お父さんからの伝言

夕食の食卓を囲んで、おとうさんが家族にするような話を書き残してゆくブログ。 家族の歴史。

Saturday, November 03, 2007

また夢を追いたくなった

若い頃はアメリカの映画なんかの影響で、仕事はやりたくないもの、大切なのは趣味の時間ということを考えがちだけど、自分の本当にやりたいことを仕事としてやっている人にとっては違和感がある考え方。
お父さんは50歳を過ぎて、20代の頃やり残してきた夢をまた追い始めた。だから仕事が楽しい。無理もしてないけどね。

やらなきゃいけないと思っていることが・・すっきりする方法

頭の中では簡単に完成するイメージもあるが、具体的には時間がかかるのを知っていてめんどくさいと感じている。「簡単だよ」と「実際は時間がかかる」の両方知っていても、後のほうは無意識に隠している。こういうことってない?
なかなか仕事が進まないなあと思ったとき、パターンが決められないという場合があることを発見。その時はすぐにパソコンで書かずに、紙に書くのが打開策だ。それもなるべくイメージ的に殴り書き。箇条書きから形にしていってもよさそう。

家計簿をつけたり出張清算のようなものは、まず領収書を広げて、そこに一枚一枚ホチキスで小さな紙をつけ、そこに「タクシー代800円、11/15、現金」などと書いていく。いっぺんに貼って、いっぺんに書くのはすすまない。一枚終わったら次に移る。全部貼り終わったらこんどはパソコンを開く。エクセルで昔作った出張清算を開いて、すでに書いてあるのと同じ項目があるか、小さな紙を探す。あったらエクセルの金額と日付だけ変えてゆく。のこった紙は新しい項目なので、エクセルに新しい行で付け加える。面倒だと感じるのは最初の紙を貼る作業。この第一歩はコーヒーショップとか電車の中でやる。だからいつも領収書と紙とペンとホチキスはかばんの中に入れている。

なんでかな。後でまとめてやろうというものは、たまってくるとプレッシャー。半端な場所で半端な時間に、紙を貼り付けるという小さな第一歩を踏み出すことがカギ。結局完成させるのには1時間くらいかかる仕事なんだ。
ヨセフやルカにもあるだろう、こういうことって。みつけてごらん。知っているだけで、すっきりするよ。人間変わる。

その時どう感じたの

これを客観的にするために書き出すことがいかに家族にとって大事か。
脳は「かんたんにできるよ」というイメージと、「実際はそうはいかない」というイメージのふたつを持っている。建前と本音みたいに、ひとつは自分もだまして隠しているけど、それを表に出さないと、いらいらやもやもや、ストレスがたまる。

「うそつくな」で非難したらだめ。次のことを忘れてはいけない。
誰にでもあることで、特に勇気のいる事でもなんでもないこと。
表に出しても「みんな本当はそうだ」ということ
自分自身にも隠している本音を認識することですっきりすること。
「遅れる」とあせっても、どうせ事実だから受け入れたほうがいいということ。
そしたら人間変わって抜け出せるということ。

なぜ日本語ブログが一番多い?

世界中で、日本語で書かれたブログが一番多いと聞いたことがある。なぜ?

「誰かの反応をひそかに期待する。」
匠の文化に通じているのかな。
実は高い給料もほしい、羽目もはずしたいけど、いい作品を飛騨の職人さんのようにひたすら時間をかけて、殿様が「大儀じゃ」と一言いってくれるのを励みに作る。みかえりの要求はしない。きっと誰かが認めてくれる。認めてもらうよう、しかけるのではない。ストイックなかっこよさ。

そう考えてみるとちょっと屈折しているかも。ということは、ブログを書いているお父さんも屈折しているということになる??匠の子孫?

