お父さんからの伝言

夕食の食卓を囲んで、おとうさんが家族にするような話を書き残してゆくブログ。 家族の歴史。

Sunday, October 09, 2011

どうにでもなる人生の面白さ

振り返ってみると、コースを外れたと思っていたら、それなりに活躍の場をもてたという話。

Aさん。大学は授業が一番楽だと言われて選んだ経営工学。でもロックバンド三昧。ある日デモテープを送ったら、大手レコード会社のオーディションで優勝。音楽の道に行きたいと親に相談したが説得されて断念。留年して就職も探さずにいたら、親からの紹介で事務機器販売会社に。営業マンとして、当時出たばかりのファックスやオフコンを売りまくる。それから何を思ったか、オフコンのソフトを作る仕事に転職、技術者に。その後建築関連の家業を継いで、経営者としての手腕を発揮。

Bさん。大学は私立大学の農学部林学科。理由は高校時代山が好きだったのと、成績がよくなかったから。アルバイト三昧。山はメンバーがいとも簡単にヒマラヤに遠征に行くような、日本で一番有名な社会人山岳会に所属。だが、厳しすぎで断念。義理のお兄さんの紹介で、オフコンのソフトを販売する会社の営業マンに。英語は赤点だったが、なぜかロンドン駐在。その後ニューヨーク駐在を経て、ヘッドハンティングで外資系ソフト会社の日本支社社長へ。山への夢も40代半ばで復活、100kmを走って登る山岳レースに参加。毎朝10km走ってから会社へ行く日々。

ふたりともあまり熱心に就活もできないくらいの経歴。なんとなくいわれるまま、わけのわからない新しい分野に飛び込んだわけだったけど、それが幸いしたね。
当時出てきたばかりの事務機器やソフトの仕事は、伝統的な商社や建設会社、航空会社からくらべると、まともな業界と思われていなかった。きっと今の優秀な人なら「負け組み」が流れていった分野なんて、ひどい言い方をしたかもしれない。新聞などでは明るい未来を書かれていたけど、親の理解を超えていたから、就職先として薦められてはいなかったなあ。

成績優秀で一流大学を卒業して就活も成功し、大手企業でずーっとエリートコースを出世してきた友達もいるけど、どちらかというと出遅れた友達がもっと自由と成功を得た例もある。
芸術の世界でも世界の登竜門のコンクールで優勝したり、有名バレエ団に入るようなエリートコースをたどった人もいるだろう。だけどねわからないよ、長い人生。

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