそうだ。生まれたときは回路はたくさんあるけれど、どれが太いってわけではないみたい。すべてに対して可能性を準備された状態。そして生きていくうち、出会った人、環境、または自ら勉強して身につけたことにより、回路が太くなるそうだ。
福岡伸一さんの「動的平衡」という本に書いてあった。
山形、福島の里山はきれい。4月5月の新緑の季節は特に。
買ったばかりのビデオカメラ、電池が引っかかって交換できない。まだ1日しかたっていないのに。