お父さんからの伝言

夕食の食卓を囲んで、おとうさんが家族にするような話を書き残してゆくブログ。 家族の歴史。

Sunday, July 31, 2011

お客さんの代わりにしつこくチェック

お客さんの立場に立ってプロを使う。
どうもプロの技術者といえども、必ずソフトにはバグがある。
だからしつこくいろんな視点からチェックする。
プロと会話できて目的を設定し、使いやすい形を創造しながらしろうとの視点でチェックする。
それがお父さんの仕事だ。

オーディションで

オーディションで落ちたなら、
相手の目的にかなっていないか、
他の人との違いが出ていなかったかだろう。
自分の持っているものと相手の求めるものが、ミスマッチだったかもしれない。
人に合わせて自分を見失う必要はない。
自由に自分を信じて、磨き続ければいい。

プロってどう違うの

アマチュアとプロ、趣味と仕事。その境界線とは?
まずプロはなんらかの優れた技能や技術を持っている。また、プロジェクトや公演の様に時間のマネジメントができる。初演までに必ず舞台を完成させるということだ。簡単に言ってしまえば、チームをまとめて約束を守る。そしてよく言われるのは「結果を求められるのがプロ」だ。
じゃ、プロ野球では必ず勝つ?いいや、相手もプロ。
販売のプロなら必ず消費者相手にノルマだけ売ってくる?いいや、赤字だってある。
技術のプロなら事故は起こさない?いいや、小さな事故は避けられない。
教育のプロならみんな学生を東大に入れる?いいや、ありえない。
経営のプロなら赤字はない?いいや、どこかにしわ寄せしている。

じゃ、ごまかすのが得意な人をプロというの?
お父さんが考えるにプロとは修正できる人、それを積み上げてゆける人、大事故になる前の小さな失敗のうちにだ。
プロでもスランプに陥る。どんな英知を集めた技術でも小さな事故は起こる。100か0というのはありえない。もし100か0と考えるなら、まるばつ式のテストに毒されている。幼稚すぎる。現実は白と黒の間だ。
技術とはまず素材選びが難しい。スポーツなら体作り。基本的な動きの設計。
次に小さな事故や怪我、アクシデントは避けられない。それをもとに設計思想や技術を改善する。フォームの改造もそれにあたる。ミスをしないことよりも修正ができることが大切。
そして目的がある。お客さんを満足させること。だから価値を認めてお金を払ってくれる。必ず満足してもらえるように、いくつか代案を用意しなんとかする。これがプロだと思う。

仕事を通じて、社会で役割を持ち、プロといわれるようになることで自由とお金をいただく。時間的な自由は制限されるかもしれないけど、いろいろなチャンスが増え、選ぶ自由が増えてゆくはず。
素材を選び維持し、技術を持って、約束のときまでに完成させて、修正し続け、満足してもらえるようになんとかし続ける。
そんなプロの力が機能することによって、幸せの増大や社会の進歩が実現される。だからプロ中のプロは賞賛されるのだと思う。

お父さんはどうなんだ

新規事業の結果?出てないなあ。それだけで食っていけるだけ、収入がない。
大学?偏差値で選んだなあ。学部や学科も消去法だった。おまけに留年。
技術?問題にあたってばかり。今はなぜサーバー間でVPNを通してあるのに、IPアドレスが見つからないのか、設定ミスがわからない。
プレゼンテーション?まだまだだなあ。だいぶうまくつぼが見えるようになったけど、原稿を書くのに1週間くらい試行錯誤する。
勉強?目がぼけてやる気もすぐしぼんでしまう。Linuxの設定方法やコミュニティーサイトの作り方を読んでるけど、必要と感じてやろうというだけましかな。進度は超ゆっくりだ。
海外相手の仕事?英語も気合だけ。聞き返しているからなんとかなってるだけ。それにまだ海外で販売実績ができていない。結果は出ていない。

世の中すごく活躍している人がたくさんいるよね。結局年相応に比較しても、お父さんたいしたことないね。
まああと20年くらい生きているだろうから、まだチャンスはある。いっしょにがんばろう。

門前払い

せっかくやる気があって可能性も持っていても、親の財力や生まれた国という理由や、難解すぎて理解できない、体が動かずうまくできないなどの理由から、試験で門前払いをくらうことがある。そのひとつでひどいものが偏差値だ。
教室の定員に限りがあるから、入学試験は落とすためにあるのだろう。
企業は結果を出す能力が未知でも、人を雇えば決まった金額の給料は払わなければいけないから、予算の範囲を持って就職試験で篩い分けるのだろう。
今後どれだけ活躍するかわからないものを門前払いするのだから、それなりのコンセプトを持って試験を作らなければならないはずだ。

反対に予備校は大学に入れるのが目的になる。だからいろんな場面を想定する。
詰め込むこと、それができないなら本人が悪いと逃げることもできる。
そんな中で前提を疑ってみると、
「はたして大学は役に立つのか」
「目的はなんなのか」
「目的と目標を勘違いしていないか」
「自分の思っている目的は中間目標なのか、最終目的なのか」

もちろん若い時に今やっていることの、将来へつながる意味がすべてわかるとは思わない。大人だってそうだ。ただ選択肢が無くなってきているだけだ。

偏差値の門前払いでやる気をなくすほどばかげたことはない。
一生引きずったら不幸だ。
世間の思い込みの術中にはまって、自分を自分で縛ってしまう、未来を奪ってしまうことはよくない。
常識くそくらえだ。

