構想は紙とにらめっこ
お父さんには未来が見える水晶球がある。それがマイブック。
夕食の食卓を囲んで、おとうさんが家族にするような話を書き残してゆくブログ。 家族の歴史。
お父さんには未来が見える水晶球がある。それがマイブック。
地味な、ひとつひとつ確認しながら身につけてゆく時間が長いんだ。
目をつぶって横になっていると、いろいろな場面が浮かんでくる。まるで壊れたビデオのように。いろいろな時期の出来事が、ばらばらに、鮮やかに再現される。
10年ほど前、倒産したばかりの社長から電話があった。「しばらくアパートを使わせてもらえないか」
台湾へよく行くお父さん。毎回1度は地元の小さな食堂に入ることにしている。お父さんが小さいころの大阪の、今里にあった食堂のようなところ。
しろのおばあちゃんに満州から引き上げてきたときのことを聞いたことがある。壮絶な体験。本や新聞の文字で見るのではなく、こうあるべきだと言うものでもなく、体験したことを自分の言葉で話してくれた。ひしひしとその状況が伝わる。おばあちゃんは軍人ではなかったから、見たことをそのまま話してくれた。
10代のころは日記を書いた。湧き出る感情の整理をするのに、心のトイレットペーパーのように使った。
君たち家で漫画ばかり見ている気がするけど、学校ではちゃんと授業を集中して聞いているんだよね。家でリラックスしているのだけを見て、文句を言ってはいけないね。
どんより曇った日の8時ころ一番良く光るそうだ。
ISO14000を勉強していて思ったのだけど、ものごとはじめにスコープありき。
乾いた土に水がしみこむように英語が上達するときがある。ボーっと聞いていると、よく聞こえて、どんどん入る感じのとき。ずーっと何気なく聞いていると、助走になるのかな。