お父さんからの伝言

夕食の食卓を囲んで、おとうさんが家族にするような話を書き残してゆくブログ。 家族の歴史。

Wednesday, December 19, 2007

親戚にもいろいろあった

マリアだけではなくヨセフやルカも、サザエさんちのような「家庭像」のイメージを持っている。
ちょっと挫折すると、すごく恥ずかしい特別なことのように思えてしまう。
転校で挫折感。だけどマリアも転校すると言ってクラスのみんなに見送られたけど、試験に落ちて出戻り。
落第の危機。だけどお父さんも2年留年。1年目は確信犯だったけど、2年目は予定外。原因は留年1年目に誰も知らないクラスに行くのが簡単ではなかったということ。2年目は最初の時間でつまずかないようにした。
その他まだまだある。親戚となると、もっといろいろあった。

「サザエさんち」は一種の「憧れ」。現実の人生は、いいときも悪いときもある。それが普通。
矛盾だらけ。それでも生きてゆく。それが人生。

約束してしまう

なかなか進まないことがあると、エイヤっで約束をしてしまう。その日をリミットに逆算して行動を起こす。
日にちを決めるのは、気合。

かわいい子には旅させろ

ヨセフにはぜひひとり旅をしてもらいたい。
クララにとっての留学は、お父さんの言う「ひとり旅」だ。
お父さんの伝えたいことすべてが凝縮されている場なんだ。

ひとり旅で何かをつかんで初めて、親子関係は、人間同士の認め合いのステージに昇華する。
巣立ちを待っている。

火中の栗

不登校の親の飲み会に、わざわざ出てきてくれる先生がいる。下手したら何を言われるかわからない。そう思うのが普通だろう。でも実際はありがたがられる。「うちの子に関心を持ってくれてありがとう」感謝を持って迎えられる。
「火中の栗を拾いに行く」つもりが、感謝されるのだ。

勇気を出して飛び込んでみると、視点が変わることがある。

ルカがPSPばかりやっていて、ちっとも勉強しない。ずーっとやっている。ゲームで無駄に時間が過ぎているように見える。文句を言う。返事もしない。
ある日大前さんの親子対談記事を読んでいて、子どもがゲームをやることについての抵抗が薄れた。そこで先入観を消去、パラダイムの変換。
ゲームをやっているルカに聞いた。
「今やってるのはモーハンか?」
「・・・」
「最近ニコニコ動画にゲームの映像がたくさんアップされているけど、どのゲームのが多い?」
「・・・」
「お父さん、ゲーム会社の株を買おうと思っているんだけど、どこが人気が出てきているかを知るのに、ニコニコ動画にアップされているゲームの数が多い会社を知りたいんだ。」
「・・・」
「モーハンはコナミ?」
「カプコン」
「カプコンか。えーと株価は・・」
インターネットで株価のグラフを出すと、最初のバージョンが何年何月に発売されて、人気のあるのは2で・・などとルカが話しかけてきた。一緒に株価のグラフを見て、その時期と値段の上がり具合を実感。
「株って言うのはこれから上がるというのを買えたらもうかるんだ。どんな分野でも、プロって言うのは、どんなことも変化する時(変局点:局面が変わる時)を見つけることに集中するんだ。」

これで株を買ったら、どうしてあがったり下がったりするのか、どうしたら変局点を見つけられるのかなどを、親子一緒に考えることが出来る。すべてのプロになるエッセンスが凝縮している。「動機」、「発展的に調べる意欲」、「変局点を意識するという大切なことを学ぶ」、「継続的なモニタリング」、「関心のある範囲が広がる」、「経済の構造を知る」、「リスクについて考え抜く」などなど。
子どもの意欲を引き出そうとする時間や、塾に払うお金を考えたら、この投資はもっと有効なお金の使い方といえそうだ。

お父さんにとっては身近な火中の栗。
「ゲームは時間の無駄」「株はギャンブルでのめりこんだらやけどをするもの」などの先入観のほうが、よっぽど家族をだめにして、意欲の芽をつむものかもしれない。

余計な予定はいれない

自分の軸の時間を開放しないということ。いろんな誘いがあるのが普通だけど、割り切ることが大切。軸の時間のために余裕の時間をとっておかないと、伸びシロが少なくなる。

あとは細切れ時間を活用すること。お父さんのマイブックは、細切れ時間を宝の時間にしている。

ほんとうにそうかをやってみないと・・使えない

ほとんどの仕組みは見えない。ブラックボックスだ。
いくらいいと聞いても、本当にそうかをやってみないと使えない。

根拠のない自信を持つ

脳を研究している先生が言っていた。
「根拠のない自信を持ちなさい」
人生何があってもおかしくない。ちょっとした未来のことも、予知不能だ。だから人は身を守る習性から、周りの誰かが自信を持って行動することについていってしまう。脳の働きって、そんな空気を感じるのだ。

KY(空気読めない)という言葉のとおり、空気を読もうとするのが普通。
KT(空気作る)という人がいれば、影響される。
根拠のない自信を持って行動すると、周りの人も引っ張られるので、それが正しいものと認識され、実現するということだ。

夢を実現するためには、根拠のない自信を持って、KTになること。

サプライズを残す

ダンスの動きやジャズを聴いていると、ずーっと同じリズムの動きや旋律ではない。ゆっくりした繰り返しがあると思ったらぴたっと止まり、緊張感が高まったところでさらっと動き出す。思っても見なかったメロディーラインに移る。サプライズだ。
見ている人、聞いている人は、相手の動きや音を追っている中で、自分なりに次の展開を想像している。だからそれが違って、緊張感が高まったり、さっと緩んだりすると面白い。