勉強DSは画期的

タッチペンでダブルスクリーン。この個性をフルに生かしている。そして従来のゲームという枠を超えた発想。他の追随を許さないとはこのことか。
すごい。

この考え方のパターンを見習うべきだと思った。

ジャズのスリルはプレーヤーになることで味わえる

自分のレベルを上げていったとき、優れた人とのコラボは、よりすばらしい世界を経験させてくれるはず。

そんな楽しさを味わうためにも、修練しなさい。
習う側でなく、教える側、作る側で今を過ごしなさい。
未来の自分から今を見ている感覚で過ごしなさい。

本を渡すのではなくメールするほうがいい

「これを読んでごらん」
本を渡しても、君たちはお父さんの感激したようにはならないだろう。お父さんの言ってることややってること、つまりお父さんを通して、さらにいえば、今、君たちにピンと来るものしか理解しないはず。

お父さんにとっては面倒だけど、いくら感激しても自分の言葉で伝えないとだめだ。せめてメールするほうがいい。
家庭で一番大切なのは、どれくらいお互い伝えることに時間をかけることができるか。今の問題解決にはこれが必要。お父さん反省。

コミュニケーション相手が家族よりゲームや漫画やテレビというライバルにとられている。こいつらは一方通行のくせに強敵。ゲームはプログラミングどおりの反射時間を試すだけの、やはり一方通行。漫画やテレビはありえない、ハハハでおしまい。よけいなものも多い。だから選べるユーチューブにだんだん移行。映画は見た後にどう思ったか感想をいう濃さがあるけど。

よし、対抗として「テレビ」や「ユーチューブ」には「昔の家族ビデオ」。
「漫画」には「漫画ブログ」かな。前回ちょっと感想が聞けた。
「ゲーム」には「音楽」かも。ドラムセットでも買うか。
もちろん「学校どうだった」みたいな会話の時間がお手軽だけど、違う世界だ、話してもしょうがないと思っているから続かない。先生の話題かな。

オープンに話せる訓練がフィルナイトになる道

フィルナイトさんはナイキの創業者。何かの本で読んだんだろうけど、なぜそう思ったんだろう。1年前にタイトルを書いたとき、何かお父さんに足りないものだと思ったのか。

情報の時間差が軍拡・設備投資合戦を生む

拡張プロセスと平衡プロセスの間にある時間差が疑心暗鬼を生み、軍拡や設備投資合戦を招く。そして必要のないエネルギーを使い、疲弊する。
ガチンコの1対1勝負にもつれ込まないで、まわりとの関係を充実させる予防措置があるし、そうすれば時間差を待てるようになれそう。
大人の対応というやつ。商売にはそういった状況が付き物だ。人間関係にも適用できる。

プレッシャーがたまらない

イチロー選手はなんであんなにヒットを打てるのか不思議だけど、「プレッシャーがたまらない」とインタビューに答えたそうだ。
何か事が起こるとシュンとなるのではなく、面白そうだとわくわくするんだろう。
そう考えてみると、自分もできそうだ。未来の自分から今を見るみたいな感覚。

お父さんの家族経営

このブログで理想の家族はどんなものか、ひとつの体系づけた考え方を形にしてきている。はじめからアイデアがあったわけではない。じっくりと観察して、書いてみて、だんだんつながってきた感じ。自分で書くことがなかったら、形にならなかっただろう。

残っているのは、マリアやヨセフやルカやクララの中にある理想を、同じように見えるようにしていって、お父さんの理想も、みんなとひとつの共有のものに変えてゆくこと。
さらに磨きをかけるために、具体的な家族の習慣を作っていくこと。
問題が起こったとき、どうするかを理想に照らし合わせて考えてゆくこと。
自立のサポート役に徹すること。
理想をブログ上に語るだけじゃ、やっぱ不十分だ。

アフリカで技術と情熱だけではやり切れなかった思いが残るのは、経営の要素が抜けていたこと。会社も家族もアフリカも同じ。

プロセスを楽しむ料理とめんどくさいから外食と

料理をするとボケないよ。
一緒にすると楽しいよ。
料理が楽しくない家庭になってないかな。

孤独に備える

お父さんが大学時代に「今しか出来ないこと」だと思ったテーマ。「孤独に備える。」

親と子の間の所有欲なき責任感

本からの引用。

あなたの子は、あなたの子ではありません。
自らを保つこと、それが生命の願望。そこから生まれた息子や娘、それがあなたの子なのです。
あなたを通ってやって来ますが、あなたからではなく、あなたと一緒にいますが、それでいてあなたのものではないのです。
子に愛を注ぐがよい。でも考えは別です。
子には子の考えがあるのです。
あなたの家に子の体を住まわせるのがよい。でもその魂は別です。子の魂は明日の家に住んでいて、あなたは夢のなかにでも、そこには立ち入れないのです。
子のようになろうと努めるのがよい。でも、子をあなたのようにしようとしてはいけません。
なぜなら、生命はあとへは戻らず、昨日と一緒に留まってもいません。
あなたは弓です。その弓から、子は生きた矢となって放たれていきます。射手は無窮の道のりにある的を見ながら、力強くあなたを引きしぼるのです。かれの矢が早く遠くに飛んでいくために。
あの射手に引きしぼられるとは、何と有難いことではありませんか。
なぜなら、射手が、飛んでいく矢を愛しているなら、留まっている弓をも愛しているのですから。

