お父さんからの伝言

夕食の食卓を囲んで、おとうさんが家族にするような話を書き残してゆくブログ。 家族の歴史。

Saturday, March 20, 2010

違いがわからない

IT関連の機器は特にそうなんだけど、高いものと安いものの違いがわからない。おなじバックアップ電源でも、瞬間的に切り替わる方式によってはパソコンが壊れたりする。ACアダプターのような単純なものですら、方式によっては測定機器の表示を狂わせたりする。 ワイヤレスだって便利だけど、電波が届かないこともが多い。「何メートル届くの」と聞いても相手も家の間取りを知らないし、わからないとしか答えてくれない。

つい安いものを見つけると、どうせ買うなら安いほうがいいと思うのだが失敗も多い。どういう組み合わせで、どんな場合を想定するか。これが普通考えられないんだよね。
しろうとは悲しいかな、具体的な状況を想定した質問をしてくれないと答えられないんだな。そこまで質問を組み立ててくれるスキルのある人もなかなかいない。

商品や作品を作る立場から言うと、原因のわからない不具合などを努力してやっと克服し、ライバルよりも機能や質を高める必要があるけれど、買ってくれる人の具体的な状況にあわせた表現などの調整がいる。これがまた難問。だから作るのも大変、売るのはさらに大変。
はじめから開発は継続的に積み重ねるものだと納得していないと、「せっかく最高のものを作ったのに、客がバカだ」みたいにキレてしまっては努力が報われない。

自動車、ジェット機、パラシュート

自動車、ジェット機、パラシュートの共通点、それはスターターがついていること。
車はいきなりエンジンに点火しない。最初にモーターでエンジンを回して、勢いをつけてからエンジン点火。ジェット機はいきなりジェットエンジンを点火するのではなく、最初にスターターの補助エンジンをまわす。一番お尻についているやつ。パラシュートも最初は小さなやつが開いて、それがメインのパラシュートを引っ張り出してくれる。

仕事は二段構え。最初に簡単な作業をやって、慣性の法則で勢いがついてきたら、集中力の要る仕事を始める。最初から集中力の要る仕事をやろうとすると、なかなか手がつけられない。慣性をつけること、つまりウォーミングアップが必要。
だけどめんどくさく思ったり、遊んでると思われるのが気まずかったり、本題以外のことをわざわざやるのが無駄なような気がしてやらないことが多くないかな?そしていつまでもメインの課題に手をつけずに時間が過ぎてしまう。
反面、習慣になったことはやらないと気持ち悪い。自動的に慣性が働いているから習慣というのだろう。

大人の言い訳。「まとまった時間が取れない」
そう、社会ではほとんど、正解のある問題がない。つい「じっくり考えて解決しなければ」=「まとまった時間が必要となる」と思い込むのだが、解決できるかめどが立たないのでまとまった時間がいったいいくら必要なのだかわからない。頭が混乱するからなかなか手をつけられない。宿題も似てるね。
本当は「まとまった時間が取れない」のではなく、糸口、つまり「スターターがわからない」なのだろう。

君は何をスターターに使っているかな。

Thursday, March 18, 2010

大おばあちゃん100歳

もうすぐ100歳の誕生日。すごいね。
実は4月の誕生日で満99歳だということが判明。数えで今年は100歳ということらしい。

Saturday, March 13, 2010

どうせなら海外へ

もし居心地の悪さが「まわりと同じでないとおかしい」という思い込みにあるならば、できれば海外へ行ったほうがいい。

杜氏

日本酒を造るのに一番大切なのは、いい麹を作ること。蒸したお米に麹菌をまぶして麹を活性化させるのだが、米の中心部にいかに菌糸を深くくいこむように育てるかがポイントだそうだ。そのために米の乾き具合や、活動を活発化させる温度を調整する。
たとえて言うと、木の根が地中深く伸びていって、倒れない強い木に育てるよう、「根さんこちら、水はこちら、簡単な表面にはないよ」と深いほうへ誘導するようなもの。楽はさせない。そうでないと、米の表面だけで糖化が終わってしまうそうだ。

