親戚にもいろいろあった
マリアだけではなくヨセフやルカも、サザエさんちのような「家庭像」のイメージを持っている。
夕食の食卓を囲んで、おとうさんが家族にするような話を書き残してゆくブログ。 家族の歴史。
マリアだけではなくヨセフやルカも、サザエさんちのような「家庭像」のイメージを持っている。
ヨセフにはぜひひとり旅をしてもらいたい。
不登校の親の飲み会に、わざわざ出てきてくれる先生がいる。下手したら何を言われるかわからない。そう思うのが普通だろう。でも実際はありがたがられる。「うちの子に関心を持ってくれてありがとう」感謝を持って迎えられる。
自分の軸の時間を開放しないということ。いろんな誘いがあるのが普通だけど、割り切ることが大切。軸の時間のために余裕の時間をとっておかないと、伸びシロが少なくなる。
脳を研究している先生が言っていた。
ダンスの動きやジャズを聴いていると、ずーっと同じリズムの動きや旋律ではない。ゆっくりした繰り返しがあると思ったらぴたっと止まり、緊張感が高まったところでさらっと動き出す。思っても見なかったメロディーラインに移る。サプライズだ。
ヨセフを見ていると、「見せたいイメージ」の自分をこわしたくないので、よけいに人に会えなくなっているようだ。「気まずい」という言葉が物語ってる。
ユーモアのセンスも、コミュニケーション力も、発想の豊かさも、「いかにうまくたとえを見つけられるか」が一つのカギなんだろう。
自分の居場所があるって大事。
ヨセフはフィリピンのボランティアキャンプに参加する。部屋をシェアすることや食べ物、治安などに不安を感じているみたいだけど、君が誰かの役に立つことができた、感謝されたと言うヒーロースポットに立てたら、お父さんはそれだけでいい。英語が上達してほしいなんて思ってもいない。
毎日の、気がついたことをメモする中途半端な時間の積み重ねが、問題を解決する、アイデアを形にする力になる。