お父さんからの伝言

夕食の食卓を囲んで、おとうさんが家族にするような話を書き残してゆくブログ。 家族の歴史。

Sunday, February 27, 2011

最初のお客様、最初の協力者

失意の中から立ち上がって、再起の最初のチャレンジ。そんなときに最初に呼んでくれたところ、最初に認めてくれたお客様。ありがたいよ。
近くを出張するたびに立ち寄って何度もお礼を言うと、「ただすばらしと思ったから使ってみたんだ。重宝しているよ。」と恐縮している。

世の中、ただ相手を利用するstepping stoneと考え、振り返らない人も多いだろうけど、「こういった人たちのおかげで今がある」ということを心から実感できるようになれば、君は一人前だと思う。たとえ相手が有力者でなくても、大口のお客さんでなくても。

Saturday, February 26, 2011

幸い大学時代に助走ができる

社会は厳しい。一流企業とは、すばらしいサービスを世の中に提供してきた集団。つまり高度な技術力と世界に展開しているサービスをお客様に届ける力(販売力とも言う)、うまく使ってもらい満足してもらってナンボの世界がプロの世界だから、現地でのサポート技術力。この3つのある会社が一流企業というわけだ。
サッカーでバルサのレギュラーになるようなものだ。よっぽどその伝統に恥じない力がないと、仲間に入れてもらえない。

必要なのは「語学力」「変えてゆく意欲」「変えられる論理力」「先輩と同じ土俵に立てる技術レベル」
どうせなら大学時代という助走期間にこれらを身に着ければ、より広い世界が広がっている。

「大企業なんてしょせん自由がない」と言い放てる学生なら、独立すればいい。起業だ。これも世間は厳しいから、丸腰にならないよう、助走期間にいろいろやってみて、失敗の財産をつみかさねればいい。

最悪なのは「そんなこと聞いてなかった」と、覚悟も準備もなく過ごしてしまうことだろう。
少なくとも自分の心の声を聴いて、自分で考え、自分を信じて努力する経験をつむことだ。

グローバル採用時代の衝撃その2

ある大企業の部長さんは女性。採用担当で留学生の採用に力を入れている。
留学生から「どうしてリクルートスーツを着ていかなければいけないの?」と聞かれると、こうこたえるそうだ。
「先輩でもおかしなこと言ってるなあと感じたら、どんどん発言してください。会社を変える力になってください。そういう人を求めています。」

部長さんも男性社会の会社に入り、まわりの軋轢と戦いながら、女性の会社への進出に貢献してきたそうだ。つまり女性への偏見と戦い、女性を代表する気概を持ってキャリアを積み、会社に貢献して認められてきたわけだ。つまりお父さんの好きな「開拓者」だったのだ。

きっと留学生たちのよき支援者となるだろう。

グローバル採用時代

日本の国内企業は外国人留学生の採用に積極的。語学力があり、ハングリーで、日本が好きで文化を理解してくれて、海外進出のときに重要な戦力になる。日本の大学生を採用するよりも、企業の未来に貢献してくれるから。
TBSで「グローバル採用時代の衝撃」という特集をやっていた。

世界のどんな国でも貢献できる技術と語学力。
世界的に若い人の就職難が背景にある。だって工場や建設が新興国に移ったし、ITで人の需要が減った。いままでのキャリアを持った40代50代の社員対20代の新人の戦いとなれば、採用が減るのはあたりまえ。
就職難は採用が少ないだけではない。外国人留学生も、世代間もライバルなのだ。他にない価値を提示して先輩だろうがデータにもとづいて発言し、就職先をよりよく変えていける人間なのか、ただついていくだけの覚悟なのかを見られているわけだ。
昔だったら答えを知ってる先輩社員に従順な学生が合格しただろうけれど、今は答えのない時代。あたらしい答えを示してくれる若者のほうが魅力的になった。
そして国内でもITを理解し、作ったり応用できる人でなら求められる人材だろうけれど、そうでなければ主戦場(のびている市場)は海外に移った。海外に行く覚悟も、語学力も技術力もはずせない。そういう時代だ。