麹つくりがうまくいけば、後工程のすべてが決まる。「鉄は熱いうちに打て」とか、小さいころの育て方がその後を左右するみたいな話。
だけど米も毎年出来が違って、水を吸いやすい年もあれば、そうでない年もあるそうだ。だから杜氏は何年やっても同じということもなく、完璧ということもないそうだ。愛情を持って見つめ、発酵後の酒の出来具合を想像しながら対処しているという。そういった加減を仕切るのが杜氏の仕事。

この子の未来像を描きながら、愛情を持って今の問題に対処する。表面だけをつくろわず、根本解決を目指す。そのために環境を与えたり、子供からの声無き反応に答える。
杜氏の仕事は子育てと同じだよなあ。

はっきりした境目しかわからない

人間は大きな変化の境目しか気がつかない。センサーは緩やかな変化のような、はっきりとした境を持たないものを認識しない。ほとんどの場合、思い込みで流している。だから後悔する。

3つ子の魂

幼稚園のとき、男の子を引き連れていたクララは人に恵まれている。器用な方だとは思わないけれど、磨き続ける力に恵まれている。今のように進んでいけばいい。
幼稚園のとき、ずっと泣いていたヨセフは師に恵まれている。丸腰では流されてしまうので、ひとつの技を磨いてほしい。できれば感性を生かした技術屋がいいのではないかと思う。
幼稚園のとき、見当たらないなと思ったら机の下で寝ていたルカは運に恵まれている。自分を見失わずにいろいろ試してみようと思えば、冒険で人生を楽しんでいけるだろう。

普通に見えることでよけいに苦しむ

その女子高生は少し足が不自由なのだけど、混雑した駅にいる人々は気がつかない。ちょっと押されそうになること、それがどれだけの恐怖なのかわかってもらえない。
狭い階段で先を急ぐ人たちの流れを前に「だれに支援を頼もうか」と頭がいっぱいになってしまう。そして「私だけできない」という現実に疲れきってしまう。たったひとつのことなのに。

引きこもりや不登校は学生だけの話ではない。働き盛りにだってある。
よく見ればお年寄りにも沢山見られる。おじいちゃんだって、おされるのがこわくて電車に乗るのを避けている。だれかに車で送ってもらうなど、ほかの手段を気兼ねなく選べるだけなのだ。
広い世界を見渡すと、それがあたりまえの社会はたくさんある。だから自分のいる学校や身の回りの小さな環境がすべてだと思ってはいけない。

世の中は広い。飛び出せば、ひとつがだめでも、ほかの環境や手段を選べるんだ。
自分やまわりからの思い込みの風当たりを受け止めてもらえる支援と、「落ちこぼれ」といういやな言葉に「それは思い込みなんだ」と立ち向かうことが大切だろう。

児童虐待はもっとひどい。引きこもる場所も抜け出せる力もない子供たち。「おまえがわるいんだ」と攻め続けられる。残酷なことがあちこちで起こっている。

通信のような制度と、癒し受け入れてもらえるふるさとのような場所が、ますます大切な時代だ。

技を磨くことが価値

仕事にもいろいろあるけど、技術革新を伴わない価値は続かない。
新しい商品を開発すること。
新しい流通方式を開発すること。
いずれにせよ、交渉力だけでは価値は上がらない。ほおって置けば次第に世の中についてゆけなくなり、価値は下がる。

自分の技を磨くことによってのみ、価値をあげ、対価を手に入れられる。
また、コップの中の嵐ではいけない。どこに行って価値を上げるべきか、広く世界に土俵を求めなければいけない。

家族の原風景

お父さんの家族の原風景は、日曜日の多摩川の河原。土手の上におじいちゃんとおばあちゃんが座って、お父さんと弟が河原で石投げをしている。こんな家庭を作りたいと思った。
君たちはどうかな。毎年夏に行ったキャンプ場が、家族の原風景になるといいね。
去年は10年前から続けてきた夏のキャンプを、始めてやらなかったなあ。