結果を出そうとして選ぶ2つの道の考え方

相手のあることはなかなか思い通りには行かないもの。
希望する就職先に入れない。
好きな人に相手にされない。
一生懸命作った製品がなかなか売れない。

自分の都合と相手の都合は必ずしも同じでないから、いい結果を求めても、希望がかなわないことは当たり前といえば当たり前なのだ。

結果を出そうとして選ぶひとつめの道は、わかりやすい道。
あきらめてしまうという簡単な道。
裏口入学や賄賂を使うのは曲がった道。
手っ取り早く結果を手に入れたいと思っても、結果はより不確実に遠いものとなる。

ふたつめの道はばかげたことに見える道。
希望する就職先を凌ぐ様な会社を作る。
好きな人と同じ土俵に立てるように、相手と違う物を持った自分を磨く。
こういう人に買ってほしいという想定をして、誰でもというのではなく範囲を狭めて、その人たちに買ってもらえるように集中する。
一見もっと遠いばかげた考えと思われるかもしれないけど、「急がば回れ」ということ。
「早く移動したい」という願いを手っ取り早くかなえたのは馬だったけれど、大変な思いをして道を造り、いろいろな知恵と取引先を巻き込んで自動車を開発したから、馬の何倍も便利なものを実現できたわけ。すごい遠回り。

でもね、本当の目的を理解しているかどうかが問題だよ。それによっては遠回りの道が正解となる。そのための時間は、人生をかければ十分にある。

Saturday, July 30, 2011

自暴自棄にどう対処するか

あきらめた人に何もインセンティブがなければ、その状態から抜け出すのは大変だ。
さらにはさぼって約束やぶったことが気まずいので、引きこもったままになるというパターン。
それが自分の子供だったら腹が立つ。
仲間でも腹が立つ。
あきらめたからなんでも好きなことをやってもいいという振る舞い。腹が立つ。
普通なら支援する気もなくなる。腹が立つのは気にかかるからだろう。自分じゃ何もできないくせに。そういう気持ちがあるから、よけいに追い出したくなる。
だけど、本当は自分ができないのが悔しくて自暴自棄になる。陰で泣いている。
親といっても代わってやれない。そう考えるとかける言葉もなくなる。

このパターンの変形は「住み慣れた土地から離れられない」「親の願いだったから家業を継がなければいけない」「年寄りで迷惑になるから住み慣れた場所で一人暮らしする」といったものも。「離れて未知の場所での第一歩がこわい」「家業が衰退産業でも真の目的を考えられない」「迷惑かけて怒られたくない」といった本音が見えて、身内をいらいらさせたりする。「君ならできるよ。なぜやらないんだ」といっても、言われた本人にとっては「何も知らないくせに」と反発する。方向性と決断と、ちょっとずつ進んでゆく工程が見えないから。見えても自分ひとりでは解決できない制約があるから。

二人の間には、考え方の前提に大きな隔たりがあるように思える。

さて古来こういう場合はどうしたものか。

失敗からの方が学べる

小さな失敗をたくさんして、学ぶのがいい。
真剣に自分の志に向かって動かなければ、失敗もない。
小さな失敗の原因を見つけ、解決しようとした積み重ねがあるから、新幹線の47年間重大事故なしといったような金字塔を打ち立てることができた。
技術の積み重ねは簡単にはまねできないし、謙虚に奥深いところまで学ぼうとしなければ見えないものでもある。

失敗を遠ざけてはいけない。
失敗をあざ笑ってはいけない。
失敗はした人だけの宝である。
勇気のない人は失敗ができない。

なかなかうまくいかない

希望する職に就けない。
希望する大学の試験に受からない。
相手のあることでなくても、たとえば思ったように勉強が進まない。
なかなかうまくいかないのが世の常。

だけど大切なことがある。真剣にそんなときをすごすことで、感謝の気持ちが初めて理解できるようになるのだと思う。
そこからが始まりだ。

今自分に何ができるか

大震災をきっかけに、「今自分に何ができるのか」と考えた人も多いと思う。
いろいろなアイデアを実行に移す人たちを横目に、感想も言えず、そのまま何もできずに固まってしまう人も多いだろう。いろいろ理由もつけられる。

「今自分に何ができるか。」
この問いは仕事でも一緒。世の中、時代はいつも変化している。これが大前提。だから常に「今の時代、環境なら、どんな役割が自分にはできるのか」と問いかけることによって、新規事業を立ち上げたり、よりよいサービス、品質の向上を実現している。何もボランティアに限ったことではない。これを常に考えて実行するサイクルを自分の中に持っていないなら、「ちゃんと仕事していない」ともいえるだろう。

「今自分に何ができるのか」
学生時代、旅先で受け入れてもらうためにいつも考えていた。お父さんの原点でもあると思う。

インタビューにそなえる

まだ舞台にも立っていない、注目もされていない今のうちから「インタビューに備える」ってどうかな。お父さんのお奨め。

スポーツ選手ならば本業であるピッチ上での華麗な技やあきらめない姿、闘志が感動を生むんだけれど、勝っても負けてもインタビューでどんなことを話すのかによってますますファンになる場合がある。
はっとさせられる人間性に、敵味方なく拍手をおくりたくなることってあるよね。
準備がなければ自分のことだけでいっぱいいっぱいだろうけれど、敗戦しても勝者をたたえ、平凡な「厳しい戦いでした」とか「次を目指してがんばります」といった言葉だけではなく、別の視点からの言葉も発することができればいいよ。

なでしこジャパンが試合前、大震災に対する世界中からの支援へのお礼をかかげて場内を一周したけれど、対戦国のファンも魅了したと思う。