お父さんからの伝言

夕食の食卓を囲んで、おとうさんが家族にするような話を書き残してゆくブログ。 家族の歴史。

Saturday, October 07, 2006

アレハンドロとの再会

1980年の4月、お父さんが南米を旅したときのお話。
ブエノスアイレスからボリビアのラパスまで行く列車の中で会ったアルゼンチン人の2人組み。ペルー目指して旅をしていた学生。ひとりはフェルナンド、もうひとりはアレハンドロ。フェルナンドは英語を話せたが、アレハンドロはスペイン語のみ。
お父さんも南米に入ったばっかりのときは、一言もスペイン語がしゃべれなかった。6ヶ国語の旅行会話集だけが頼り。ロサンゼルスの空港であった旅の日本人の青年が、「6ヶ国語会話集だけでしゃべれるようになるよ」と。実際3ヶ月全く日本語の無い生活を送ると、スペイン語のほうが脊髄で反応するように言葉が浮かんだ。きっとアレハンドロとしゃべったおかげだ。反対に、英語は文法を組み立ててからしゃべる自分がいた。
気のいいアレハンドロとちょっとお坊ちゃんのフェルナンド。一緒にペルーを旅した。
クスコを最後に彼はエクアドルへ。フェルナンドともクスコを最後に分かれてしまった。
私は途中であったエドワルド・モンテムイニョとバスに乗る。ペルーアンデスを横断、ナスカの地上絵を見に行った。
そしてリマについたある日、町の広場でなんとアレハンドロと再会した。全くの偶然の出来事だった。アレハンドロはお父さんの名を読んで駆け寄ると、オーバーに抱き合った。日本人のお父さんにとってはなんだか気恥ずかしかったのだが、心の底から再会を喜んだ。
聞くと彼はエクアドルで強盗にあり、荷物もお金もすべて取られてしまったそうだ。よくぞリマまでたどり着いたものだ。きっとヒッチハイクを重ねたのだろう。困っているに違いないと、お父さんはベルトに隠してあったドルを彼に渡した。「このくらいあれば、飛行機でアルゼンチンに帰れるね。」
その後しばらく、イタリアに仕事に渡った彼からクリスマスカードが届いていた。相変わらずのミミズのはったような字で。彼らしいね、確か住所が無かったので、そのまま消息は途絶えてしまったが、またいつか、突然町の真ん中で出会ってみたいものだ。

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