ー レバノン人の詩人カリール・ジブランの詩

鬱々として自己中心的な悩みや不満など、つまらぬものにとらわれて、世界中が自分を幸せにするために身を捧げてくれないと不平をいう代わりに、自分ですばらしいと思える目的のために用いられて生きること・・・・また自然の力の一つとなって生きること、それはまさに人生における真の喜びだ。

ー ジョージ・バーナード・ショー

(以上2つ「最強組織の法則」by Peter M. Senge より抜粋)

考えることは時間がかかって表に出すプロセス

相談室の先生が言っていた。「本気で不登校しないと、また再発する。」
お父さんの解釈するその意味は、こんなところだ。

時間をかけて本当に考え抜いたか
守られた環境の中で、不安の正体を客観視できたか
自分の価値観を持ったか
そのためには頭の中でもやもやしたままでなく、表に出して客観的に見るプロセスをたどったか
理屈では割り切れない人間の営みから、人生の目的を少しでも考えたか
今は人とは違っていても、遠くを見据えて行動してゆく勇気が出たか
自分のために学習していく意欲がわいてきたか
誰かのために経験を役立てようと思ったか
時間をもらえたことについての感謝の気持ちがわいてきたか
つまり、一度とらわれている自分を離れて、客観的に考えられるようになったか
それを誰かと話し合うことができたか
そのプロセスを経て、新しい自分を確立していったか

時間がかかるのは当たり前。
時間をかけないと熟成しない。
これでいいと思っても、もう少し時間をかけて見直す。
飛び出したくて、何か試してみたくて、しかたない顔が見えてくるまで。
不登校してない人も、このプロセスは大切。世の中考えることは、できるだけ早く、唯一の正解を答えることがいいと思っている。ちがう。

途中はいいからすぐ結果が出るようにしてくれ

そんな魔法はない。
対処療法はいたちごっこだ。
「何を調べたら、わからないことがより具体的に見えてくるのか」
それも考えないで騒いでいても、みんなが乗っている船は沈んで行くばかりだろう。

リーダーは設計する

自ら学習する組織を「引っ張る」のではなく「設計する」のが大切なんだそうだ。

客が多かった家

お父さんの子どものころは、お客さんが多かったなあ。
泊まりに来ているおじさんたち。トランプしたりしてもてなした。実は遊んでもらったのかな。
毎朝来る近所の子。はと小屋の中にいつの間にか入って、飼っているはとと遊んでいた。
夜中に遊びに来る弟の友達。トイレに起きたとき、廊下で挨拶された。
「あそぼ」の一言で押しかけてあがってきても、それが普通だった。
高校時代は友達も泊まりにきたし、お父さんも泊まりにいった。

また、小さいころはお父さんも夏休みは田舎で居候。親もいない中、いとことおじさんおばさんの中で何日も暮らした。

それから考えると、今は人の交流がずっと少ない。まだ休みにいとこが来るのは救いだけど。来るのが多くて、行くのが少ない。君たちにとって、ちょっと家族が窮屈だったかも。

ホームサーバー

我が家はあまりテレビを見ていない。ヨセフもルカも、どちらかというとユーチューブで好きな映像をさがして見てる。そんな時代だから、お父さんはホームサーバーを買った。ホームサーバーとは、ネットワーク対応の容量の大きなハードディスク。家にある2台のパソコンとつないでいる。そこに音楽やデジカメでとった写真、ビデオを保存する。
家族がそれぞれいろんな問題を抱えている今だから、どのパソコンからも、古い家族のビデオが見えるようにしたかった。DVDじゃ、どこにしまってあるのかわからない。死蔵されてしまっている。だけどどのパソコンからもビデオが手軽に見えるホームサーバーなら、ユーチューブのように家族の歴史を振り返ることが出来る。たとえ今が難しいときでも、原点を再確認できる。踏み外すことがないように、勇気がわいてくるように。
せっせとDVDをホームサーバーにコピーをしている。