遅くないよ

今から始めても遅くないよ。
お父さんも50になってもそうしている。
技術には断絶があるから、その新しい波に乗ればいい。
強敵は自分の築いた古い波の技術を捨てられないから、君は新しい波の中でわざを磨いて勝負すればいい。
新しい波が大きなうねりになるものかどうか、それは歴史が証明してくれる。要は曇りのない目で見て、君の感性に合えばいいのだ。

かたちになるということ

そこにはたったひとりの人間の意志があり、執念を持ってひとつひとつ具体的にしてゆく。
たくさんの人の協力はあとからついてくるものだ。
たったひとりの夢と意思と執念が核になる。これがなければはじまらないし、かたちにまで辿り着かない。
ふつうは夢があっても「とても無理だよ」とリスクをとらない。
だからこそ君たちには、好きなことを愛情を持って磨いていって、そういった核になってほしいと思っている。好きなことなら、ごく自然の流れだろ?
かたちに辿り着くための最後の砦、核になることを「リーダーシップ」というのだと思っている。

発酵やキーレート

日本にはたくさんの発酵食品がある。なっとう、みそ、しょうゆに酒。かつおぶしや漬物なんかもそうだ。総じておいしく、健康にいいもの。微生物の力を借りて、たんぱく質を変化させたり、でんぷんを糖に変えたり。それらが人間にとっておいしく感じ、体の働きにもうまく取り込まれてプラスに作用、健康になる。

キーレートという言葉を聞いたことがあるかな?マグネシウムなどの人間に必要な微量元素も、そのままでは人間が吸収しやすい形ではない。カルシウムやマグネシウムなどのミネラルを、たんぱく質が包み込んだ形をキーレートというそうだが、その形になると人間は吸収しやすいという。植物がその役目を負っていて、土の中のマグネシウムを植物が吸収すると、キーレートされた形にするそうだ。マグネシウムの粉を呑むよりも、まめの粉をとうふにして食べたほうがいいわけだ。

これを知ると、いろいろ思い当たることがある。勉強もそのまま教科書で覚えただけではマグネシウムの粉と同じ。好きな作品をつくるために必要な時、教科書の知識をどう利用できるか考えることが発酵やキーレートにあたるんじゃないかな。

また君にとっての、君の人生をより高めてくれる、たとえて言うと「微生物」や「植物」となるような、そんな大切な環境や友達の存在は何かな。それは目立たないものかもしれないよ。

主人公とクライマックス

演劇の台本を書いてきた人の話によると、必ず「主人公」がいて、「クライマックス」がないと芝居にならないという。そしてたいていの場合、クライマックスに主人公が「変化」を遂げる。
好きな料理も観察してみると、あまりごちゃごちゃまぜてはいない。「主人公」となる材料があって、少しの引き立て役と合わさることで化学変化、思いもよらない味の発展を遂げている。

作品を磨くときにはなんでもまぜすぎないように。主人公がぼやけないように。どちらかというと、「何を捨てるか」に気を使えばいい。そして観客はクライマックスの変化を楽しみにしている。

もうひとつ大切なこと。
あたりまえの話は芝居にならない。「どこか外れた部分」があり、それがあることで芸術となる。

田舎からの出発

お気に入りの歌手の歌を聴きながら思ったこと。
彼女らは東京で見出され、東京を中心に音楽活動をしているわけだが、多くは田舎に生まれ育った人たち。歌手になることを夢見て作品を作ったり練習したり。そして発表の場をきっかけに見出されて上京。挫折と希望の春を織り交ぜながら、美しい歌を磨き続けてきたのだと思う。

日本は自動車や家電製品が有名だけど、映画や音楽、芸術ではまだまだ世界の田舎。東京といえども、世界の一地方都市だ。
家族とはなれて都会に出て、自分や作品を磨き続けてきたときの日本人は強かった。そういった先輩たちが、まだまだたくさんニューヨークやパリにいることだろう。田舎から憧れの舞台に出て、ただひとつのことを追求し続ける日々を過ごした人たち。

