お父さんからの伝言

夕食の食卓を囲んで、おとうさんが家族にするような話を書き残してゆくブログ。 家族の歴史。

Saturday, January 16, 2010

プラダを着た悪魔

「プラダを着た悪魔」では、「認められたいから」「世界中の女の子が憧れている職場だから」「ここでがんばればどこの編集者にも雇ってもらえる実力がつくから」という職場の雰囲気だけで、主人公の新人秘書はがんばりつづける。だけどトップもわがまま、所詮は人のせいにされるだけ。たとえばパリ行き人選に落ちた人への通達も、自分で説明するのではなく主人公にやらせる。同僚の恨みは悪魔へではなく、仲間を売ったということで同僚へ向けさせる。「仕方がないことなの」という言い訳の言葉が、ますます悪魔への忠誠を、主人公自身で深めてしまう。

最後に主人公は魂を売るのをやめて職場を去った。悪魔は「ふん」ってなもんで、また募集、そして文句を言って切り捨てる。
悪魔が生き残れるのは、自分に忠誠を尽くす才能のあるものを見抜き、とらえてはなさないから。利用する天才っているね。まじめで、うつになりやすい人が抜けられないタイプの人かな。まじめな人は「自分はきちっと約束を守りたい」「迷惑をかけたくない」って考えるから自分に縛られる。悪魔はそこにつけこむ。
とらわれない目を持つ人、またはいい加減な人はさっさとやめて自分を苦しめない。つまり前提条件がおかしいと気がつくわけ。
またこの映画では主人公が潰されたのではなく、「(人生を)学んだ」と笑顔で決別したのがよかった。

政治家と秘書の話も、きっとおんなじなんだろう。怪しい宗教団体や、やくざと情婦の関係も。軍国主義時代の日本もかな。へたすれば体育会や勉強を詰め込む塾や学校にもその要素が。みんなカリスマが悪魔になってる。
閉鎖的で、たくさんの目でのチェックや意見が聞こえない状況。
効率は上がるので惑わされるが、それより大切な理念とか方向性ということを忘れてしまう。「儲けるためには何をしてもかまわない」という主義の会社と一緒。

飲食店で芸人が暴れて警察沙汰になったニュースの解説者の話。
「もしも飲食店がやくざ系の店だったら、警察に通報せず、所属する芸能プロダクションに直接話を持っていくだろう。」
ややこしい人は裏で1対1の交渉に持ち込む。周りに迷惑を広げていいのか、あんたにとって少しでも得になる話だよと。そして食いついて離さない。
覚せい剤のようなもんだ。最初の迷いが命取り。
君たちも覚えておくといいよ。

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