お父さんの作っている製品にも、サプライズを埋め込んでいる。

アイム リミテッド

ヨセフを見ていると、「見せたいイメージ」の自分をこわしたくないので、よけいに人に会えなくなっているようだ。「気まずい」という言葉が物語ってる。
心の中にある自分を動かすものは2つ。「エンジンとブレーキ」。
どんどんやってゆこうという明るい積極的な拡張プロセス(エンジン)と、本能的に危険をさけようとする慎重さからブレーキとなる平衡プロセス(ブレーキ)のうち、彼は自分の本音である「ブレーキ」になるプロセスを、意識の下に追いやっているようだ。自分でも認識していない。慎重な面、面倒くさいと思う面は無意識的に見せたくない。

自分の本音を認識して2つあることを認めた上で、力を抜いて必要なこと、やらなければいけないことを行動してゆければいいのだけど。
たとえば、トントン野菜を切っている包丁の近くに指を持っていっても、相手が信用できれば、10cmくらい近くにあっても大丈夫なのと同じ。5mはなれる慎重さはいらない。
もっとさらけ出したり近づいてもいいんだけれど、距離感がわからないんだろう。恋愛も距離感をつかむプロセスといえば、イメージ沸くかなあ。

武士も相手の剣が自分に触らなければ怪我をしない。セーフだ。怖いけど、怖さを克服して、ぎりぎりでかすめるくらいの距離でかわせると、自分の攻撃のチャンスも多くなる。アウトとセーフのぎりぎりの距離感。距離感を「間合い」といい、ぎりぎりの点を判断することを「見切る」という。
「見切りをつける」という言葉も、ここから来ているのかな。

ミュージカル「ウィキッド」でエルファバが「アイム リミティッド」と歌いだすシーン、自分の弱い部分も認めてさらけ出したうえで、新たな決意を静かに強いものにしてゆくシーン。感動的だった。
だれもが思っていること、「自分の限界をさらけだしたくない」
でもそこが新たなステージの始まりだとは、後になって気がつくものなんだね。

いかにうまくたとえを見つけられるか

ユーモアのセンスも、コミュニケーション力も、発想の豊かさも、「いかにうまくたとえを見つけられるか」が一つのカギなんだろう。
見た目が違うけど本質が同じもの。逆に似て非なるもの。
このふたつを意識して見つけてごらん。日常会話に意識して「たとえ」を盛り込むことが、英語上達の秘訣だと思うよ。
キング牧師の演説、オバマ大統領の演説も、この「たとえ(メタファー)」をうまく使っている。

Thursday, December 13, 2007

クラスへ行けない

お父さんも大学で留年したとき、途中から誰も知り合いのいないクラスに行くのはプレッシャーだったね。

自分の居場所とかごの鳥

自分の居場所があるって大事。
だけど、中途半端な気持ちで、飼い殺しになるかごの鳥の環境にいるとしたら・・・そこは楽をして快適で、でもちょっと「これでいいのかな」と引っかかるものがあるところ。
新しい自分の居場所を求めて、安全なかごを出る勇気を持ちたい。

ヨセフも旅立ち、ルカも旅立ち

ヨセフはフィリピンのボランティアキャンプに参加する。部屋をシェアすることや食べ物、治安などに不安を感じているみたいだけど、君が誰かの役に立つことができた、感謝されたと言うヒーロースポットに立てたら、お父さんはそれだけでいい。英語が上達してほしいなんて思ってもいない。
「ヒーロースポットにまた立ちたい。」
その気持ちが動機となって、広い世界へ動き出してくれることだけが望みなんだ。君の旅立ちを待っている。

ルカも、ついていけなければもう普通の生活ができない、もう終わったと考えたり、勉強が嫌いだからやらないと言う理由付けをして、自分を投げ出してしまわなければ、お父さんはうれしい。
自分の世界を狭くしてしまわないこと。若い君たちにとって、未来や世界はまだまだ広い。

認識するかどうか、マイブックが手助け

毎日の、気がついたことをメモする中途半端な時間の積み重ねが、問題を解決する、アイデアを形にする力になる。
問題のありかを発見したり、これが問題なんだと認識するかどうかは、心の中のおかたづけ。もやもやしたことを、頭の中からマイブックに書くことが第一歩。
人生がスムーズに流れ出すよ。

クララの旅立ち

お父さんは旅でたくさんのことを学んだ。クララの旅立ちを前に、見送る寂しさよりも、クララが経験するであろうたくさんの素晴らしい出来事を想像してうれしくなってしまう。

お父さんはクララのことをとても誇りに思っている。
きっとクララも家族のことを誇りに思っているだろう。
その気持ちがあるかぎり、自分を投げ出してしまわないはずだ。
難しい問題に出会ったとしても、成功か失敗か、天国か絶望かの二つに一つではなく、ゆっくりになってもじわじわと復活する第三の道を歩いてゆけるだろう。

結局は無かった物を形にするのが仕事

マニュアルどおりにやる仕事もあるけど、今まで無かったものを形にするのが本来の仕事だと思う。前例の無い、道の無い世界で判断をしていかなければいけない。
大人の社会のルールを知らなければいけないと思う反面、自分ならこう教えるという気持ちで、いつも解決方法を考えていかなければ。大人の社会が間違っていることもあるから。