たいていの場合
「あ、そんなことだったら、ちょっとこうやればできるじゃん」
ソフトにかかわる仕事をしていると、お客さんからそういった反応をもらうことがある。
「インターネットを使って・・・」
「Javaを使って」
「100円ショップにこんなものがあるんだから」
「なんだ、そのくらいのものだったら、世の中にあるんじゃないの」
いかにも自分でもできるよとか、自分じゃできないけど、誰にだってやらせることができるよといった意見。
これがたいていの場合、できないんだよなあ。
いかに使えるかたちに完成させるか、第三者に使ってもらうことに耐える形にすることがむずかしいか、やったことのない人の意見。評論家とも言える。
世界中のトップレベルの野球選手でも、10回に3回ヒットを打てれば年収何億の選手。たった確立が30%しかできてなくてもだよ。
サッカーなんてもっとひどい。週に2回くらい、それぞれ90分間ずつ働いて、1回ゴールにボールを入れることを毎回続けているだけで年収は何百億だ。
かたちにできる人とできない人の差は、才能以上に、みがきつづける執念、かたちにしようとする執念だろうと思う。
子どもが大人の社会の製品を創ろうと思っても、いっぺんには壁が高すぎる。山が遠すぎる。何年もかけて、先達が磨きつづけてきたものだから。だけど目線を上げ、頂点を見つめてやりつづけていると、いつの間にか景色は眼下に広がるようになる。転ばないスピードでだんだん早くしてゆけばいい。そんなもんだ。
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