自分にはできなかったけど、あなたには活躍してほしい。そういった後押しを受けながら、ひたすら磨き続ける充実した時を味わってもらいたい。
目指せ、世界で活躍する日本人。

Sunday, March 07, 2010

ぼやき

ツイッターが話題になっているが、ひとこと「つぶやく」ということだそうだ。中年はブログでしっかり書く派らしい。
「つぶやく」ということだが、内容は「いまどこにいるなう」とか「なにたべた」が多いような気がする。
「ぼやく」でもいいんじゃないかな。「あーあ、3月になっちゃった」とか「なんとかならんか」とか。

社会人は「いつも見られている」という緊張感が根底にあっていい仕事をすると思う。その裏側の心の中のリラックスした部分が見えるんじゃないかなということで、ツイッターが注目されてるのかな。
いつも見られているという意識のない人のつぶやきだと、何も面白くないような気がするね。

それよりリアルタイムの情報持ち寄りに使いたいな。フィルターや整理する方法をどうするか。

Saturday, March 06, 2010

一瞬で伝える表現力

デザインでお父さんは頭をひねっている。
デザインと言ってもかっこいい形を絵に描くことだけでなく、「ソフトのメニューをどうまとめたら直感的に使いやすいか」とか、「どんな機能を入れたら便利か」という方面だ。これもヒューマンインターフェースのデザインだと思う。 その点ゲームはすごい。

持ちやすいとかの空間的な使いやすさだけでなく、時間軸でも物語のように、イメージしやすく操作できるかを考えている。物語と言うのは、たとえばこのボタンを押せば次に何が起こるか、「お約束」のようにパターンがイメージしやすいこと。ラベル(付けた名前)も大切だ。
また生き物のように、適者生存で製品も進化する。のびしろのある、考えを整理しやすい、シンプルな組み合わせにするということも重要なポイントだ。ごちゃごちゃ増築した温泉旅館のようなソフトを「スパゲッティー」と呼んでいるが、からまっていてはいけない。不具合の原因になる。

「シンプルに美しく」は、「フィット感と物語を考え抜いた末に出来るもの」という気がする。デザインは「空間的な広がり」と、「時間的な物語」を一瞬で伝える表現力だと思った。

Tuesday, March 02, 2010

旅は勉強できなくても行ける

30年後に「学生時代、こんなことをしたんだよ」って家族に話せるのは素敵だよね。
「いい大学に入ったんだよ」じゃつまらないし、何かほかの人がやっていない経験を言えたら「へえー」って聞いてもらえる。たとえば冒険物語。お馬鹿なチャレンジをやった経験でもいいかな。

オリンピックに出たり、大会に出たり、作品を発表して何か賞を取れればいいけど。だめもとでオーディションを受けただけでも話題にできる。あとで「無謀だよ」と言われたとしても、かえって笑って話せる。

自信ないときは旅が一番。山登りでもいい。頭が悪くても、特別な才能がなくてもできる。
ほかの人のやったことがないような冒険。どうせならアルバイトのような日常的なことも、ちょっと探してめずらしい経験をしよう。特別な場所や学科への留学や海外の旅もいいね。

20年後、30年後に語れる何かをやるには、学生時代が一番だ。退屈な選択はしないほうがいい。

Monday, March 01, 2010

春の記憶

お父さんの幼いころの春の記憶は小川。徳島の幅1mくらいの小川。
田んぼの間を通って、道路のしたをくぐり、大きな川に注いでいる。そこは護岸工事などしてなくて、たんぽぽ、つくしが斜面を覆っている。道路のしたに入る境目には、めだかやどじょうがあつまる。水深30cmくらいの小川。
ぬるい春の風に吹かれながら、時のたつのを忘れてどじょうをつかまえる。楽しかったよ。
今はコンクリートの護岸が覆い、変わってしまったけどね。