鐘つき少年
奥会津への旅は有意義だった。うれしかったことはヨセフが土地の人たちに広く受け入れられているということ。
彼は「鐘つき少年」として地元の村人の話題に上っていて、それだけではなく離れた村の人の間にも話題に上っていることがわかった。
「俺は会ったことがある」とか「話したことがある」という具合。
なぜ受け入れられたんだろう。それはヨセフにも、村の人にも気がつかなかったことかもしれない。
昨日のことだ。地元の人たちの集まりで、一人の女性がヨセフにお礼を言いたいと手を上げた。その若い女性は郷土のことを調べるために、年寄りの話を聞き、書き取る活動をしている人だった。
「とうもろこしを焼いてぱちぱち言う音が夜聞こえた。あの家はとうもろこしを育てていないはずなのにな、どこからもってきたんだろう」なんて、音にまつわる古老の、おおらかな昔話を聞いてきた女性の話。
「音は大切だと思うんです。鐘の音を復活させてくれてありがとう。」
ヨセフがついているお寺の鐘の音は、先代の住職がなくなって以来、20年ぶりに復活したものだった。
鐘つき少年の鐘の音は、時報の代わりに聞こえているものではなかった。
それは村人ひとりひとりの心の中に響いている。なつかしい情景を呼び起こし、無事毎日を過ごしてゆく幸せを、心に刻んでゆく鐘の音だったのだろう。
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