お父さんからの伝言

夕食の食卓を囲んで、おとうさんが家族にするような話を書き残してゆくブログ。 家族の歴史。

Friday, July 06, 2007

学年一番だって

ルカ、理科の試験が学年1番だって。すごい。

手間隙かける

子供たちのことでどのくらい時間を使って手間隙かけたか。これが大切なんだろうな。
甘やかすと言う意味での手間隙かけてというわけじゃない。ただ一緒にいるという時間の長さでもない。

Sunday, July 01, 2007

コーヒーショップでの勉強

雑踏の中の孤独かな。図書館と同じ。集中できる。
日曜の朝のコーヒーショップは静かなものだ。同じような人がたくさん来ている。

外国のお土産もほこりをかぶり

ちょっとさびしい。

ネット小説家が多いとは

本を読まない人が増え、活字離れが言われている時代に、ネットで小説を発表する人がすごく多いという事実には驚いた。なんでだろう。そういえばブログを書いているお父さんも、ネット小説家のようなもの。プロではない、アマにたくさん発表の場が与えられたということか。
ITはメールが便利なように、活字にいちばんあっている技術。次に画像、そして動画。俳句ももっとはやるだろうと予想できる。
じゃ、すたれるのは?
工芸などの技能伝承か。

ダイエットをどう見る

お父さんは丸元さんの料理にこったことがある。同時に野菜は、土の微量ミネラルをちゃんと考えた土作りの農家のものに関心があった。きっかけは自分の病気とルカが生まれたこと。ダイエットじゃなかったけどね。でもこういったものに気をつけて暮らしていると、ダイエットは自然に出来ると考えている。
人間に入ってくるのは、空気と情報と環境変化と食べ物だから。出て行くのは運動エネルギーと情熱と排泄物かな。出と入りのバランスを考えよう。

何が買いたい

ずーっとほしくて、どれにしようか何度も考えて、資料を集めて・・・
案外そういったものよりも、衝動買いするものの方が多いかも。
高いものほど、思い切って買わなくては踏ん切りがつかないので、衝動買いかなと思う。
故障やイベントをきっかけに、予定外で買ってしまうこともあるでしょ。
普段けちけちしている関西の人が、旅行先でパーッと使うのを見て、とても意外に思ったことがあった。
君はどうかな。自分の中を観察してごらん。

ブログ復活のエネルギー

芸術と同じだろうな。
あふれ出る自分の創意に対して、ある程度かたをつけようという創作意欲と、クララと会うまでなどと節目を意識することと、お父さんの存在を残したいという意識と、見てくれる人がいるということ。
これがエネルギーになるようだ。

経営者の見直し

聞き慣れない言葉だね。経営者は会社を運営しているトップ。彼が定期的に反省するということ。
「こういう会社になって行きたい」という理想像から、「そのためにはどうするか」という計画や、必要なことをきちんと実行、監視する制度を作っていくわけなんだけど、「無理はなかったかな」「ほんとうにこの方向でよかったかな」ということを、自分自身で定期的に見直すことが、ひとつのルールになっている。

君たちに置き換えると、「こういう人になって行きたい」という理想像、たとえば「たくさん友達のいる青春を過ごしたい」が理想像だったら、「そのためにはどうするか」を考え、準備し実行し、「無理はなかったかな」「ほんとうにこれでよかったかな」と反省すること。

わざわざ制度になっているということは、「自分のことはようわかっておる」と思いがちだから。または反省するのがこわいからスキップしてしまう。
反省するためには事実を証拠として残しておかなければならないし、「そのためにはどうするか」という計画を決めなければいけないし、いろいろ予定が入っても実行しなければいけない。実は大変なこと。
スキップしてないかい?

故障できれいになった

パソコンが調子悪かった。ファイルも消えてしまった。ばらして、ひとつひとつはずして入れ替え、どこが故障の原因かを手さぐりで見ていった。
おかげできれいになった。

雰囲気つくりは計画から

「驚かせてくれ。」
これは「レミーのおいしいレストラン」の最後に、評論家のおじいさんが言った言葉。お父さんはこれがとても心の中に残っている。
期待以上の料理が出てくると驚く。そして満足してうれしくなる。わくわくさせる演出も、期待感を盛り上げる。

お父さんが子供のころ、家族の誕生日は楽しかった。デコレーションケーキを買ってきて、チキンのもも肉をほおばって、そして最後にプレゼントをもらう。
自分が誕生日でないときは、何日も前から何を贈ろうかと考える。小遣いの中から買える、最高の品物を探す。毎年のことだから、だんだん前にも贈ったことがあるというものが増えてくる。「これは去年誰かが買ってたなあ」という具合だ。やっと納得するものを見つけたときはうれしい。それが喜ばれたときは、さらにうれしい。毎日顔を突き合わせている家族でもだ。
おじいちゃんはワンパターン。いつもカセットテープ1ダースだった。それをもらった人がほかの兄弟にもおすそ分けする。そして好きな音楽を入れて聞く。いつも同じ。
「今年は違うよ」といいながら、毎年同じものが出てくる。いつもその一言で笑ってしまう。わかっていても笑いを取れる黄金のワンパターンだった。

驚かせてくれ。いいね。黄金のワンパターンもいいよ。こういった家族の演出、誕生会ではなかったけど、キャンプや年賀状撮影が我が家のそれだったね。
こういった雰囲気作りは意図的にやらないとできない。できるだけたくさん、そういった機会を作れる人になってくれ。

お父さんの靴

クララが高校生のとき、革の学生靴が窮屈そうだったので、幅広の歩くのが楽な靴を買ってあげたことがあった。かっこ悪かったけど、よく履いてくれたね。
そこで無理すると、腰痛が癖になったり、怪我が長引いたりすることってあるよね。骨ができかかっている時期だから、お父さんはちょっと心配になったわけだ。