いろんな国の若者のハングリーさを目の当たりにして、同時にそういった人たちとも尊敬し会える感覚を養い、自分の技術を磨いて貢献でき、もちろんその目的を達成するための手段として英語やそのほかの言葉も使いこなせる人材にならないと、若者はたいへんだ。
もしどうしても語学はいやだというなら、人任せのサラリーマンになることをやめて、起業したほうがいい。起業するためのスキルを大学時代に身につけるのだったら意味がある。

大丈夫よ

この一言。

食べちゃった

クララがうどんを作って食べて、ふとみたら使っためんつゆに黒や赤や青の浮遊物。あーあ、食べちゃった。
そのほか二度納豆事件とか、ヨセフのチョコチップ事件とか、いろいろあったなあ。中にはインコを食べちゃった事件なんて変わった出来事も。
事件といえばミケちゃん発見事件、このなかにねずみがいっぴきいます事件、水着なし温泉事件などなど。うぐいすばりおもらし事件、あ、松坂屋大理石おもらし事件もあった。

雑音

外からの雑音、「やっぱりだめじゃないか」「できっこないよ」みたいなものと、内側からの雑音「できるだろうか」「こんなに迷惑をかけ続けていたら悪い」がある。
思い込む内からの雑音のほうが、始末が悪い。
お父さんやお母さんは、子どもたちのうちからの雑音をいかに取り除くかということに愛情を注いでいる。

教育環境など、お金で支援できることは簡単だ。思っている以上にどうにかなる。
意欲を維持してもらうこと、ファイティングポーズをとろうと思ってもらうことは、より難しい。坂を転げたり、また上りはじめたり、感動させられる。

たいていの場合

「あ、そんなことだったら、ちょっとこうやればできるじゃん」
ソフトにかかわる仕事をしていると、お客さんからそういった反応をもらうことがある。
「インターネットを使って・・・」
「Javaを使って」
「100円ショップにこんなものがあるんだから」
「なんだ、そのくらいのものだったら、世の中にあるんじゃないの」
いかにも自分でもできるよとか、自分じゃできないけど、誰にだってやらせることができるよといった意見。
これがたいていの場合、できないんだよなあ。
いかに使えるかたちに完成させるか、第三者に使ってもらうことに耐える形にすることがむずかしいか、やったことのない人の意見。評論家とも言える。

世界中のトップレベルの野球選手でも、10回に3回ヒットを打てれば年収何億の選手。たった確立が30%しかできてなくてもだよ。
サッカーなんてもっとひどい。週に2回くらい、それぞれ90分間ずつ働いて、1回ゴールにボールを入れることを毎回続けているだけで年収は何百億だ。

かたちにできる人とできない人の差は、才能以上に、みがきつづける執念、かたちにしようとする執念だろうと思う。
子どもが大人の社会の製品を創ろうと思っても、いっぺんには壁が高すぎる。山が遠すぎる。何年もかけて、先達が磨きつづけてきたものだから。だけど目線を上げ、頂点を見つめてやりつづけていると、いつの間にか景色は眼下に広がるようになる。転ばないスピードでだんだん早くしてゆけばいい。そんなもんだ。

ダメをつぶしてゆく

建設現場の出来上がり前最後の1ヶ月くらいは、えんえんとこまかい修正が続く感じ。
小さなやり残したところ、たとえばどんどん進んでいるときに、この部分に手をかけていたらペースダウンになるので後回しにしたところ。きれいに作ったんだけど、知らない間に誰かに汚されてしまった部分。できあがってみると仕上げにムラがある部分。まわりと比べるとバランスを欠いてしまって、自分は悪くないんだけど修正しなければいけない部分。こんな場所がばらばらと点在するようになる。それらの問題点を、ひとつひとつつぶしてゆく。
がんがん仕事しているようには見えないけど、このちょっと間延びした期間が大切なんだ。

ほかの事に気を紛らわす時間の使い方ではない。立派な仕事。ぼーっと過ごしているように見えるけど、君もコーヒーを飲みながら、頭の中で映画を見るように思い返して、ダメをつぶしてゆくことが大切。