パティシエになった世話役
協力隊の先輩で、その地域にいる日本人の隊員の世話役的な人がいた。活動の成果よりも、面倒見のいい、気がつく日本人コミュニティーの世話役としての存在感が大きい人だった。
風のうわさで、彼はその後単身ヨーロッパに渡り、修行をしてパティシエになったと聞いた。
本当はアフリカでも日本人相手ではなく、現地の人を相手に活動の成果を残したかったと思う。その心残りだった力を使って、当時はまだなる人も少なかったパティシエの道を開いたのだろう。
心残りの力とチャレンジする力が残っていれば、新たな世界が開けてくる。
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