すり傷だらけのかばん、てらてら光った寸足らずの学生服、幅広の大きな靴。ちぎれかかったかばんの紐をこぶしにぐるっと巻いて、毎朝駅から猛ダッシュして学校に通っていた姿を想像すると、おかしいね。世間ではお嬢さん学校でとおっていたからなおさら。
そういえば、なぜかヨセフもお父さんの靴をずっと履いていた。

なにか成果を見せなきゃ

成果を得たいと思ったとき、多くの場合、自分以外の人が関わってくる。
たとえばお父さんなら、新しい製品が多くの人に受け入れられて売れること。お客さんがお金を出すまで必要で、価値を認めてくれるかということにかかっている。
必要とされることだ。
好きな人と相思相愛になるくらいむずかしい。

学生の場合はいい成績を取りたいかな。これは自分の努力の割合が大きいね。受験、これは見えない相手があるから自分の努力だけではない。より難しい。

相手があることと、自分の努力だけでできることの2種類がある。こう考えると、相手に感謝の気持ちも湧き出てくる。自分の努力でできることは自分次第ですぐ成果が出るから、にこにこしながらやれるね。成果を出したいと求める気持ちが強ければね。
どうだい、「学生時代と大人の社会の現実の、大きな差はこういうことか」みたいなことを感じることができたかい?貧しい国の子供たちは、きっとわかっているよ。

そこに残った人

なんでこのテーマで書こうと思ったんだろう。

談合も偽装も社会保険も

今ニュースで話題になっていること。談合、偽装。考えてみると、なくすのが難しいもの。ないことを証明することがむずかしいもの。
それらと比べると、社会保険の問題はちょっと違う。社会保険は長い期間に積み重なることだから、転職などの変化のあるときに気をつける。制度がわかりにくいという気持ちが強いので、人任せにするから問題が大きくなる。だれも責任を取ってくれない。
守られている子供から大人になるには、質問力を鍛えて、納得するまで確認する力をつけることが大切なんだな。

ネットがつくる鶏社会

環境問題のように、自分だけでは解決できない行動をひろげるのにネットが使われれば幸せになれる。
生まれや普段の生活などの正体が見えないことで、やりたい放題いじめの武器にネットが使われれば不幸せになる。
どちらにしても、いままでの新聞やテレビよりも、より心理的に深くはいってくるのがネットの特徴のようだ。人はそれをあまり意識していない。だから怖い面もある。

鶏がせまい鶏小屋に閉じ込められているとき、1羽が怪我をすると、みんなよってたかって怪我をした1羽をつっつくという。ネット社会が鶏小屋のようにしばるものにならないよう、考えてみよう。

PSPなくてもやれた

ルカはどうも自分で止められない。隠されてみると、なくてもすんだ。

温暖化が見えてくる

知っていることと出来ることは違う。特に、感じられないことはやろうという動機につながりにくい。
テレビでは北極の氷が今までに無いペースで融けていることを報じている。でも「へえー。大変なことが起きているんだな」で終わってしまう。
ちょうど人間が、自分のすい臓に出来たがんは痛みも無いので気がつかないのと同じ。地球で起こったことは自分の一部で起こったことなのに、ほっておいてしまう。ダイエットにいいと言われると、簡単にあやしいサプリメントにもお金を使ってしまうのに。
自分だけの行動ではどうにもならないという気持ちもある。ひとりぐらい楽をしてもいいだろうという気持ちもある。
自分が神様に試されていると思う。

「そのためにはどうする」
いつもこの問いを持っている人になりたいものだ。

あたればいやでも儲かる

商売ってそういう反面も持っている。じっとしていては無理だけどね。

素直なままから素直を表すへ

素直なまま、それを表すのは勇気がいる。無防備だから。
ヨセフが小さいとき、「僕は弱いんだー」と泣きながら言った一言が印象的だ。彼は無防備なほど素直だった。道端の工事現場のおじさんにも「こんにちわ」って挨拶してた。もちろん挨拶されたおじさんは上機嫌。周りを明るくしていた。
今は無防備さをつかれて、硬く閉ざして隠れようとしている。中学くらいの同じ年代は容赦ない。背伸びしようとしている年代。
だけどもともと彼はすごい素質を持っている。お父さんはそう見抜いている。また自分を解放してほしいと思っている。

歩く禅

学生時代に禅に興味を持った。何かの本で、座るばかりが禅の修業じゃない。歩く禅の修業もあるということを知った。
ひたすら歩く。
お父さん的には、鈍行列車で旅をするとか、コーヒーショップでマイブックを書くというのも、付け加えてほしいな。
既成概念にとらわれるなということ。お坊さんに話したら、笑われるかもしれないけどね。

お父さんの洗濯

大げさに言うと禅の修行のようなもの。少しを積み重ねてみようという修行。まとめてやろうという気持ちを吹っ切る修行。
正直言うと、時間がもったいないなあと思うことしばしば。

毎日繰り返すことが自動でできる

習慣は第2の天性。よく言ったものだ。
やりたいことで訓練が付きまとうものは、工夫して、習慣にしたい。
めんどうくさい。やると損する。時間がもったいない。
どうしたらこういうマイナスのイメージを消せるか。

言うだけと書くことと思ってるだけと

相手から見たとき・・・
自分が思ってるだけ:存在しない。
自分が言うだけ:矛盾がでやすい。薄っぺらに思われる。
自分で書く:ちゃんと考えて組み立てられたもの、借り物でない自分の言葉でかかれたものなら、大きく目の前や心の中に存在する。

頭ごなしかよ

と、言われないようにしたい。