誰に悩みを相談したらいいか。
この分野はお父さんに相談できるけど、あのことはお母さん。自分で切り分けているのが普通。
逆に相談を受ける側にも言えることがある。
「この相談は持ってきてもらってもいいけど、あのことは何度同じことをぼやかれたって困る。前に進まない。考えても仕方の無いことだからどうしようもない。」
相談を受ける側も、へきえきする内容だってあるわけだ。なぜへきえきするか。相談する側は「この人ならすべて何とかしてくれる」と思い込んでいて、範囲外の相手の時間や大切なものも侵食してしまうからだ。
「わたしはあなたのお母さんじゃない」って言うせりふがあるけれど、クレーマーやなんでも政府が悪い、学校が悪いという人たちも同じ。世の中たくさんいる。逆差別ということもある。
概して相談する側は、「解決に向けて道筋を組み立てられる悩み」と「自分がこうしなければいけないのはわかっているんだけれど、できないからぼやく悩み」とがあるようだ。
「バランスが取れて、コントロール可能な悩み」と「自分の理想と実行のバランスが崩れて、他の人にやってもらうのを期待する悩み」とでも言おうか。
「大人の悩み」と「子どもの悩み」かな。
「自分も気がついて聞く耳を持つ悩み」と「やってもらえなければパニックになる悩み」ともいえる。
「パートナーになれる悩み」と「何でも言うことを聞いてくれるお母さん以外はいやになる悩み」みたいな。
「お互い充実感の得られる悩み」と「考えても仕方が無い悩み」
「展望をお互いに作り出してゆける悩み」と「きりがなく寄りかかられて辟易する悩み」
自分にある程度の技術レベルがないと、カンパニーにいれてもらえなかったり、重要な話はしてもらえないのと同じ。いちいち説明がめんどくさいから。
その分野の技術や知識レベルが低くても、他の分野の深い経験や技術をベースに、物事を切り分けられる人なら、お互いに知らない発見をする可能性があるから、喜こんで仲間に受け入れられる。
これが高校や大学時代に身に着けなければいけない大切なことだろう。
中学校レベルくらいだと、これが出来ない場合があり、いじめも無視も、こんなところから生まれやすいんだろう。
結局はパートナーになれる段階まで、自分が大人にならなければいけないんだけど。
相手にふさわしい自分かどうか、そのために自分は何をしているのか。
そして、同じレベルの仲間を持ったときの幸せってある。
違うレベルの人と共同作業をしなければいけないときのわずらわしさもある。
そういう時は、仲間に中間のレベルの人がほしい。
お父さんがいて、よくわかってくれるクララがいて、ヨセフに経験を翻訳することでクララも受け継いだ経験を自分のものに消化し、ヨセフは1段階レベルを上げることが出来る。みんなハッピーだ。